第二話 ガラスの心臓(恋愛)
第2話 ガラスの心臓(前編)
〜十六歳の誕生日〜
十年前、わたしは魔法使いに会った。
魔法使いは言った。
「十六さいの誕生日に、君の心臓はくだけちる。それが、僕のかけた魔法だよ」と。
彼の住む森には、ふだん、誰も近寄らない。
大人も、みんな、そこには近よっちゃダメと言う。
ずっと昔、そこにはサナトリウムがあったという話だ。
その場所をどこかの物好きな金持ちが買いとったのだとか。
十年前のわたしは六さい。
とうぜん、サナトリウムなんて言葉の意味は、わかってない。
ただ、大人が行くなという場所に、何かわからないけど、ミステリアスなものを感じていた。
あの日は、わたしの誕生日。
うちは共働きの核家族で、誕生日を祝ってくれる人は、誰もいなかった。
よそのうちみたいに、お友だちを家に呼んでパーティーをひらいてもらえないことに、すねていた。
わたしは、だから、わざと大人が行くなという森に入っていった。
森のなかは薄暗かった。
背の高い木々が空をおおい、どこかから不気味な鳥の鳴き声が聞こえる。
わたしは入口で、早くも、ひるんでいた。
やっぱり、帰ろうか。
お母さんが六時には帰ってくるから。
うちで、おとなしく宿題でもしてようか?
そう思って、ひきかえそうとした。
そのときだ。
わたしは、彼と出会ってしまった。
わたしの魔法使い。
黒い髪。黒い瞳。黒い服。
純白の肌の少年。
彼は、わたしより、だいぶ年上のようだ。
中学生か、高校生のお兄さん——そんな感じ。
木洩れ日をあびて、彼はシラカバの木に、もたれていた。なんだか、日差しに溶けてしまいそうだ。
妖精を見たと思った。
その人が、あまりにも美しいので、物語の一場面のように思えた。
見つめていると、彼が、わたしに気づいた
ゆっくり、手招きをする。
わたしは、このとき、すでに魔法をかけられていたのかもしれない。
「こっちにおいでよ。お話をしよう」
わたしは吸いよせられるように近づいていった。
近くで見ると、彼はほんとうに美しかった。
長いまつげが金色の木洩れ日を受け、濃い影をほおに落とす。
「君、名前は?」
「アリサ」
「アリサは聞かなかった? この森には近づいちゃいけないって」
「聞いたよ」
「じゃあ、なんで来たの?」
「だって……」
わたしは、たどたどしい言葉で訴えた。今日が誕生日で、ひとりぼっちで家にいるのが、さみしかったのだと。
彼はだまって聞いていた。
やがて、わたしが話し終えると、彼は笑った。
どこか、さみしげな笑みだ。
「今日はアリサの誕生日なんだ。いいよ。おいで。僕のおうちでパーティーをしよう」
彼はわたしの手をとった。
わたしは嬉しくなって、彼についていった。
彼の家は、とても大きなお屋敷だった。
もとは、サナトリウムというやつだ。
大きな家だけど、庭は荒れていて、人影もない。
「ここがお兄ちゃんのおうち?」
「そうだよ」
「おうちの人は?」
「いないよ」
手をひかれたまま、門をくぐる。
敷石された広いプロムナード。
ニレの並木道。
レンガ造りの建物が見えた。
遠くのほうに男の人がいた。
髪の黄色い、背の高い男の人だ。
「あの人は? おうちの人じゃないの?」
「あれは、エンバーマーだよ」
もちろん、意味なんてわからない。
彼の口調から家族ではないらしいと思っただけだ。
「さあ、おいで。でも、ごめんね。今日がアリサの誕生日だと知らなかったから。ケーキはないよ」
「ええっ、ないのぉー?」
「次のときには用意しとくよ」
「うん」
「かわりにビスケットをあげよう。チョコレートもあるよ」
「うん!」
わたしが案内されたのは、裏口から入ったキッチンだ。
彼が自分でお湯をわかし、紅茶をいれてくれた。
りんごの匂いのする甘い紅茶。
ビスケットやチョコレートが棚のカンのなかから、とりだされる。
「ごめんね。こんなものしかなくて。お誕生日、おめでとう。アリサ」
「ありがとう」
質素なパーティーだけど、わたしはとても嬉しかった。
それは、わたしの生まれて初めての誕生会。
わたしのとなりには妖精のように、きれいな人がいる。
それだけでうれしかった。
「ねえ。お兄ちゃんは、なんで、こんなところに住んでるの?」
「それはね。僕が魔法使いだからだよ」
「魔法が使えるの?」
「使えるよ」
「どんな魔法? ねえ、見せて。見せて」
彼は、いろんな魔法を見せてくれた。
水の入ったコップをさかさにしても、水のこぼれない魔法とか。クッキーが二枚に増える魔法とか。
白いハツカネズミが、彼の言うことをなんでもきく魔法とか。
楽しかった。
日が暮れるのは、あっというまだった。
わたしたちの楽しい時間は、悪い魔女にジャマされた。
「まあ、ぼっちゃん! ダメですよ。こんなところで。早くベッドに入ってくださいまし。わたしが叱られますから」
とつぜん入ってきた、おばあさんの魔女に見つかった。彼はわたしの手をひいて逃げだした。
「あいつは僕を監視してる魔女だよ」
少し走っただけなのに、彼は青い顔で、今にも倒れそう。
「だいじょうぶ?」
「心配ないよ。まだ、そのときじゃない」
彼はポケットからビンをだして、薬をガリガリ、かじりだした。
わたしは、とても怖くなった。彼をかんし(かんしって、なに?)してる魔女も、彼のようすが普通じゃないのも、なにもかもが恐ろしい。
彼の呼吸が、しだいに、ととのってくる。
顔色もよくなった。
「ねえ。お兄ちゃんは病気なの? 魔法で病気を治せないの?」
「それができないんだよ。僕は見習いの魔法使いだから。でも、心臓をとりかえたら……」
言いかけて、彼はだまりこんだ。
そして、急に泣きだした。
わたしは困りはてた。
自分より年上の人が、こんなふうに泣くなんて。
なにをどうしたらいいのか、わからない。
ただ、うろたえながら、彼の手をにぎっていた。
日がかげっていく。
赤い血のような夕日が、黒雲のなかに沈む。
わたしはそわそわした。
もう帰らないと、お母さんにしかられる。
彼は泣きやんで、わたしを見つめた。
「ねえ、約束してよ。アリサ」
「うん。なに?」
「十年後の今日、ここに来て。そのとき、君は十六さい。今の僕と同じ年だ。そのとき、もう一度、君の誕生パーティーをしよう。今度はケーキを用意して待ってるから」
「うん」
そわそわする、わたしの腕を、彼は怖いような強い力でにぎりしめる。
「いいね? 君に魔法をかけたから。君の心臓は十六さいになったとき、くだけちる。その魔法をとくことができるのは、僕だけだ」
わたしは恐ろしくなって、何度も、うなずいた。
さっきまで優しかったのに。
今は、この美しい魔法使いがとても怖い。
「いいね? かならず来るんだよ?」
「うん。約束するよ」
そう言うと、やっと手をはなしてくれた。
わたしは逃げるように走りだした。
心臓がドキドキしている。
怖い。
でも、なんだろう?
わたしの手をはなすとき、魔法使いの目がとても悲しげだった……ような?
すがりつくような、忘れられない目をしていた。
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