後宮の検屍妃

小野はるか

ふたりの出会い 死王事件

死王事件①


※※時代は漢王朝、検屍術は宋王朝をベースとしたフィクションです※※






「死体が、赤子を生んでいる……!」


 遠雷轟く曇天のもと、ひとつの棺を囲んでいた男たちが驚愕の悲鳴をあげた。ほうほうのていで、職務をわすれて逃げ出すものまでいる。

 がらん、と棺の蓋を抱えていた男がそれを落下させる音がきこえたが、だれも叱責しない。それどころではなかった。


「なぜだ! 棺に納めたときはたしかに妃ひとりだけであったのに!」

「そうだ、赤子は妃の腹の中、まだ七月ななつきで、産まれてくることなく身罷られた……まちがいなどない!」


 暴かれた棺のなか、無残な姿をさらして眠るのは、高貴なる女性の遺体。この帝国を治める天子が囲う、後宮のひとりであった女性だ。


 腐敗の進んだ妃の遺体、その股間には、納棺のさいには存在しなかった赤子が生まれ落ちていた。



***



 死王が生まれた。

 それは瞬く間に宮廷を席巻した怪談である。


 いわく、先だって謀殺された後宮の妃嬪が、犯人を怨んで死後に赤子の幽鬼を産み落としたのだとか。幽鬼は母の怨みを晴らすため、謀殺の首謀者をさがして夜な夜な後宮をはいずりまわっているのだという。

 また、この赤子は男児であり、生きて生まれていればいずれは王に冊封されたことから、だれともなく『死王』と呼びはじめたらしい。


 じつにくだらない――そう判じながら、孫延明そんえんめいは暗闇につつまれた宮廷を歩いていた。

 広大なる宮廷は、大まかにいえば政治的な場である外廷、そして皇帝の生活の場である内廷とに分けられる。延明が歩いているのはその後者、内廷である。

 手提げ灯ろうを掲げてあとをついてくるのは、延明の部下七名。

 向かう先は内廷の奥深く。皇帝のための女たちがくらす後宮だ。

 言うまでもなく男子禁制だが、問題ない。延明たちは性を切りとられた宦官だった。


「なぜわれらがこのようなことを……」

「まったく、後宮の宦官長はなにをしているのか」


 暗がりにおびえるように肩をすぼめながら、部下たちがぼやく。


「後宮のことは後宮でなんとかすればよいのだ。己の都合のよいときだけわれらを頼るとは」

「――口をつつしみなさい」


 ため息をつきたいのをこらえ、延明は部下たちをいさめた。


「その後宮を管理監督するのが、我らが中宮娘娘なのですよ」


 延明たちは後宮ではなく、中宮――皇后宮の宦官だった。


「しかしですよ孫尚書、普段、むこうは寵愛を盾にして、すっかり後宮を掌握しているではありませんか。中宮娘娘をさしおいて……! それを思えば、気分のいいものではありません」


 むこう、というのは寵妃――梅婕妤しょうよをはじめとする一派である。

 梅は姓、婕妤は後宮での階級をあらわす。後宮において最も位の高い妃嬪で、帝の寵厚く、いまや国母である皇后をさしおいて、後宮を実質支配下に置いていた。


 不服そうな部下にたいして、延明は〝皇后のお気に入り〟と揶揄されるほどの柔らかな美貌でほほ笑んで見せた。


「けっこうではありませんか。その寵妃がこうして娘娘の手にすがるしかないと思うと、これほど愉快なことはありませんね」

「た、たしかにそれはそうですが」

「さあ、つきましたよ」


 延明はそびえる後宮の門を見あげた。

 後宮十四区、四千の美姫をかこう、あるいは閉じこめるための門は高く厚い。

 側門をくぐってなかに足を踏み入れれば、門の内側から、真夏の夜特有のぬるく湿った空気が、肌をやわらかくなでるようにぬけていった。

 だれかがごくりとのどを鳴らす。延明は、尻込みするように足をにぶらせる部下たちを叱咤した。


「よいですか、幽鬼などいません。死王などくだらない。李美人は病死だったのです」


 死王を産み落としたとされる妃嬪の名を、李美人という。李が姓、美人は階級をあらわす。

 彼女は懐妊から七月での死であったが、これに不審なところはなかったと医官による検屍結果が出ていた。すなわち、毒症状や外傷はなかった、と。


 子を身ごもった妃嬪が謀殺されるなど珍しくもない話ではあるが、それ以上に珍しくないのが妊娠出産にともなう死である。李美人は以前から妊娠中毒による全身浮腫や、はげしい動悸が確認されていた。


「われらが怯えているようでは、しめしがつきません。もっとしゃんとなさい」


 背筋をのばさせ、先を急ぐ。

 ほどなくして、待ちあわせの場所に到着した。集っているのは今夜の夜警を担当する宮女たち。だれもがみな、青い顔をして身をよせあっていた。彼女たちが逃げ出さぬよう目を光らせているのは、大柄な後宮宦官だ。


「お待ちしておりました、孫尚書」

「――六人、ですか」


 宮女たちを見回して、延明は形のよい眉をよせた。

 本来であれば二人を一組として七組、計十四名が既定の人数となっているはずだった。怪談が出まわって以来、自称急病などで欠席するものが多いとはきいていたが、これほどとは思っていなかった。延明が連れてきた部下は七名で、これでは一名足りない。


「では、あなたも参加してください」

「えっ、じ、自分ですか……!?」


 延明が後宮宦官に言うと、彼も死王などという怪談を信じているのか、顔をこわばらせた。


「ほかにだれがいる、と?」


 怯えきった相手の目は、いかにも「あなたがいるじゃないですか」とでも言いたそうにしていたが、延明はこれを無言の笑顔で切り捨てた。延明にはほかに仕事がある。重要な任務だ。


「さあ、担当区の割りふりをしますよ。まず、女性だけでは不安でしょうから、女性一人に対して私の部下をひとりつけましょう」


 宮女と部下を組ませ、六組。そしてのこりは宦官どうしで一組をつくる。


「そして担当する区ですが、まずは一区とそこに隣接する三区から――」


 と、手短に決めようとしたところで、金切り声があがった。


「ど、どうか! どうか婕妤しょうよさまのところだけはご勘弁くださいませ!」

「わたくしも、どんなに遠くてもかまいません、しかし一区だけは……!」


 延明は面食らった。宮女たちは怯えた顔で首をふっている。


「どうかお慈悲を……。死王の目撃情報は、一区がもっとも多いのです……!」

「ほかのどこでも文句は申しません、しかし、どうか婕妤さまのところだけは!」


 なるほど、と延明はあきれ半分に彼女たちを眺めた。

 うわさでは、死王は謀殺の首謀者をさがして後宮内をさまよっているのだという。そして、宮女たちがその首謀者であろうと勝手に目算をつけているのが、一区の梅婕妤なわけだ。


 たしかに梅婕妤は亡くなった李美人をいじめていたことで有名だから、そう思われても無理もないかもしれない。

 実際、梅婕妤本人ですら心当たりがありすぎて、帝の枕席に侍ったさいに「助けてほしい」と嘆願するほどに死王を恐れている。


 ちなみにこの際、強がりを見せたのか、それとも復讐される心あたりなどないと帝に対してしめしたかったのか、彼女は「死王の手から助けてほしい。幽鬼を祓ってほしい」とは言わなかった。もっともらしく取り澄まし、「宮女たちが死王を恐れるあまり、夜警がままならない。宮女たちのためにも、後宮のためにもこれを助けてほしい」などとのたまったのだという。


 おかげで帝は言葉をそのままに受け止め、梅婕妤の殿舎からの帰りに中宮へと立ち寄り、皇后にたいして後宮の夜警支援を命じ、いまに至るというわけだ。

 幽鬼を祓う、あるいは鎮めるための巫人の手配は一切していない。


 ――どうしたものか。


 延明としては、皇后の敵対勢力である梅婕妤がおびえているというだけで、小気味のよい事態だ。怪談におひれはひれがついて、彼女が恐怖のあまりおとなしくなってくれれば大歓迎とすら思っている。

 むしろ本当に死王などというものが存在して、梅婕妤を冥府へと連れ去ってくれるのならば、それに越したことはないくらいだ。


 しかし、帝が皇后に夜警の支援を命じた以上、そうも言ってはいられない。

 夜警でなにか不手際があれば、評価が落ちるのは皇后である。夜警は完璧に実施させなくてはならない。途中で宮女が逃げ出すなど、もってのほかだ。


「よいですか、みなさん。李美人は病死です。死王などという幽鬼は存在しないのですから、安心なさい」

「ですが尚書、目撃者がたくさんいるのです!」

「それは幽鬼がいると思いこんでいるから、風にゆれる柳の枝すら幽鬼に見えてしまうだけですよ」


 なるべく穏やかな表情、穏やかな声音で語りかけたが、効果はうすかったようだ。宮女たちはそれ以上の反論をしてはこなかったが、顔からおびえが消えることはなかった。


「……困りましたね。一区はかならず宮女をよこすようにと命じられています。あなたがたには申しわけありませんが、宦官組を担当させるわけにはいかないのです」


 正確には、「中宮の手先を入れるな」との梅婕妤よりのお達しだった。しかし宮女だけで行かせて、おびえのあまり不手際があっては困る。折衷案として宮女と宦官の組みあわせで行かせようと思っていたのだが、この様子では途中で逃げ帰るなりして問題をおこしかねない。


 ――おや……?


 思案しつつ宮女たちを見まわして、延明はふとひとりの娘に目が留まった。

 身をよせあう宮女たちのうしろ、目だたぬところでずっとうつむいている娘がいる。彼女もおびえているのかと思っていたが、どうやらちがうようだ。


 ――ね、寝てる……?


 その娘は立ったまま目を閉じて、こっくりこっくりと舟をこいでいた。




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