第9話 矢代村

 祝い事の後は、当然宴会である。


 名主の喜多七が暮らす家の前には、ちょっとした広場がある。

 揚水風車の設置が無事に終わった村人たちは、それぞれに食料を持ち寄り、この広場に詰め掛けていた。


「姫様、今年採れた茄子と瓜でございます。ぜひ召し上がってくだされ」

「姫様は、兎もお好きでしたな。これなど、よう肥えておって美味ですぞ。味噌を付けて焼くと、これが絶品で」

「これ、あんたたち。姫様に、そんな粗末なものを見せるでないよ。すみませんね、姫様。すぐに、うちの田んぼから鯉を獲ってきますんで」


「姫様」

「姫様」

「姫様──」


 上座に座らされた初は、次々と押し寄せる村人たちに、圧倒されていた。


 皆の好意が重い。


 初は、目の前にうずたかく詰まれた作物や魚肉を前にして、顔を引き攣らせた。


「姫様のお陰で、大助かりじゃ。ほんに、なんとお礼を言えばよいか」


 村人たちの列が一段落し、一息ついていた初は、頭を下げる喜多七に両手を振った。


「そんな大したことはしてないって。俺はただ、ちょっと知恵を貸しただけだよ」


 むしろ持ち上げられ過ぎて、申し訳ないくらいだった。




      


 ──初が、矢代やしろ村を訪れるようになったのは、一年ほど前のことだ。

 

 菊の目を盗み館を抜け出した初は、山の中をしきりに往復する人々を目撃した。

 興味を持った初が、何をしているのか訊ねると、桶を持った老人が水を運んでいるのだと答えた。それが、初と喜多七の出会いである。


 百姓にとって山を切り開くのは、それほど問題ではない。無論簡単ではないが人手をかけ、時間をかければなんとかなる。田畑の整備も同じこと。


 最も難儀するのは、水の確保だった。


 山肌に作られた田畑は、どうしても段々状に整備される。傾斜のある土地に水を行き渡らせるには、山の上から水を流すのが一番だが、その水をどこから得るか。


 近くに川や湧き水でもあればいいが、そういう便利な土地は限られる。そのため、山がちな熊野の村々は、雨水に頼った天水農業を行っている場所がほとんどだった。


 そこに変化が訪れたのは、最近のことらしい。


 喜多七の村では、十年ほど前から揚水風車が使われるようになった。村から6町ほど離れた場所に流れる細い小川の水を、数台の風車を使って引き上げるのだ。


 しかし、風車の性能が低いため、山頂のため池まで水を引き上げられない。それでも、何とか山の中腹までは水を引き上げることに成功し、そこからは人力で水を運ぶことにした。


 水をいっぱいに入れた桶を担いで、山の中を往復するのだから、相当な重労働である。せっかく引き上げた水も、雨水が不足した分を補う用途にしか使えない。本格的な日照りになれば、柄杓で稲一本一本に水をかけてやるのが精一杯だった。


「風車か……そういえば、大学の講義で設計したことあるな」


 初は、自分の知識が役立つのではと、風車の実物を調べた。そして、すぐに失敗の原因を突き止めた。


 矢代村に設置されていた風車は、木製の羽が3枚付いていた。


 実は流体力学的には、風車の羽根は枚数が少ないほど効率が良い。現代でも、風力発電に使われる風車は3枚羽がほとんど。中には高速回転させるために、1枚羽や2枚羽を採用している風車もある。


 ただし、これは発電機を回す場合の話だ。村に設置された風車は、クランクを介して、喜多七たちが「水ふいご」と呼ぶ手押しポンプを動かす仕組みになっていた。この場合、回転数よりもポンプを動かすトルクのほうが重要になる。


 そこで初は、羽根の数を18枚に増やした多翼型風車にすることを提案した。


 多翼型風車の特徴は、羽根の枚数が増えた分、風を受け止めやすくなり、弱い風でも動かせる。また風車の回転数は落ちるが、その代わりトルクが増大するので、より大きな力を発揮できるのが利点だ。


 水を引き上げるポンプも工夫した。それまで使われていた水ふいご──手押しポンプは、大気圧を利用する関係上、高所への送水には適していない。どう頑張っても、7、8メートルが限界だ。


 この問題を解決するため、初は渦巻きポンプを設計した。


「水を吸い上げる能力には、どんなポンプを使っても限界があるんだ。でも、水を押し上げる分には、工夫次第でいくらでも高くできる。このポンプなら、山頂のため池まで水を引けるぞ」


 最初、初の話に耳を傾ける村人はいなかった。


 いくら領主の娘とはいえ、いきなり現れて、これを作れ、では信用されない。風車とポンプを設置するには、金も手間も時間もかかるのだから、当然といえば当然だ。


 それに、この世界に暮らす住人は、本当に戦国時代の人間らしい。知識のレベルも、現代人とは比べるべくもない。初が考案した方法は眉唾物として、誰にも信用されなかった。


 こうなると、初の中でむくむくと反抗心が湧き上がった。


 城でないがしろにされ、ここでも舐められてはたまらない。何より、大学で流体力学を学んだ初のプライドが、ここで負けてはならぬと訴えていた。


 それから初は、時間が許す限り矢代村へ通った。


 村人に会えば挨拶し、世間話をかわす。子供たちの世話を引き受け、女性たちの洗濯に混じり、農作業を手伝う。

 その間、初は少しずつ自分の知識を披露した。


 燃料に使う薪が不足気味だと知れば、燃焼効率の良いロケットストーブを製作し、荷車の車輪が壊れたと聞けば、竹製のスポーク車輪を作って渡した。簡単な手回し洗濯機を作ったこともある。


 初の知識に懐疑的だった村人たちも、時を経るにつれて、だんだんと初を頼りにするようになった。そしてついに半年後、初が提案したポンプと風車の製作が決定した。


 初は、この半年間の苦労を思い返した。


 風車は、既存のものを改良するだけで済んだ。問題は渦巻きポンプだ。

 作りは単純なのだが、これが意外な難物だった。


 送水能力が低下しないようキャビテーションが発生し辛いインペラの設計から水が漏れないケースの製作、風車の力を効率よく伝えるための歯車の加工。

 これらの問題を解決するのは一苦労だった。他にも、細かい問題点を挙げればきりがない。


「それでも、この揚水風車が完成したのは、喜多七たちのお陰だよ。ポンプも風車も、作ったのはこの村の人間だし。俺の力なんて、ほんの少しさ」

「その少しが、重要なのでございます」


 喜多七は、ひどく真面目な顔をして言った。


「儂らの先祖が、この土地を切り開いてより幾星霜。その間、ここで田畑を耕すのに、儂ら百姓がどれほど苦労してきたことか」


 喜多七は、遠い目をして語った。


 天水田は、まず作るのからして大変である。


 まず一枚の田の半分の土を、残り半分の上へ掘り返す。掘り上げたところに赤土を入れて木槌で叩き固め、床が固まったら、掘り返しておいた作り土を戻す。そして今度は、残り半分の田の土を掘り返し、赤土を入れてまた戻す。


 これで終わりではない。その後、牛を使って犂耕を行う必要がある。


 木槌で叩いただけでは、赤土の床に細かい孔が開いていて、そこから水が漏れる。それを防ぐために、犂の底で天水田の底の赤土を強く擦りながら抑えて固め、水保ちを良くするのだ。天水田を維持するには、この犂耕を定期的に行わねばならない。


 だから天水田で農業を行う村人は、家で牛を飼ったり、あるいは人に借りたりしなければ、田植えもままらない。

 しかも、天水田の床は一度作れば良いというものではなく、8、9年に一度、土を上げて床を叩き直す必要があった。


「この村では、飲み水を確保するのさえ一苦労でした。ですがこれからは、姫様の作られた風車とぽんぷがある。村の者たちは、これから重い水を背負って山を登ることも、枯れ田を見て悔しさに涙することもなくなるのです。それどころか、これまで水を入れられなかった土地を開墾して、田畑を増やすことも出来ましょう。これを偉業と呼ばずして、何と申しましょうや」


 喜多七は、初の前で深々と腰を折った。


「それもこれも、全て姫様のお陰でございます。この喜多七、矢代村の者共と共に、必ずやこの御恩に報いると誓いまする。姫様がお困りの折には、何なりとお申し付けを」

「おいおい、やめてくれよ喜多七さん! そんなふうに頭を下げられたら、俺だって居心地が悪いよっ」

「姫様が、このような爺に敬称など付けてはなりませぬ。これからは、喜多七と呼び捨てに」


 褒められるのは嬉しいが、持ち上げられ過ぎると、逆に不安になってくる。

 頭を下げようとする喜多七と、それを止めようとする初の間で、しばらく押し問答が続いた。

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