河西回廊より風は吹く 切り取り短編

小野はるか

掌編 キャラクターメモ用



 黄土の大地に風が吹く。


 この荒野では水辺に茂った灌木でさえ、土に同化するかのような寂しい色あいをしている。

 鮮やかなのは、唯一紺碧の空だけだ。

 その空とてひとたび強風が吹けば、天高く巻きあがった砂で朧に包まれる。

 荒涼たる大漠。中華の辺境。


「――目に潤いが乏しいな」


 見張り台から延々と続く大漠の景色を眺めていた利伯は、そう呟いて振り返った。


「では、顔でも洗われますか?」


 右腕である司馬の孟が生真面目な顔で提案してきた。そうじゃない、と利伯は笑う。


「どこもかしこも黄色くて、砂っぽい。これほど色彩が乏しい生活をしていると、そのうちに花とはどんな色だったか、新緑とはどんな色だったのか、すっかり忘れてしまいそうだとおもわないか?」

「いえ、私は……都尉が大変鮮やかですので」


 孟が利伯の鎧へと目を向けたので、利伯も改めて自分の纏った鎧に視線を落とす。機動力を重視する利伯が好んで身につけているのは、鉄ではなく厚い皮鎧だ。その上から西域渡来の赤い毛織り生地を張り付けてある。

 西域から来る織物は驚くほどに紋様が細やかで、深く鮮やかな色合いが美しい。


「たったこれだけの色彩では、俺の目の渇きは癒されないな」

「では、女性という潤いを求めてはいかがですかな? 砂だらけの肌も潤いを得られますぞ」


 城尉の兒が見張り台の階段を上がってきた。手にした筒を器用にくるくると回してから利伯へと投げてよこした。


「さ、どうぞ。また賈家からの画布です」

「またか。しつこいな。三度ほど断りを入れたと思ったんだが、書簡が届かなかったのか?」

「賈家は商家です。書面でやんわりと断った程度では諦めもせんでしょう。商路を広めるためにも武門の家と姻戚関係を結んでおきたいでしょうしな」


 利伯は面倒だな、と息を吐きながら筒の封を解いた。中から出てきたのはやはり画布だ。それを広げてやはりため息が漏れる。

 横から見ていた孟がはっと息を呑んだ。


「美人ではありませんか!」

「そのようだな」

「賈家といえば河西回廊一の商家。姻戚を組めばよい軍馬も手に入りましょうな。なによりこのような美人との縁談、そうあるものではありません。なぜ断られる?」

「美人だから」


 即答した利伯に孟も兒もぽかんとした。興味ないと言った様子で利伯はさっさと画布を丸めて筒へと戻す。


「俺はな、美人が嫌いなんだ。生理的に、徹底的に拒否する」

「醜女がお好みでしたとは」

「別にそういう趣味なわけじゃない。まあ、偏見だな。美人は怖い。男の計り知れない怖い世界に生きてる、俺はそう思ってる」

「美人に限らず、女とは恐ろしいものですぞ。ですが、その女の世界を男に見せないようにふるまうのが良い女の条件かと」

「俺は舌が二枚で顔が二つもある化け物を嫁に迎えるつもりはない」


 言ってから、にやりと悪戯めいた笑みを浮かべる。


「裏表さえなければ、別に男と結婚しても構わないぞ」


 孟と兒は二人そろって砂を噛んだような顔をして、無言で見張り台を下りて行った。

 利伯はふっと短く息を吐いてから、再び遥かなる荒野へと目を向ける。

 匈奴の右地と向かい合う最前線の地。至るところにその戦いに敗れた騎士たちの躯が朽ちることなく転がっている。

 不毛の沙漠、恐怖の前線。けれど、いまだにこの地には人々の活気が息づいている。人々の営みは脈々と続いている。それにはこの政治の混乱の最中にあっても、けっして物流を止めず、経済を動かし続けている豪商の力が大きく貢献していることは間違いなかった。


「……賈家、ね」


 縁談の相手、賈家の長女。柳のような繊細な立ち姿に、濡れたような黒髪、悩ましげな美貌はさながら花海棠の花のよう。常安の未央宮でさえ、これほどの美を持ち合わせた女はいないだろう。

 だが、利伯の胸は美女の容姿に騒ぐことは無い。むしろ激しい拒絶感だけが沸いた。

美人は怖い。美人はその容姿の裏にどす黒い感情を平気で隠す。花のような唇で愛をささやき、男を欺き、果てることない物欲を満たそうと画策する。

 幼いころよりその美貌から蝶よ花よとちやほやされて育った女が、性格良く育つはずがないのだ――母が、そうであったように。


「美しい、商人の娘。金にまみれて育った美貌の女神。そのかんばせの下に隠した欲望はいかほどのものか」


 勘弁だな、と利伯は思う。

 褥で愛をささやいた口で物欲を垂れ流されるのも、しなだれかかりながら始末したい邪魔者の名を囁かれるのも。女のどろどろとした感情は御免だ。


「花よりも、竹がいい。真っ直ぐで、しなやかで、甘いよりも清涼なのがいい。立ちのぼる芳香よりも、吹き抜ける風がいい。昼寝の髪を揺らす、ときには激しく砂を巻き上げる」


 物心をついたときから、女の世界を生きる母を見てきた。母性よりも女としての性の強い女だった。咲き誇る美貌を使って男をたぶらかすことしかできない女だった。幼いころは母の温もりが恋しくて仕方がなかったが、十を過ぎたあたりからはもう、嫌悪しか湧いてこなかった。男に媚びる、汚い女だった。

 母のような女は嫌だ。母のような美しい女は嫌だ。

 賈家から送られてくる娘の画は、まさにその母によく似た容姿だった。


「絶対、嫌だな」


 そんな女を娶るくらいなら、しこめで充分だ。しこめなら、男をたぶらかすこともない。色を使って男を狂わせることもしないだろう。

 利伯は颯爽と身をひるがえし、見張り台を下った。


「馬をひけ。巡察に出る!」





 その賈家の娘と出会い、運命の歯車が動き出すまであと、数日――



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

河西回廊より風は吹く 切り取り短編 小野はるか @ranka-killa

★で称える ヘルプ

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ