死王事件⑧


 求めていたような答えとはちがった。

 落胆する延明に、「そうではありません」と桃花はさらに説明を重ねた。


「人は死後、地水火風――すなわち自然力によって腐敗が進み膨張し、関節もゆるみます。体内には腐敗によって陰気ガスがたまり、それに押しだされて胎児がでてくるのです。ですので、いきんでする分娩とは異なります。腐敗によっておこる現象ということです」

「腐敗によって?」

「そうです。ですので、自然によるわざである、と。けっして死王などという怪談のたぐいではありません。きちんと知識と経験のある検屍官を伴っていれば、このようなおかしなことにはならなかったのではないかと存じます」


 延明は驚き、まじまじと桃花を見た。


「あなたは……いったいどこでそのような豆知識を?」


 彼女は姫姓だ。姫家といえば古来よりの名家である。その娘となればそれこそ箱入り、深窓の令嬢だろう。その口から腐敗だの死体の関節がゆるむだのといった言葉が出てくること自体、そもそも奇妙だった。


 問うと、桃花はどこかさみしそうに微笑んだ。


「……わたくし、養女なのです。生家は代々つづく検屍官の家系でした」

「検屍官。なるほど」


 腑に落ちた。

 彼女にとって生家の生業上、死は近しいものであったのだ。だからこそ幽鬼や怪談を恐れない。


「では豆知識ではなく、きちんとした知識なのですね」


 納得すると同時に、彼女に対する同情も湧いた。


 官吏の登用が郷挙里選――すなわち地方からの推薦によるように、後宮入りもまた、地方各地からの推薦によっている。


 家柄ではなく容姿や健康、父母への孝徳などが選考基準とされているが、容姿の優れた少女を買い取り、養女として育てて後宮に送りこむ豪族や官吏が後を絶たないのが現実だった。


 桃花もそういう野心を背負わされた立場なのであろう。あわれなことだと思う。

 多くの女官は皇帝のお手つきが無ければいずれ宮城を出られるが、こうして入宮させられた娘に帰る場所などない。

 両親は金子きんすを受けとり親子の縁を切ったのだ。養父は養女が金の卵を産むことだけを期待している。なにもなさなかった養女に、帰路はない。


 桃花のような娘にのこされた道は、数千の美姫を出しぬき皇帝の寵愛を得るか、もしくは寵愛を得た妃賓に生涯仕えるかのいずれかだ。


 どちらにせよ、足を引っぱり引きずりおろそうとたくらむ魑魅魍魎とともに、高い塀に囲われて生涯を終えるしかない。

 それは籠の中の鳥などという表現では生ぬるい人生だ。


 ――われら宦官と女官はよく似ている。


 ただ溺れるようにもがきながら、それでももがいていることを忘れて生きていくしかない。


「いくつの時に、姫家へ?」

「十三です。わたくしは姫家にひきとられるまで、祖父のもとで仕事の手伝いをして学んでいたのです」


 仕事の手伝いとはつまり、検屍の手伝いということか。

 驚きが顔に出てしまったのか、桃花も困り顔で苦笑する。


「おかしいですよね。でも、やりたかったのです。わたくしの目には祖父はとてもまばゆい存在でした。死体に触れると穢れると言いますが、あれはウソです。祖父は穢れてなどいなかった。まっ白で、つねにわたくしの歩くべき道を照らしてくれました」


 祖父の姿を思い描いたのか、桃花はやわらかく目を細める。


「世間では敬遠されますが、誇るべき仕事です。無冤術むえんじゅつは」

「無冤術?」

「はい。祖父が、検屍術とは〝冤罪えんざいを無くすすべ〟であると。それで無冤術むえんじゅつというのだと教えてくれました。死者の声を聞き、罪なき虜囚をすくうすべです」

「罪なき虜囚……」


 ずしりと胸に響いた。


 延明の身体には、冤罪が刻まれている。

 その傷から、心の奥から、どっとなにかがあふれてきそうな感覚にめまいがした。


「どうかなさいましたか?」

「いいえ。……なにも」


 平然としたいつもの微笑みを貼りつけ、首をふる。


 ――そうだ。なんでもない。


 もう終わったことだった。

 こぼれた水が盆に返らないように、下された冤罪は消えない。


 罪を消され身分をも取りもどした今も、この身に刻まれた傷は生涯消えはしないのだ。

 延明はいやな汗をぬぐい、思考を切りかえた。


「……桃花さん、正直なところ、あなたの検屍の知識がどのていどのものなのか、私には判断がつきかねます。けれど、胎児の件は腐敗によるわざ――死王の怪談などよりよほど信憑性がある。経験の豊富な検屍官を李美人陵に派遣できるよう、手配をしてみましょう」

「よかった。ありがとうございます」 


 桃花は心底ほっとしたように微笑んだ。





 ふたりは夜警の声かけをしながら、昨夜とおなじ道をたどった。

 満月がかすむほどの明かりがともされた一区をぬけ、隣接する三区へと足をふみ入れる。


 妃賓を亡くし、灯り用の油がすっかり貴重品になった三区は、一区とは対照的なほどに闇が深く――と思いきや、どの棟からも一区に劣らぬほどの明かりがもれていた。

 消灯の声をかけても消される気配がない。夜をすっかり恐れているのだろう。


「風邪をこじらせての病死であったと発表したのですがね……。まあ昨夜のことです、しかたありません。大目に見ましょうか」


 延明が言うと、桃花が足を止めた。


「あれは病死であって、病死ではありません」


 桃花は柔らかい口調で、けれども断固としたかたちで言い切った。


「傷害による、致死ちしです」



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