シャングリラ

シャングリラ ~01~

 侍従じじゅうと聞いたので、メイドか何かかと思ったらそうではなかった。

 シャルルに腕を引っ張られ、中央広場で待っていた馬車に乗せられた。相変わらずシャルルは尊大で、亜子が必死に決意したというのに「そうか」で終わってしまった。

(王子様ってなにを考えてるのかわかんないなー)

 ぼんやりそう思っていたら、マーテットも乗り込んできた。助手にならなかった亜子を見て、溜息ためいきをつく。

(わ、わざとらしい……)

 半眼はんがんになる亜子の横に座った途端、馬車が走り出す。

「でも侍従ったって、良家のお嬢さんでもねーのに無理でしょうよ。オッスの旦那でも、説得ムリムリ」

 ぱたぱたと手を振るマーテットの言葉に亜子はハッとする。そうだ。ここは階級社会なのだ。

 頬杖ほおづえをつくシャルルは冷たい眼差しをマーテットに向ける。

「アガットには、余の護衛になってもらう」

「はあ!?」

 仰天したマーテットの隣で、亜子も驚愕する。

「え? ええ? アトに護衛? それこそ無茶っスよぉ!」

「いつまでもデライエを余につかせておく意味もあるまい。余は余の騎士を持つべきだ」

「騎士なんてもん……古代のものじゃないかよ」

 文句を言うマーテットの横で、亜子は小さくうなる。

「殿下、あたしに護衛ができるとは思えません」

「なぜ?」

「え、だ、だってあたし……訓練もされてないし……」

「なら訓練すればいいだけだ」

「ええっ!?」

 マーテットと声がそろった。丸眼鏡を押し上げてマーテットは苦りきった表情になる。

「ファルシオンを呼び戻せ」

 シャルルの命令に、マーテットは完全に項垂うなだれた。



 シャルルが滞在している屋敷へと連れて来られた亜子は、まず湯浴ゆあみをさせられた。

 そして新たな衣服が用意された。

「…………」

 服を見て、亜子は不思議そうになる。軍服に似ているが、違う。短いズボンだし、色も黒と赤を基調にしたものだ。

 下着はさすがに亜子の世界のものと同じものはないので、胸当てらしきものを胸元に巻く。その上に開襟かいきんシャツを着込み、与えられた衣服を身につけた。

 窮屈きゅうくつな衣服だとは思ったが、制服と思えば我慢もできた。

(なんかちょっとかっこいいな。あたしには似合ってないかも)

 照れたようにしながら脱衣所を出て、メイドたちに案内されるままにシャルルの待つ部屋に向かう。

 しかし本当に広い。ここは王宮ではないというのだから、目眩めまいがする。

 続きの間で待っていると、許可が下りて亜子は部屋に入った。

 長椅子に腰掛けて読書をしているシャルルがそこにはいる。

「殿下、お待たせしました」

 恥ずかしくて、ちょっと大声で言ってしまうと彼はこちらをちらりと見て、すぐに興味を失ったように「ああ」とつぶやく。

(えっと……どうしたらいいのかな……)

 室内を見回す。どこも豪華絢爛ごうかけんらんで、高そうなものばかりが飾られている。なんだか見るのも申し訳ない気分になる。

「ん」

 いきなりの声にハッとしてそちらを向く、投げつけられたものを瞬時に片手で受け取る。

 亜子は手の中のものを見下ろし、驚いた。それは細身の剣だった。

「で、殿下、あたしは剣は使えません」

「で、あろうな」

「どうして……」

「一応持っておけ。格好かっこうがつかぬだろ」

 体面たいめんたもてという意味だとは察しがついた。亜子は慣れない手つきで腰に剣をく。

 とてもではないが、自分では扱えそうにない。

「ナイフのほうがいいかな……」

 ぼそりとらした途端、またなにかを軽く投げられた。キャッチするとそれは見事な装飾をされた短刀だった。

「護身用だ。持っておけ」

「で、でも殿下。これは殿下の持ち物では……?」

「余のものを、余がどうしようが、余の自由だろう?」

「そ、それは……そうですが……」

 彼の視線はずっと本にさだめられている。どうしよう……と困っていると、ふいにシャルルの視線を感じた。

「アガット」

「は、はい!」

 なにか用事だろうか。気合いを入れなければ!

 亜子が勢いよく返事をすると、シャルルはふいに珍しそうな表情になり、意地悪く笑った。

(ん?)

 なにいまの笑顔。

「緊張せずともよい。おまえは余のそばにいるだけでよいのだからな」

「え?」

「なにかしろとは言わぬ」

「いえ、それは、ちょ」

「なんだ? なにかしたいのか?」

「…………」

 ぽかんとしていると、亜子はもじもじしてしまう。することがないというのは、少し……というか、かなり苦痛だ。

「ではそこに座れ」

 言われるままに、一人掛け用の椅子に腰掛ける。ふわふわの座り心地で、亜子はびくっと身をすくめる。

 その様子にシャルルは「ハハッ」と楽しそうに笑った。

「おまえの反応は面白い」

「で、殿下が座れと言ったんですよ?」

「ではそのまま休め」

「は?」

「休めと言ったのだ。本を読んでも良い。許す」

 くっくっくと笑うシャルルに亜子は顔を赤くする。

「……からかってますか、殿下」

「からかっているように見えるか?」

 ツンとまして言われ、亜子はぐっと黙るしかない。

 休めと言われてどうやって休めばいいのか……。亜子は軽く嘆息してから室内をもう一度見回す。

 ここは彼の自室のようなものらしい。この屋敷ではおもにここに滞在しているということだ。

(護衛ってことは、警護する人なんだよね。よくわからないけど、そういう風に振る回らなくっちゃ)

 いくらなんでも無茶だとは思うが、それでもやってみるしかない。6日間だけの護衛役なのだ。

 あれこれ考えていると頭痛がしてきて、次第にうとうとしてしまう。そういえば……最近まともに寝ていなかった。

(まずい……寝ちゃいそう……)

 何度か首を振ったり、足を踏んでみたり、指を引っ張ったりしてみたが、それでも眠気が襲ってくる。

 亜子は必死に抵抗しながらも、眠りの世界へと誘われてしまった。



 ようやく眠った亜子に、シャルルは目配せをして本を閉じる。

 立ち上がり、メイドを呼んだ。

「毛布を持て」

「かしこまりました」

 メイド長である女性は眠っている亜子の姿に険しい視線を送るが、すぐさま無表情に戻ってシャルルを見た。

「殿下、この娘をどうするおつもりですか」

「……余に意見するか」

 冷たい声にメイド長のレラがぎくっとしたように身をすくめた。皇族に意見など、していいはずもない。

「失礼いたしました」

 引き下がったメイド長を見遣り、シャルルは再び長椅子に腰掛けはせず、亜子に近づいて顔をのぞき込む。

「ぷっ。間抜けな顔だな」

 くうくうと寝息をたてている亜子から離れ、シャルルは真面目な表情でつぶやく。

「確かにトリッパーの護衛など、酔狂すぎる。だが余は決めたのだ」

 彼の命を亜子は反射的に救った。彼女は鍛えればそれなりの戦士になる。

 そのことが、きっと彼女にはいいはずだ。己の身を守れなくては、トリッパーは生きてはいけない。

「今は眠れ……アガット。目が覚めたら、おまえは余とともに歩かねばならん。その決断まで」



 目を覚ました亜子は、長椅子で読書をしているシャルルに焦点を合わせ、毛布がかけられていることにぎょっとした。

(あ、あた、あたしっ……! 眠っちゃってた!)

 なんたる失態!

 亜子は慌てて立ち上がって、毛布をたたんで椅子に置く。シャルルはまったく気にした様子もなかった。

「す、すみません……殿下」

「なにがだ」

 ぱらり、とページをめくりながらシャルルが返してくる。

「ね、眠っちゃって……その……」

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