第23話 塩析

「おおっ!」


 蔵に立ち入った初は、感嘆の声をあげた。


 巨大な蔵だった。内部は、学校の教室二つ分くらいはあるだろう。

 背の高い棚がずらりと並べられ、そこに収まりきらなかった品物が、無造作に床へと転がされている。


「どうです、見事なものでしょう? わが紀州屋の自慢の品々でございます」


 目を丸くする初に、青海は誇らしげに胸を張った。


「明の工人や青涯和尚より、さまざまな品の注文がありましてな。どのような要求にも応えられるよう手を尽くしておりましたら、このような形に」

「あの白い粉が石灰ですか?」

「ええ。それからあちらは、石灰を一度焼いたもの。その隣は、焼いた石灰に水を加えたもの。そちらは、海藻を煮詰めた汁から採れたものでして」


 生石灰に消石灰、ソーダ灰まであるのか。


 それだけではない。


 木炭を作る過程で採れる木酢液や木クレオソール。石鹸作りの副産物として得られるグリセリン。酒の醸造と並行して生産されるエタノール、消毒に仕えるレベルのアルコール。


「すごい……」


 ここは、化学薬品の宝庫だ。まさかこの時代に、これだけの物資が見られるなんて。


「すべて青涯和尚の知識をもとに作ったものでございます。あれは農地を良くする薬、こちらは玻璃の材料になりましてな。いやはや、和尚様の知恵には、いまだ驚かされてばかりでして」

「あのぅ……それで、石鹸のほうは?」


 鹿野の声に我に返った初は、棚から消石灰とソーダ灰を手に取った。


 青海に厨を借り、竈に鍋を置いて薪をくべる。


 桶の廃油を布で漉し、不純物を取り除く。


 ろ過した油を鍋に注いだ初は、蔵で見つけたヤシ油を少量、廃油に加えた。ヤシ油に含まれるミリスチン酸は、石鹸の改質剤になるのだ。


「こいつは、劇薬だからな。直接、手で触るなよ」

「へ、へい!」


 もう一つの鍋に水を張り、消石灰とソーダ灰を少しずつ入れながら混ぜる。


 これで苛性ソーダが出来るはずだ。


 消石灰と反応した水が熱を持ち、異臭が漂い始めたため、初は蒸気を吸い込まないよう口に手拭いを当てた。


 しまった。眼鏡と手袋を忘れていた。


 仕方ないので、青海からボロ布を借りて手に巻き付け、鍋からなるべく顔を離して作業を続ける。


 温まってきた廃油に、苛性ソーダを少量ずつ加えながら混ぜる。

 四半刻(三十分)ほど経った頃、苛性ソーダと反応した油が鹸化し、マッシュポテトのような塊が、ふつふつと浮かんできた。


「ここで塩を入れる」


 言いながら、初は正確に測った塩を少量ずつ、何回かに分けて鍋に加えた。


 塩析と呼ばれる工程だ。石鹸のような有機化合物は、高濃度の塩水には溶解しない。対して、廃油に含まれる汚れは水に溶けだすので、石鹸から不純物を取り除けるというわけだ。


 石鹸分が分離して浮かび上がってきたので、そのまま十分ほど沸騰しないように加熱。その後、石鹸分だけをお玉で取り除くと、鍋の底には真っ茶色な水が溜まっていた。


「これが油の汚れだ。お前が売ってた石鹸は、これをそのまま身体に塗りたくってたんだぞ」

「はえ~、こりゃあ身体に悪そうですねぇ」

「他人事みたいに言ってんじゃねぇよ。ほれ、もう一回行くぞ」


 取り除いた石鹸分を再びお湯に溶かして、塩を加える。


 同じ工程を合計三回繰り返し、最後に塩抜きのためにお湯で茹でてから、石鹸分を器に取り分けた。


「これで、塩析の完了だ。あとは、このまま冷やし固めて」

「売ればいいわけですね? いやあ、いい方法を教えてもらった……」

「まだだ馬鹿野郎」

「ぎゃふんっ!」


 薪で一発ぶん殴ってから、初は額の汗をぬぐった。


「この状態じゃ、まだ反応しきってないアルカリ分があるから、危なくて使えねぇよ。少なくとも、ひと月は風通しのいい場所に置いて寝かせろ。それでアルカリと水分がなくなったら、売って良し」

「で、でも、そんなに待ってたら、おまんまの食い上げになっちまいますよ」

「だから、お前はダメなんだ、馬鹿野郎!」


 薪と見せかけて、前蹴りを入れる。

 防ぎ損ねた鹿野は、顔に草履の跡を付けながら転がった。


「いいか? 安物の石鹸なんか、いくら売ったところで高が知れてる。この商売は、お前ひとりでやってるんだろ? なら、作れる石鹸の数だって限られてるんだ。それでも稼ぎを出そうと思ったら、石鹸一個当たりの値段を上げるしかない。そのために必要なのは、付加価値だ」


 鹿野は、ぽかんとしている。


 これはわかってないな。初は、鹿野を正座させ、懇切丁寧に説明してやった。


「石鹸なんて、安宅荘ではありふれてるんだ。そこら辺の店に行けば、誰だって買える。お前は、安価な石鹸を作ることで、他の店と差別化を図ろうとしたのかもしれんが、それは間違いだ。特に、お前みたいな零細業者がそれをやったら、間違いなくじり貧になるぞ」


 現代でも、似たような事例はそこらじゅうにある。初はそういう会社を、いくつも目にしてきた。


 競合他社に対抗するため、安易に値下げを行った結果、赤字に転落した靴下製造業者。メーカーから無茶なコストカットを要求され、困窮した鉄工所。薄利多売の経営形態が破綻し、利益の減少によって倒産した雑貨店。


 どれも末路は、悲惨なものだった。


「薄利多売っていうのは、大店のやり方だ。お前みたいな零細業者は、その逆をいかないと必ず負ける。お前が目指すべきは、厚利小売こうりしょうばい。多少値段が高くとも、これなら絶対に買いたいと思わせる商品を用意しろ。そうすれば、お前は必ず生き残れる。大規模な資本の上に胡坐をかいて、上から目線で指図してくるメーカーの連中を、ぎゃふんと言わせてだな」

「あの、姫様? 俺っちは別に、石鹸屋になりたいわけじゃ……」

「ぁあ?」


 怯える鹿野を見て、初は頭を振った。


 いかんいかん。つい熱くなってしまった。


 我を取り戻した初は、一つ息を吐いて、震える鹿野に向き直った。


「お前の本業は、絵師なんだろ? でも、そっちで儲けが出ないんだから、副業を頑張るしかない。それで儲かれば、絵の仕事に集中できるんだ。一石二鳥じゃねえか」

「はあ……なるほど?」


 一石二鳥、と繰り返す鹿野は、何やら考え込んでいる様子だった。


 ここから先は、本人次第だ。まあ、石鹸に香料を加えたり、色や形を整えたり、工夫のしようはある。努力次第では、それなりの利益が出せるようになるだろう。


 腕を組みながら帰っていく鹿野を見送り、初は現代の実家に思いをはせた。


 うちは十年ほど前に取得した特許によるライセンス収入で、それなりに安定した利益を確保している。だが、そろそろ次を見据えた商品なり、技術なりが必要になる頃だ。


(じいちゃんも、もう年だし。親父もいろいろやってるみたいだけど、結果は出てるのかねぇ?)


 ここにいたのでは、状況を確認することすらできない。

 つくづく理不尽な現状に、初は嘆息するしかなかった。


「姫様の博識は、青涯和尚に匹敵しますな」


 青海の声は、静かに厨の中へと広がった。


 気付けば、もう夜だ。


 夜のとばりは厨の中にも立ち込め、竈の火が投げかける灯りの中に、青海の姿がぼうっと浮かび上がった。

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