第15話経理部を追われる日

遂に来ました。

泣いたというより、ほぼほぼ怨念。

癒えないままの見切り発車な新生活、近隣の騒音に毎日悩まされているが、不動産やに言えば、神経質、あなたの家も、強風なのに竿が出したままで、落ちてきてうるさくて、子供が泣き止まないんですけど‼️など、言われては完敗である。

もう、言葉にならない、涙も出ない、唖然とは、これなんだ、と分かった。


そう、私は繊細で神経質だ、そのわりにガリガリではない。神経質イメージは、ガリガリの骸骨みたいな、だと思うが、そうではない。メンタル系?と行き着いてしまう。

挙げ句に知人の家族に、心療内科通院歴が知られたら、私はただの気違いじゃない、と、訳のわからない方程式が出来上がっていた。


全てがこうでした。心療内科通院歴=気違い、知られたら私の将来はなくなる。という思考の方程式、しかも、しかも、一時期は障害者だったよね?なんだか、会社が刑務所のように毎日毎日感じていました。

ただ、これだけを知られるのを恐れて私は小さくなっていました。

よーく考えよう、繊細な性格、完璧主義、バカ真面目、鬱を培養するには最適な環境、整いました。

おかしいな、気づいたから心療内科に行き着いたんだよね?誰から言われたわけでなく、強制的でもなく、入院、しましたよ、自分から。

自分で気づきました、病院行きました、治療してます、状態は今は見違えます、あ、私はふつーの、悩める凡人、俗人だった、だけじゃない。

精神障害者です、って何を血迷いましたか?自ら申請する気違いが居ますか?


私は私のおかしな思考回路にようやく、気づいたのです。

こんなでしたから、娘を思う親からでさえも、暴言が出る、言いたくないけど言わせてもらうから❗️そうなりますよね。

それまでは、誰も私に気づいてくれない、分かってくれない、毒親だ、クソ会社のアホ課長、みんなみんな、ふざけるな❗️としか、思えませんでした。


確かに、約3年で同じ部署からは10人辞めて、新しい部長が来てから空気が暗くなった、障害者新人が来てから更におかしくなった、疫病神め、社内もギスギスしている、クソ会社ではあったのかも知れない。

だって、あんなに真面目に働いていた私を、ある日いきなり、自宅謹慎通告のA4サイズの紙切れ渡して、部署のメンバーと仲良く出来ない、業務は生意気に拒否する、と、客観的でも、正当でもない理由で追い出したのですから。


私は、黙らなかったのです。腸煮えくり返り

追い出された足で労働相談に駆け込み、そこで紹介された、民間の労働組合に行き、処分撤回を争うことにしたのです。

が、しかし、これ、時間かかります、蓄え不十分だと持ちません、裁判所に駆け込む、労働基準監督局に駆け込む、が、良かったのです。

組合加入費用に、最終的に和解した後の8%

手数料で、取られましたし。

私が会社に負けたのです、私が訴えを取り下げたのです。

長引くことによる私の経済が困窮したからでした。

なんともお粗末な話でした。

組合は、あと1ヶ月待てば、1年分の給与が取れる、だから、待て、と、確かにお金は喉から手が出るくらい欲しかった、自転車操業な私でしたから。


しかし、私は不当な解雇に対しての処分撤回、それに伴う給与補償を求めていたのに

信用していた組合だった、ガッカリしたのが大きかったです。

そりゃ、お金が入れば、あれしたい、これしたい、取らぬ狸の皮算用、しましたよ、私は。

バカでした、結局1ヶ月分の給与が支払われたのみで、しかも、話し合いの時には、ないこと、ないことを会社の人事部と、顧問弁護士から言われて、本当に気違いに、なるかと思いました。


細かく何時何分に、私さんは課長にこれこれを言いました、新人が、これこれを私さんに訴えて、障害が悪化しました、私さんは故意に、会社に損失を与えました。

時系列で、二時間話されました。

あれは、キツかったです。

取り調べというのか、一方的で、症状悪化したの、新人だけじゃありませんけどー、でした。

私が「障害者」でいたなら、こうはならなかった、「健常者」に戻ったから、だったのだと、私は思っています。

えー、健常者ハラスメントですかー?無償で障害者指導していたんですけどー、もう、怨念、でしたね、韓国ドラマの復讐劇のような。


「お前の責任であたしの人生めちゃくちゃだよ❗️次の仕事の履歴に経理経験として、堂々と書くつもりが、台無しだよ、お前らみんな不幸になれ❗️」こんな気持ちを毎日毎日抱えていました。

「主治医の診断書出しただろ、なのに、様子見ましょう、まだ、障害者でいてください。人事部、そう言ったよね?障害者だから、簡単な作業しか、させていなかった、健常者なんだから、正社員と同じこと出来ないとおかしいよね?言ったよね‼️はぁ?ふざけんな‼️」というのが、私の素直な気持ちでした。私が入社したとき、腫れ物だったかも知れない、1ヶ月くらい、座席も離れていたし、誰とも会話してなくて、でも、前にいた部長は、折を見て私さんの席を変えるつもりでいたし、変えますと、2ヶ月目にはみんなと同じになり、話もするようになりました。


上司が変わればルールも変わる、会社あるあるです、頭で分かりつつも、私には特別扱い無かったのに、新人障害者には、手厚い、それが、私には更なる怨みでした。

おとなしくて、黙ってこなしてしまうと、バカを見る❗️そう、私は怒りに満ちていました。やっぱり頑張ったちゃんで、悲劇の人、でした。承認欲求、あー、ありますよ❗️ありますとも、誰からでもいい、気に入られたい、そうでしたよ❗️

逆ギレのようではあるが、ここに、気付き、弱い私を受け止めようと、ようやく、決心しました。


暴言、吐いていました、私が気分を害したように、私に害された人もいたと思います、全ての出来事は、その、仕返しだったの?と、またこれ、厄介な思考が同時に起きました。

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