死王事件④


「どうしました!」


 延明が声を頼りに駆けつけたのは、まさにくだんの李美人がくらしていた殿舎、そのうしろにある、李美人つきの宮女たちがくらす棟だった。


「へ、碧林へきりんが、碧林が!」


 戸を壊す勢いでへやから飛びだしてきた女は叫び、両手で顔を覆ってその場にへたりこむ。

 すでに休んでいた宮女たちもなにごとかと集まり、彼女と、半開きになった戸のまえとを囲んでいた。


「どいてください。なかを見せて……」


 女たちをかき分けてなんとか房に滑りこむと、手に提げていた灯ろうが異様な光景を照らし出した。


 女だ。


 せまいへやのなか、年若い宮女が臥牀ねどこに横たわっていた。


 髪は乱れ、眼は半開き、口はなにかを威嚇するように歯をむき出しにしてかみしめている。姿勢は弓なりに反りかえり、その不自然な姿勢のまま身じろぎひとつしない。――ひと目ですでにこときれていると理解できる様相だった。


 しかも亡くなるまえに失禁があったのだろう、せまい房の中には夏のこもった熱気とともに、微かな異臭がただよっていた。


「これは、なにがあったのです……!」


 延明が問いただすと、やじ馬として群がっていた宮女たちがいっせいにひとりの女を見る。悲鳴をあげてこの房から飛びだしてきた女だ。


「わ、わたしは、なにも……。ただ、碧林はさいきん具合が悪くて、寝こんでいたのです。それで、ようすを見に来たら、死……死んでいて……」

「病で寝こんでいたのなら、病死ですか。――だれか、掖廷官えきていかんを呼んできてくれますか」


 宮中で下級宮女が亡くなると、掖廷官による遺体検分ののち、城外へと運びだされる。


 延明は外に出て戸を閉めた。担当官がくるまで、戸の番をしなければならない。

 やじ馬たちをへやへと帰らせ、発見者である女だけをこの場にのこす。

 女は高莉莉こうりりと名乗った。白髪が半分ほどまざった頭の、背の高い女だ。


「……あぁ、こんなことになるなんて……」

「こんなこと、ですか」

「えぇ……あの、もっとようすを見に来てあげればよかった、と」

「彼女は重い病だったのですか? なにか生薬のようなものをのんでいたようですが、それについては?」


 延明は碧林の房で、小棚のうえに置かれた椀を目ざとく見つけていた。

 なかはすっかり乾いていたが、そこにこびりついていたのは溶けきらない生薬にまちがいなかった。


 帝の側室である妃嬪ひひんや、官位に相当する号をあたえられた女官とちがい、宮女はあくまでも下働きであり、最低限の食事が与えられるのみだ。それも飢え死ぬ者がそう珍しいことではない程度のもので、ましてや薬などという高級品にありつけることはまずない。


 問うと、寝苦しいほどの夜だというのに、女は寒気をこらえるように自らの体をかき抱きながら、「あの子は下級宮女ではなく、女官です」とかすれた声で答えた。


「李美人さまの侍女だったのです。病がほかの者にうつらないようにと、あの房にこもっていただけで……」

「なるほど」


 要するにこもっていたのではなく、隔離されていたのだろう。よくある措置だ。

 うなずきながら延明は、この高莉莉もまたおなじく侍女であったのだと気がついた。宮女よりも着ているものが上等だ。生薬の椀は目ざとく見つけても、ことこういった女性の身だしなみに延明は鈍い。


「李美人はとてもお優しいかたで、わたしたち侍女がいつでも使えるようにと薬湯の材料を常備してくださっていたのです。碧林はそれをのんでいました。わたしが届けていたのです。ああ……でも、こんな……!」


 高莉莉はおびえた目で、暗闇につつまれた周囲を見まわす。


「や、やはり、死王なのですか……死王が、碧林を……?」


 ――また、ここで死王が出てくるか。

 延明は心のなかでため息をついた。


「落ちついて。大丈夫です。病だったのでしょう? ならば病死です」

「でも、あの子が不調を訴えたのは、ちょうど李美人が亡くなったころなんです……!」


 高莉莉は大きく震えた。

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