No.4-11

 私の意識はまた、あの眩い暗闇の中に飛んでいった。そこは暗くて冷たくて、煙がいつも上がっていて、焦げた臭いが何処からか漂ってきて、土と血が混じって吹き上がるような、大小を問わない汎ゆる爆発物が降り注いできていた。

凄惨な塹壕戦。

銃撃や手榴弾の投擲による全滅を避けるために、複雑に射線を遮るような構造で作られたこの壕の中では、銃は限定的な力しか持たない。敵の人間の表情を察せらるる距離にあるこの塹壕の中では、銃は威力こそ優れるものの、その威力を発揮する前に時間差の生ずるワンテンポ遅い武器として扱われる。

銃とは、安全装置を外して、狙いをつけ、それを構えて、撃つという行程が必要になる。仮にこの『狙いをつける』という動作を省いたとしても、既に安全装置を外していたとしても、構えて撃つという動作だけは絶対に残る。銃は発射する人間もその衝撃に備えなければならない。

さて、そうした時に我々は銃を使用するであろうか。答えは――否。

塹壕において、打撃と剣撃は射撃に勝る。銃剣を装着した自動小銃が、そして、自らの墓穴たるこの塹壕を掘るために使われるシャベルが有効な武器として扱われる。

かつて誰かが、砲は戦場の女神である……と言ったそうだ。それだけ、大砲そして砲兵という兵種が戦場において強い影響力をもったということを証明する言葉であるが、これにならうのであれば、シャベルは塹壕における全能神である。

塹壕を掘り、自らの排泄物を処理する穴を掘り、死した戦友の墓穴を掘り、敵の頭蓋に打撃を加え、その詰腹を切り裂く時、シャベルは塹壕を支配する神となる。そして、シャベルを持つ我々はいわば神の預言者となり、祈祷の代わりに、腹の底から捻り出す咆哮の叫びが神を賛美する。

「押し返せ!」

「グレネード!」

「畜生、畜生!」

 土と血と硝煙。叫び声と銃声。あらゆる音とにおいが押し寄せるこの塹壕の中で、私は戦っている。

「あああああああああ!!!」

 腹の底からの叫びは自身を戦闘へ駆り立てるためのもの。その文言は人によって違う。誰かの名前を叫ぶかもしれない。大事に思うものについて叫ぶかもしれない。罵倒語を選ぶことだってありえる。けれども私はそうした時、思い浮かぶものが何一つなかった。だから私は、ただ叫ぶ。何の意味も込められていない、ただの声を叫ぶ。

その戦闘の最中、遠くから空を切り裂くような音と共に、ジェット機が飛来する。そして、ジェット機の音が耳に入るその瞬間には、もう全てが決しているのだ。

地響きと、まるで地が膨れ上がるかのような巨大な爆発。降りかかる土と、誰かの指。霧になった血液。

敵の。彼等の前線司令部に、要塞を貫通するあのバンカーバスターが降り落ちて、一瞬にしてそこは潰滅した。

先程まで私と同様に、必死に抵抗を続けていた敵兵が、途端に両膝をついて、何らかの言葉の後に、武器を投げ捨て両手をあげる。

それが降伏のサインであることを私は知っている。

私はシャベルの先で、その兵士の首を突く。頸動脈が切れて血が吹き出てくる。その情景を私はただ無感情に見つめている。

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