第20話 鍜治場
背は、この時代の平均ほど。ほっそりとした身体つきをしているが、頼りない印象はない。むしろよく鍛えられて、引き締まっているが故の細さだろう。
痩身にまとうのは、藍で染めた上衣と下衣。なんとなく作務衣を思わせる衣は、いずれもよく使い込まれ、袖や裾の部分が擦り切れている。
頑固そうな顔立ちと相まって、あまり自分の格好に頓着しない性質が、現れているようだった。男の背後に控える一団も皆、同じような格好をしている。
おそらく五十がらみと見える男、
『……お前が、安宅家の姫か?』
随分とぞんざいな口調である。
後ろで菊の怒りが発散されるのを感じた初は、慌てて子墨に答えた。
『そうだ。あんたは何者だ? これでも、姫なんでな。口の利き方に気を付けてくれないと、まわりの人間がうるさいんだが』
目線の動きで背後の菊を示すが、子墨に応じる様子はない。それどころか、じろじろとぶしつけな視線を向けてくるので、ますます背後からの圧力が強まっていく。
『……お前、妙なものを作るらしいな』
うっそりと呟いた子墨は、胡乱気な眼差しで初を見つめた。
『艪を使わず、舟を動かす道具を作ったと聞いたが』
『スクリューのことか?』
『なんという名かは知らん。それは、どういう仕組みで舟を動かすのだ』
横柄な態度には、カチンとくるものがある。
いったいなぜ、こんなことを訊ねてくるのか?
疑問符を浮かべる初に、青涯が墨を示しながら言った。
「彼は、
「てことは、この人も職人なんですか?」
「ああ。彼は、明国から来た工人だ。ここら辺一帯の鍜治場で、技術指導もしている」
つまり、安宅荘にいる職人のトップということか。
初は、全身の血が熱くなるのを感じた。まさか、こんなに早く出会えるなんて。
予想外の展開に興奮した初は、気付けば山道を駆け降りていた。
『あ、あの子墨殿! 一つ、お願いしたいことがあるのだが』
両こぶしを握って迫る初に、子墨はぎょろ目を見開いて、後退った。
『な、なんだ?』
『あなた方の鍜治場を見せてほしい! 頼む、このとおりだ!』
初は、頭を下げた。
菊の手が袖を掴み、低頭する初を引き留めた。
「なりません、姫様! そのような者に、頭を下げるなどっ!」
「今大事なとこなんだ。邪魔しないでくれよ!」
「馬鹿なことを仰るのではありません! あなたは、安宅家の姫なのですよ!?」
「それがどうした! 鍜治場を見られるなら、頭の一つや二つ、いくらでも下げればいいだろう!?」
菊と睨み合った初は、一歩も引きさがらなかった。
こればっかりは、譲るわけにいかない。技術屋として、エンジニアとして。なにより町工場の倅としての好奇心が、初を突き動かしていた。
『……鍛冶場が見たいのか?』
子墨は胡乱気な眼差しのまま、初に問いかけた。
初がうなずくと、墨は踵を返して、
『ついてこい』
子墨が山道を降りると、背後に控えていた一団も、共に斜面を下り始める。
菊の呼び止める声を無視して、初はその一団の後ろをついて行った。
舟を使い、海生寺のある河岸から、鍜治場のある河岸へと渡る。
近くで見ると鍜治場を囲む塀は、実に立派なものだった。
土壁と漆喰で出来た安宅館と違い、こちらは全て煉瓦造りだ。一つ一つのブロックが緻密に組み上げられ、煉瓦と煉瓦の間には、剃刀一枚入る隙間もない。
鍜治場の入口には、柵と警衛所らしき小屋が建てられていた。
子墨が、懐から出した木札を警衛に渡す。警衛は自分の腰に下げた木札と、子墨が提出した木札を合わせて、柄を確認した。
「厳重ですね。たかが鍜治場に、
「なに言ってんだ。技術を盗まれないように警戒するのは、当然のことだろ」
怪訝な顔をする菊に対して、初は今か今かと門が開く瞬間を待ちわびた。
やがて、割符の確認を終えた警衛が、鍜治場の門を開いた。
子墨たちに続いて門をくぐった初は、押し寄せる熱気に瞼を閉じる。
懐かしい感覚だった。実家があった工場街では、鉄工所の前を通るたび、炉の熱風が吹き付けてきたものだ。
顔を上げた初は、鍜治場の内部を見渡した。
どこから漏れているのか、あたりにはもうもうと白い靄が立ち込めている。その靄の奥には、いくつもの小屋が並んでいた。
槌を持った男が、真っ赤に熱した鉄の棒を叩いている。別の小屋では、細かな細工物を真剣な顔で削っている男や、いくつもの壺を火の中にくべている老人。職人の弟子とおぼしき子供たちが、鍜治場の中をあちこち走り回っている。
『さあ、鍜治場は見せたぞ。次は、お前の番だ』
水車で動くトリップハンマーを見ていた初に、子墨は片手を差し出した。
『艪を使わずに舟を動かしたという仕掛け。それは、どんなものだ? どういう仕組みで、舟を動かした』
『ん? ああ、簡単だよ。こういうふうに羽根を取り付けて──』
初は地面に絵を描いて、スクリューの仕組みを説明した。
子墨たちが、初の手元を覗き込む。
羽根の取り付け方。動力の伝達方法。スクリューが、舟を動かす原理。
一つ一つ丁寧に語り終えると、初は手についた砂を払って立ち上がった。
『ま、ざっとこんなもんだな。何か質問はあるか?』
子墨たちは食い入るような目で、初が描いた図面を見つめている。
一人の男が手を上げた。おそらく子墨の弟子だろう。男は、図面を指さしながら、
『こんなもので、本当に舟が動くのか?』
『疑うなら、舟比べに参加した連中に聞いてみればいいさ。舟が動くところを見た人間は、大勢いるよ』
『この革帯は、なんだ? これでは、効率が悪いのではないか?』
『その点は反省してる。革ベルトよりも、クランクを使ったほうが良かったかも──』
『くだらん』
子墨は、吐き捨てるように言った。
ぎょろりとした目が、説明を続けていた初を睨めつけた。
『こんなものは、童の児戯と同じだ。何の役にも立たん』
『いやだから、ちゃんと舟は動かせたんだって……』
『すぐに壊れたのだろう? お前の乗った舟は、途中で転覆したと聞いているぞ』
なんだ、知ってんじゃねえか。初は、子墨に半眼を向けた。
伝馬船が転覆した経緯から、舟比べの結果まで。子墨はすでに、あらかたの事情を調べ終えているらしかった。
『妙な仕掛けを使うから、舟が転覆するのだ。これに懲りたら、こんな危険な代物は、もう二度と作るべきではない』
『確かに舟は転覆したけど、それは俺の操船がまずかったからだよ。それにスクリューだって、急造品だったんだ。今度はちゃんと強度計算をして頑丈に作れば、途中で壊れたりなんかしないはずさ』
『それを船乗りたちの前で言うつもりか?』
子墨は、いっそう眼光を鋭くして初を睨んだ。
『海の上で舟を動かす仕組みが壊れれば、船乗りたちは死ぬしかなくなるのだぞ。そんな不確かなものを、お前は造るつもりか』
『だから、今度はちゃんと設計するさ。スクリューは、艪よりもずっと便利な道具なんだ。今よりも速く舟を動かせるし、方向の転換だって楽になる。あんただって、実際に使ってみればわかるはず……』
『それがくだらんと言っている』
子墨はぴしゃりと、初の言葉を跳ねのけた。
『貴様は自分の功名心のために、物珍しげなものを造っているだけだ。それはいずれ、大きな不幸を招くことになる。貴様ではなく、貴様が造ったものを使う人間にだ。それをよく覚えておけ』
もう用は済んだとばかりに、子墨は鍜治場の奥へと足を向けた。弟子たちが、慌ててその後を追いかけていく。
去っていく子墨たちを、初はさめた眼差しで見つめていた。
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