9-6 花壇と少女

「『空の破片』……」


 ジェラールは、意識せずつぶやいていた。 

 『空の破片』――まだ足元にも辿りついていないというのに、その存在感に圧倒される。


 そこにあることがすでに当たり前になっているのか、通りを行く一般民らは、このまばゆく巨大なものに気づかないかのように平然としている。

 その違和感が、『空の破片』をいっそう不可思議なものに見せていた。



 ジェラールは、周囲をぐるりと見渡してから、『空の破片』に向かって歩き出す。足早に行きたい気持ちををぐっとこらえ、できるだけ自然に見えるよう、ゆっくりと。



 そうして少し行ったところで、道のわきに目を引く色を見たジェラールは、つい立ち止まった。


 ある家の表に据えられた花壇だった。マゼンタ、黄、薄紫の小ぶりな花々が、浮遊ランタンの下、わずかな日光を拾い上げて咲いている。



 花なんて、いつぶりに見ただろうか。少なくとも、日の光も入らない、狭い支部内にはあろうはずがない。

 


 ――と。フードで狭く区切られた視界の外から、水差しを手にした少女が顔をのぞかせた。火の都フラメリア人らしい、赤毛に鳶色の瞳をしている。


「うちの花、きれいでしょ? わたしが毎日、水をあげてるの」


「……そうか。えらいな」


「うん!」


 突然の少女の言葉に、ジェラールは半ば反射的に、火の都フラメリア支部の子らに応じるような調子で答えてしまっていた。

 少女は、花壇に水をやると、ジェラールに笑いかけてから、家の中へと戻っていく。



 少女の背中を見送ったジェラールは、しばし、ぼう然とその場に立ちつくしていた。



 一般民は、根本的に、継承者マケイアとは違う生き物だ。

 彼らは、継承者マケイアと同族とを見分けることができず、同族の間でさえ、継承者マケイア同士のように心を触れあわせることができないという。


 継承者マケイアにしてみれば、一般民は、人らしい振る舞いをするだけのブラックボックスのようなものだ。


 リャンの使う木偶よりも底が知れない、継承者マケイアと見れば害を為そうとする、不気味で恐ろしい生き物。


 かつて、前支部長キースとともに見た友好的な一般民の姿は、キースの死とともに、ジェラールの中で黒く塗りつぶされてしまっていた。

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