死王事件⑤



「李美人が亡くなった日の夜だったと思います。頭が重い、熱っぽくってだるい、と。あのころ、わたしたちはそれはもうバタバタとしていて、あの子の看病をしてあげるどころではありませんでした。とにかく隔離をということでここで寝かせて……。や、薬湯はちゃんと運んであげていたのですけど!」

「落ちついて。同じ日であるというのは単なる偶然です。よいですか、頭重に熱、倦怠感、これらは風邪の症状でしょう? 呪いとは風邪なのですか? ちがうでしょう?」


 延明が穏やかな口調で諭すと、高莉莉こうりりは納得いかない顔をしつつも、ひとまずはうなずいた。


「……はい」

「風邪をこじらせて亡くなるなど、珍しいことではないでしょう」

「で、でも……あなたも死に顔を見ましたよね!?」


 ふたたび興奮してきた侍女の背をさすりながら、延明はわずかに眉をよせる。


 たしかにひどい形相ではあった。

 噛みしめた歯を、歯ぐきまでむき出すようにしてわらっていた。そして、弓なりに反った姿勢。尋常とは言いがたい。死王に呪い殺されたのだと言いたくなる気持ちも理解できなくはなかった。


「……よほど苦しんだのでしょう。畏れるのではなく、あわれに思ってやりなさい」


 適当なことを言いながら、延明は内心で頭を痛めた。

 あの、碧林へきりんという侍女の死に顔を、いったいなん人のやじ馬が目撃しただろう? 

 その中に、幽鬼だの呪いだのというばかげたものを信じる者は、なん人いる?


 ――多いだろうな。信じない者よりも、ずっと。


 おそらく、明日には死王のうわさはさらに膨れ上がるだろう。死王を産んだ李美人の侍女が怪死をとげたのだ。なんと、間の悪い。


 ――このままでは、皇后娘娘の評価がさがってしまう……。


 外廷を治めるのは皇帝。内廷を治めるのは皇后である。


 あまりにも死王騒動がふくれれば、後宮の管理者としての立場上、皇后が責任を問われかねない。政敵に追及され、廃皇后とされる可能性もないとは言い切れないのだ。


 なにせ皇帝は、皇后つまを愛していない。これさいわいと廃皇后をして、寵妃である梅婕妤しょうよを皇后に冊立してもなんらふしぎではないのだ。


 ――さて、これからどう手をうつべきか……。


 延明が思案に沈みかけたとき、手提げ灯ろうが目の前を横切った。いや、正確には、灯ろうをさげた桃花だった。

 あまりにも静かに夜の闇に馴染んでいたので、すっかり存在を忘れていた。


 桃花が高莉莉にそっと寄りそうと、高莉莉はおどろいたように彼女を見つめた。


「あなたは、たしか傛華ようかさまの侍女の……」

「はい、姫桃花です」


 おや、と延明はまたたいた。

 夜警当番は下級宮女の仕事だが、どういう理由でか月影殿げつえいでんに住む呂傛華ろようかの侍女がまぎれ込んでいたらしい。――呂は姓、傛華ようかは階級をあらわす。後宮の妃嬪である。桃花はその侍女であったようだ。


 桃花は高莉莉をなぐさめるようにそっと背に手を添えると、そのおっとりとした口調で尋ねはじめた。


「薬湯は、毎日お運びに?」

「え、ええ。毎日、夕どきに……」


 高莉莉は困惑しつつも、これに答えた。しかし桃花はこまったように小首をかしげて見せる。


「ですが、へやにあった椀はすっかり乾いていましたけれど……。あの薬湯の椀は、いつのものなのでしょう?」

「あ、あれは……、その」


 高莉莉は視線をゆらし、それから頭をたれた。


「――ごめんなさい、うそです。いえ、毎日運んでいたのは本当です。でも、それはその、四日前までで……三日前からは、運んでいませんでした」


 怖くて、と高莉莉は両手で顔を覆う。

 四日前といえば李美人の棺が暴かれた日で、三日前といえば死王のうわさが流れはじめたころあいだ。


「なるほど、病に苦しむ彼女を見て、死王のしわざではないかと恐れたわけですか」


 延明が冷ややかに笑うと、桃花がとがめるような目で延明をたしなめてきた。

 なぜだ、と不服に思う。桃花とて高莉莉の薄情を責めるためにそういう質問をしていたのではないのか。


「高さん、もうひとつききたいことが。薬湯は、運んでいただけでしたか? 飲ませてあげたりなどはなさったのでしょうか?」


 ほれ見ろ、とばかりに延明は顎をあげた。優しい口調だが、結局内容は高莉莉を責めているではないか。


 高莉莉は目いっぱいに涙をため、顔を歪ませた。「たしかに、わたしはそこまでしなかったけれど、だからどうだと……それが悪いとでもいうのっ!?」


 ここが暗闇でなかったのなら、紅潮しているのがよくわかったであろう表情だ。


「うつる病だったらみんな死ぬかもしれないのよ! 病の者は隔離する、それがふつうじゃない! その証拠に、だれもあのへやへ近づいたりなんかしなかったわ! それをわたしは危険を冒してまで薬湯を運びつづけてあげたの! なのにどうして責められなくてはならないの!? 次の夕にはちゃんと椀が空になってたんだもの、いいじゃない!」


 わっと声をあげて高莉莉が泣き伏せる。

 桃花に咎める視線を送るのは、こんどは延明の番だった。


「桃花さん、もうよしてあげなさい」

「ごめんなさい、責めるつもりはなかったのですけれど……」


 桃花が弱りきった顔で高莉莉にあやまろうとした、そのときだった。


「…………やっぱり、呪いだわ」


 かすれる声が闇夜に響いた。


 見れば、涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげて、高莉莉がすっくと立ちあがっていた。

 目に浮かんでいるのは激しいおびえだ。


「なにを言っているのです。おかしな妄言は取りしまりの対象――」

「これはやっぱり病気なんかじゃない! 風邪っぽかったのなんて、はじめだけだった! 碧林へきりんの症状はずっと異常だった! なにかに憑りつかれたようによだれをまき散らしながら笑って……身体もまるで見えないだれかにあやつられたみたいに引きつったり硬直したり、不自然なかたちになって!」

「おやめなさい! 静かに、だまって!」


 ならぶ房の戸口から、宮女たちが顔を出してこちらをみていた。


「これは死王の呪いなんです! 死王の呪いで、碧林は死んだんだわ!」


 高莉莉は頭をかきむしり、ひときわ大きく叫んだ。


「だから、あたしも呪いで殺されるのよ! まだまだ死者が出るんだわ!」



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