第29話幼少期の体験が

後の人格形成に大きな影響を与えている。とは、心理学者がよく話す。

最近は、公認心理士以外の民間の団体によるカウンセラー試験及び講座を修了し、カウンセラーを名乗る人が有名、無名関わらず、多くいる。


胡散臭い、怪しいな、そう感じる人も私にはちらほら、最近になり、私も、他の人の話を読んだり、テレビの特集を注意して見たりしていて、よくぞ、ここまで言葉に出来たなと、驚いてしまうような虐待の描写がある。


なんだか、第三者を眺めているような、しかし、本人は怯えていたと、いわゆる毒親ですねと自らは言うが、これを第三者から指摘されたら、かなり、反発するであろう。

なぜなら、その毒の血が自分にも流れている、いつかは自分もああなる、不安である、毒親を否定されたことは自らの否定とも受けとることができる、こんな方程式が成り立つのではないだろうか、だから、自分を否定された、人格を否定されたと解釈して、反発する。


自分だけは、受け止めてほしいから、心理学者はこれを、承認欲求と呼ぶのかもしれない。言葉などどうでもよい、どんな親であろうと親には変わりない、それでもなんとか、受け入れたい、自らの願望もあるように感じる。


虐待の連鎖は断ちきらないと続く、何故なら他に、自身と接してもらえた記憶がないから。

親が接してくれたのは、自分への暴力と暴言だけである、これだからではないか?

だから、いくら、良い親になろうと育児教科書を読んでも、実際には逆のことをしてしまう。

本からは、人と人の微妙な心理変化、感情の機微は掴めないからだ。


運良く、自身が接してきた毒親、経験した虐待とは無縁のまるで仏のような人物と出会ったとしよう。これを機会に自らも人と関わることを始めなくては、些細なことから、口論になり、結果、虐待になる。

自らはうつ病になる、統合失調になる、などなど、弊害が起きる。


病のメカニズムというか、自らの心の心電図を見つめると、変化してくる。

病だけを見てはいけない、その人を見なくてはいけない。

だから、虐待したらどうしよう、とか深く考えない、この訓練は大事です。


何故かと言うと、私も、虐待されたわけではないが、子育て、これには完璧を求めてしまうし、底辺高校に通うようなろくでなしになってはいけない、礼儀は欠いてはいけない、何かと厳しすぎるくらい厳しくしてしまう、という怖さがあったからなのです。

だから、私は子供を望まなかった。


ましてや、跡継ぎ希望などという場所には行きたくない、ならば、おひとりさま、上等だと、考えていたのです。

そこまで、配偶者が、協力的であるとか、人格的に穏やかであるなどなど、期待していなかったから、いや、中学生の頃の一件もあり、恐怖でしかなかった、異性に対して。


だから、中性的な人しか未だに受け入れたくない。そんな感情はある。

あの人かっこいいね、と、客観的に見ることは平気だし、あんな風に綺麗にしていたいと、自分磨きをする、これは良いのだが、配偶者となると、距離を置きたくなった。


こんな感じでした、人生。しかし、他の人の話を読むうちに、私と似たような人生の川の流れを感じたから、このままでは、私は楽しくない❗️信じないなら信じなくていい、だけど、私だけは信じたい、そう強く感じたのです。


第三者の話を面白く他人だからとは読めずに、背景や心情が目に浮かび、切なくなり、いたたまれなくなって、と、同時に私の魂静に、鎮めてあげたいと、なんだか、修行を終えた徳のある僧侶のような気持ちで、今は、あれ?近隣は家庭内暴力を疑いたくなる、叫び声が週末に聞こえて、朝から晩まで何かを打ち付けるような音がして、外では暴走族のバイクの爆音、これじゃ、死ぬわと思い込む。


終わりだなと悟ったから急に僧侶の心境になれたのか、不思議な今なのです。

これをしたら、必ずうつが治りますとか、精神疾患がなくなります、対人関係抜群です、そんなのは、一つもありません。

自分にあった生き方を見つけることで、疾患とされていたものが、疾患ではなく、まさに、個性であると言えるのです。


それには答えがない、何冊、ハウツー本を買い集めても、答えはありません。

たくさんの費用が自らの帳簿に増えた、本という資産が増えた、だけなのです。

利益、何でしょうねぇ、私には、ありませんとしか言えなくて。


ただ、方法をいち早く紹介したもの勝ち、なだけかなと。別に、何とかカウンセラー達の批判はしていませんよ、相手にしてません、鵜呑みにしないでね、が、伝えたいだけなのです。

これさえすれば、なんとやら、あれが本当なら私はこんなに長く悩んでいただろうか。


物事を哲学的に捉えるほどに、複雑な連立方程式を産み出してしまう。

バカになれ、鈍感になれ、そうすれば、ただの足し算だった話なのかも知れないのだ。

はぁ、バカ真面目は我ながら面倒で疲れました。

開き直ったが勝ちだわね、納得です。


しかし、開き直ることが出来ずに今日も、哲学をする。それが、私なんだなぁと感じながら、しかし、疲れる、毎度の肩凝りと頭痛は治らない。


ということで、何が言いたいかと言うと、言葉に惑わされないで、暗示をかけないで、なんです。

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