11-9 灰色の男

 体をほぐすように軽くステップを踏んでから、倒れたまま『固定』魔術に縛られて動けなくなっただろう男のかたわらに屈み込んだワルターは、彼のフードを持ち上げて、思わず息をのんだ。



 男は、そこらの女など霞んでしまうほど、美しい顔立ちをしていた。

 上品につり上がった目尻に、影を落とす長い睫毛。すっと通った鼻筋、やや薄くも色づき、存在感のある唇。汚れひとつない、陶器のようになめらかな肌は、理想的な曲線を描く輪郭に縁取られている。


 けれども、その美しさ以上に、妖精女王の箱庭において最も忌避される色であり、人間の体には宿り得ないはずの色――灰色の髪と虹彩が、ワルターを驚かせた。



 ワルターが、信じがたい思いで、しかしうっとりと男の髪を指で梳こうとしたとき。背後で、ロデリオが悲鳴を上げた。

 振り返って見れば、ロデリオの唱えたルーン列によって描き上がったはずの魔法陣が、床を伝ってどこからか伸びてきた光の線に絡め取られ、解けていく。


 光の線は、倒れた男の方から伸びていた。


 ワルターが状況を理解するより前に、解けたロデリオの魔法陣を再構成して編まれた魔法陣が男の体の下に描かれ、目には見えない鎖でワルターを縛る。

 ロデリオもまた、同じように身動きが取れなくなっていた。



 上位魔術師と下位魔術師が相対する場合、妖精への干渉力において、上位魔術師に大きな優位性がある。

 特に優れた上位魔術師であれば、下位魔術師の魔術を防ぎ、あるいは跳ね返すのではなく、その発動すらも妨害することもできた。


 相手が使おうとしている術を正確に読み、かつ彼の詠唱をしのぐ速さでルーン列を結ぶことができるものなら、だが。



 動けないワルターは、信じがたい思いで、倒れた男を見下ろす。


 相手がルーン列を唱える隙は、完全に潰したはずだった。

 相手に与えられた時間があったとすれば、ロデリオが詠唱をはじめてから、ワルターの奇襲を受けるまでのごく短い間だけだ。

 ――その間に? ……いや。そんな、まさか。


 

 動けずにいるワルターのかたわらで、倒れていた男が正気を取り戻す。

 男は、殴られたあごをさすり、ふらつきながらも立ち上がった――やはり、ロデリオの『固定』魔術は、打ち消されていた。

 一方で、気絶させるところまではいかなかったものの、ワルターの一撃は確実に効いていたらしい。


 やはり、ワルターの奇襲後にルーン列が唱えられたとは思えない。かといって、それより前にできたとも思えないのだが。



 男は、詠唱を終えたときの姿勢のまま固まったロデリオと、自身の足元に屈んだまま動けずにいるワルターを順に見やった。怒りに満ちたまなざしだった。


「もう一度だけ言おう。――君たちの長を差し出したまえ。今すぐに」

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