ゆっくりと変わる世界
げっそりとした。
為政者の相手ばかりだと神経を使う。
さすがに自分でも『ヤバイ』と感じてきた頃、俺に付いていたシンセンが「デイシュメールで休んでは」と提案してきた。
俺は無言で五回くらい頷いたと思う。
そして、最後に立ち寄る予定だった『サイケオーレア』でリコに偶然会った。
いつもの鎧姿ではなく、礼服姿。
珍しい格好だが、礼服ってのはいけねぇな、体のラインが鎧よりもはっきりとわかる。
盛大に顔を背けた。
こいつは見慣れるまで時間がかかるな。
「お、おう、どうしてこんなところに来てたんだ?」
「錬金術学会があったんだ。四年に一度、研究成果を発表するのだが……」
「ああ、そんなんあるって言ってたな。なんだ、大して面白くもなかったのか?」
「そうだな、目新しい物はなかったな。ティナリスに頼まれていた研究検証も壊滅だった」
「ティナが?」
ああ、例の『魔力回復薬』というやつか。
水に魔力を注ぐだけでできるという、その薬。
もし全ての練金薬師がそれを作れるのならば、技を使う騎士や冒険者は元より、魔力回復技術なしでは扱えない『魔法』を、より多くの魔法使いが使えるようになるかもしれない。
画期的な『発明』だった。
しかし、リコや『ダ・マール』の国家練金薬師であるアリシスのばあさんでも、再現はできなかったらしい。
これはティナが唯一『珠霊石』を作れる種族、『珠霊人』だからなのか。
「不思議だな、ティナリスは何度作っても成功しているそうだが……」
「そうだな。まあ、うちの水はロフォーラ山の地下水を引いてるから、水がいいんだろう」
「なるほど水か……。確かにロフォーラ山は地下に霊脈があると聞く。地下水に『
錬金術師モードになったリコはブツブツと呟き始めた。
何回見てもああなると、少し不気味だなぁ。
「あ、ティナに会うなら今からデイシュメールに行くぞ。一緒に来るか?」
「おお、それはいいタイミングだな。頼む」
「いいか? シンセン」
「構わないぞ」
と、いうわけでリコと——。
「では転移するので手を繋いでくれ」
「!?」
「え、て、手を繋がなければならないのか!?」
「ニンゲンは基本的魔力が足りんからな。安全に運ぶにはワレが全て制御せねばならぬ」
「「うっ」」
こ、この歳で手を繋ぐってのは、その、なんつーか、なんつーの、ほれ、あの……なあ?
そしてなによりその相手がリコってのが……なあ?
ちらりと隣を見ると、ああやはり……。
リコは顔を赤くしながら、口をぎゅっと結んで動揺していた。
そんな顔をされると、どことなく幼く見えてくる。
こいつはこんな可愛い顔もできたのか。
いつもきりりとしているくせに。
いや、まあ、酔った時も顔は赤くなるし、目はトロンとするぜ?
でも泣き上戸で延々と泣き言聞かされ続けるから、酔っ払った時のこいつはちと面倒くさい。
今は素面だ。
素面でも、こいつは顔を赤くしたりするもんなんだなぁ。
「し、仕方ない……た、頼む」
「っ! ……お、おおぉう」
「?」
シンセンには妙な顔をされたが、いい歳したおっさんと独身女が手を繋ぐってのは、まあ、それなりに緊張するもんだろ。
独身って、そりゃあ未だに手を繋いだりするモネやティナも独身女っちゃー独身女だが歳がアレっていうか俺はあいつらの父親っつー立場であって?
別に娘たちはカウントに入らないというか、いやまずそーゆーのではないだろう?
だからつまりええと……。
俺は恐る恐る、手を差し出したわけなのだ。
色々、本当に色々言い訳のようなものを繰り返しつつ。
いや、でも仕方ないだろ。
俺の意思でなくて、これはシンセンからの指示だし?
そ、そう、転移するのに仕方なく!
「…………」
っ、や、柔らかい。
リコが俺の手に、手をのせる。
暖かいし柔らかい。
小さいとも、か細くて折れそうとも言えない手だが、見た目よりもずっと柔らかかった。
やばいって。
俺、手に汗が出てきてないか?
気持ち悪いって思われるよな?
手に汗かいてる男とか、普通に気持ち悪いよな?
うああぁぁぁ! リコの顔が直視できぬぇぇぇー!
「シンセン、頼む!」
「うむ、では参る!」
ヒュン、という軽い風の音。
靴底がタイルの床の感触ではなく、砂利の感触を踏みしめた。
目を開けると、また畑が広がった城壁内部。
『エデサ・クーラ』に奴隷として捕まっていた人々は、最初の暗い顔が嘘のように生き生き働いている。
「あ、ありがとう」
「っ! おおおぉう!」
「?」
リコの手が離れていく。
ほんの少し残念な、がっかりした気持ち。
しかしそれを上回る安堵感。
と、同時に申し訳ない気持ちも湧き上がった。
こんなおっさんの手を握らせてすまん。
その上、手汗までかいててすまん。マジすまん。
わざとではない。
つーかわざと汗は出ない。
「こ、こほん。では行くか」
「そそそ、そうだな」
「ワレはレンゲ様に報告に行く」
「お、おう、ありがとな」
と、シンセンの行く先を振り返る。
すると、城壁の門が開いてキャラバンが入ってきた。
あれは……ギャガのキャラバンじゃないか。
なんでデイシュメールに?
「あ、マルコスさんだ」
「お、おお、ようレンゲ。どうしたんだ? アレ」
「魔物に襲われてたからとりあえず連れてきた。食堂で少し事情を聴きながら休ませようと思ってるんだけど、マルコスさんも来る?」
「そうだなぁ」
ちらりとリコを見る。
護衛の騎士はリステインの隊のようだ。
ふむ、あいつも出世したなぁ。
「そうするか」
「ああ」
この世界の情勢は、二年前とかなり変わってきている。
ティナが『
特に動きの大きいのはやはり大国であり俺の古巣『ダ・マール』、交易の要、港の国『フェイ・ルー』、そして勉学の国『サイケオーレア』。
他の小国もそれに追随するように、幻獣たちへの面会を求めてきた。
この辺りは想像できたことなので、俺も幻獣たちも大した驚きはない。
予想の斜め上をきたのは『サイケオーレア』だ。
どうやっだんだか知らないが、あの国は当時まだ秘密にしていた『
いやあ、これはビビった。
そして魔物対応を請け負い始めてますます『サイケオーレア』は『
結局俺たちの予想よりも早く『
当然だな、どの国も今の魔物の状況にはほとほと困り果てている。
しかしそれを許さねーのが幻獣だ。
人間の国々がなにを考えているのかなんざ、俺でもわかる。
悲しいかな、どの国もティナを利用することしか考えていない。
協和を掲げる『ダ・マール』でさえ!
ディールブルーが死んでから、あの国は掲げる理念さえ忘れてしまったのか……。
そうは考えたくないものだが、透けて見えるのはそんな必死な自己保身ばかり。
『ダ・マール』滞在中、廊下でロンドレッドが俺を引き留め、肩を落として言った。
「この国は変わってしまった。理想だけで、国は動かない」
あいつなりに理想があったのだと、今更ながら気づかされた。
協和という『ダ・マール』の理想をあいつはあいつなりに守ろうとしている。
疲れ果てた顔が、しばらく忘れられそうにない。
妻は元気か、と聞くと少し目を見開き、悲しげに眉を下げた。
しばらく会っていない、と呟かれて俺も「そうか」としか言いようがない。
ただ、あの女は寂しがりやだった。
「たまに帰ってやらねぇと、俺のようになるぞ」とかなり意地の悪い忠告をしたのは、許される範囲だと思う。
奴も少し笑いながら「今日は帰るとしよう」と答えたんだからセーフだろ。
ああ、瞬く間だった。
『
それは『聖女』の再来だ、と騒ぎになり、瞬く間に噂は広がる。
さて、そこでシィダの出番だ。
『太陽のエルフ』がその噂を誤った方向……人間のつまらない権力争いに利用されないように、大々的に宣伝をする。
幻獣たちが守る聖女。
デイシュメールに降り、魔物を世界の中心に集めて浄化してくれている。
彼女には彼ら——『亜人大陸』の亜人たちも従う、と。
事前にシィダにエルフ、ドワーフ、コボルトの三大種の王たちに『
これにより人間の国の者たちはより、おいそれとティナに手を出せなくなる。
幻獣だけでも相当に厄介なのに、反対側の大陸までも聖女を守護する側に回ったとあれば人間大陸も表向きは『聖女』の意向に従うしかない。
あとはどうやって『聖女』の意向をこちらに向けさせるかを、画策するだろう。
で、連中がようやく出してきたのは自国の騎士をデイシュメールに派遣すること。
大体の国は『聖女』——つまり女が相手ならばと若くて顔のいい騎士を寄越した。
頭の痛い話だが『ダ・マール』までも。
その騎士どもは総じて城壁の上から見張り役。
ティナに会うこともできるが、ティナの周りには大体レヴィレウスかレンゲ、ジリルとミラージェがいる。
騎士である以上『カラルス平原』でレンゲの力は間近で見ているので、どんな顔のいい騎士もおいそれとティナには近づいてこない。
国から『聖女を籠絡しろ』と命じられているだろうが、そんなのレンゲやレヴィレウスたちも分かりきっていることだ。
当然、ティナも。
まあ、それにより裏で『聖女』をどうにかしようと目論みつつも、俺やシンセン、シィダたちの協力で表向きは各国、『
ああだこうだと盛り上がっているものの『意思持つ
亜人大陸は元々『聖女崇拝』。
ティナが現れたことを『太陽のエルフ』であるシィダが伝えると、諸手を挙げて大喜びしていた。
あの蜥蜴人や鬼頭人までもな!
つまり、一向に人間大陸の『
なんとも情けのないことに!
まあ、それでも『エデサ・クーラ』を倒すことはどの国もなんの異論もないらしい。
一部、あの国の技術力は目を見張るものがあるから是非国家解体の際は、その技術者や錬金術師をうちの国に……とかいう奴らもいたけれど……。
「はあ……」
「なんだマルコス、今日は酒が進んでいないな?」
「お前は進みすぎだよ」
今夜はデイシュメールに泊まる。
二階の一室を使うことになり、食堂で飯を食ってから寝ようと思ったらリコやギャガたち一行と、その護衛の『ダ・マール』騎士の若いのも揃ってあっという間に酒盛り大会になっちまった。
俺やリコの武勇伝を若いのが聞きたがり、調子に乗ったリステインが色々と語り始める。
こいつ、酒は入ってないのに口は軽いというかなんというか……。
大体武勇伝なんて大したもんじゃないだろう。
昔の仕事ぶりをすごいことのように語られるのは、そりゃ悪い気はしないが、あの頃は無我夢中だった。
生きるのに。
だから武勇伝というよりはがむしゃらに生きた話って感じだ。
恥ずい。
「そういえばお前、今いくつになったんだ?」
「なんだ、藪から棒に」
「いやあ、老けねーなぁと思って」
俺の前に座るリコは、俺が騎士団にいた頃と変わらないように思う。
酒を飲むとあっという間に赤い顔になり、愚痴が始まる。
いやまあ、俺がいた頃は顔半分がえげつねぇ抉れ方してたけどな。
愚痴の中身も「最近疲れやすい」とか「油物が最近胃もたれする」やら「若い奴らの台頭著しいので出番がない」だの、なんとなくババくさい。
俺もそこそこジジイになってきたので、胃もたれする気持ちはわかる。
ティナが最近開発したという『カラアゲ』なるものは正直いくらでも食えて、あれはやばい。
食い過ぎると翌日胃がもたれて、別な意味でもやばい。
そんでティナに胃もたれの薬を貰う羽目になり、朝食に野菜多めなスープを出されるんだよ……。
とはいえ、その話はさすがに格好悪いのでできない。
ので、真逆のことを言ってごまかした。
するとリコは赤い顔のままドン、とテーブルにグラスを置く。
「さんっじゅーさんだ! 悪いか!」
「お、おお……いや、悪いとは言ってねーよ!」
三十三か。
バツイチの三十三……。
となると、そろそろ人生の後半を考える時期だなぁ。
騎士団の団長のその後となると、政治家しかない。
在籍したまま騎士団のことは副団長に一任して、政治家として国の軍部を管理する立場だ。
リコはいい加減そっちに行ってもいいはずだ。
ディールが死んだ今、元老院や神官どもの相手はロンドだけでしているはず。
あいつのあの死にそうな顔を思うと一刻も早く、前線から身を引いて騎士団管理に徹した方がいいような……?
でも、なんかそれはそれで面白くないような……。
「……リコ、お前、これからどうするんだ? まだ騎士団にいるつもりか?」
「うん? うーん……そうだなぁ〜……ジェイルに団長を任せて、錬金術の研究者に戻るのもいいと思ってる〜」
やはりリコは先のことも考えていたのか。
しかし、俺が考えていたのとは少し違う。
錬金術の研究者。
ああ、でもこいつらしい。
つーか、酔うの早すぎじゃねーか今日。
もう呂律回ってねーぞ。
「アリシスさんも歳だからな……『ダ・マール』の国家錬金術師の一人として……もっと錬金術を研究したいと思っている。今まで忙しかったから、読んでいない資料もあるしなぁ。でもまずは『エデサ・クーラ』との戦争に決着をつけてからだろうか〜……。いい加減あの国ともすっぱりお別れしたいものだ〜……」
「それは同意する」
ぐい、ぐいとグラスを飲み干す。
リコの手から酒瓶を奪い、空のグラスに注いだ。
まったく本当に、いい加減あの国との因縁にはおさらばしたい。
リコは自分のグラスの中身を一気に飲み込み、俺の手から酒瓶を奪い返す。
それを注いで、酒瓶を勢いよくテーブルに置いた。
これはやばいな、酔っ払いすぎてる。
そろそろ撤収させるべきでは……。
「んん、しかし、お前はどうするんだぁ?」
「あ?」
「この先もずっと、為政者と対峙するつもりか? 大変だぞぅ! あいつらと付き合うのは!」
楽しそうにケタケタ笑う。
他人事かよ。
でも、まあ、言いたいことはよくわかる。
本当に最近は実感してそう思うからな。
「ああ、そうなんだよ。だから、騎士団辞めるんなら……リコ、俺を手伝ってくれよ。一生、隣で支えてくれ」
「え?」
————ん????
ざわ、と辺りのテーブルが静まり返り、リコがテーブルにグラスを落として酒を派手に零す。
俺ははっと、顔を上げて口を覆う。
は? あ?
い、今、俺はなん……?
「え、あ……マ、マルコス……そ、それは、どういう……」
「え、あ、いや……あの……」
潤んだ目。
しかし、先程までのきゃらきゃらとしたリコはそこにはいない。
完全に、酔いが醒めたのだろう。
そ、それだけの威力のあることを俺は口走った。
なぜ! なんであのタイミングでそういうことを言った、俺!?
自分自身のことがわからず、大声で「あー!」と叫び頭を乱暴に掻く。
「そ、そーゆー意味だよ! 答えは今じゃなくていいから考えとけ! おやすみ!」
「…………っ」
怒鳴りつけるように言い逃げした。
猛ダッシュで!
撤回するチャンスはあったはず?
いや、いや!
言ってよかった!?
よ、よよよよよかったはずだ!
しかし気づいたら要塞の外に出てきていた。
城壁の真上には月と、どす黒い塊が星の光を覆っている異様な光景。
変な汗でびしゃびしゃする。
顎から垂れる汗を、袖で拭った。
「頭を冷やそう」
とりあえず要塞を一周すりゃあ、多少頭も冷えるだろう。
み、見回りにもなるしな!
「あれ、マルコスさん? 寝たんじゃないの」
「レ、レンゲか……」
どこからともなく現れた、見た目は歳若い幻獣。
しかしこれは人の姿に化けただけの幻獣だ、思わずじとりと睨んでしまう。
「ちょ、ちょっと飲みすぎたから酒を抜こうと思ってな……」
「ふーん?」
「……そ、そういえばちょうどいい。お前に聞きたいことがあった」
「僕に? なに?」
姿勢を正す。
見据える相手は……『カラルス平原』に集合した二十万の機械兵士や機械人形を一瞬で消した幻獣。
しかし、性格は穏やかだ。
怒らせてもあんなことにはならない。
だから無遠慮に、聞いた。
「珠霊人のことだ。十五年前、ジェラの国が襲われた理由は知っているか?」
「…………。珠霊石を狙って、じゃ、ないの」
目を逸らして、答えには僅かな間。
ああ、やはりこいつは知っているな。
「違う。それなら珠霊人を連れて、奴隷にして珠霊石を作らせればよかったんだ。奴らには奴隷制度があるんだからな。……ずっと引っかかっていた。珠霊人は珠霊石を“作ることができる”! 珠霊石が欲しいなら作らせればいい。珠霊人を殺せば、珠霊石は手に入りにくくなるだけだ。なら、奴らには……いや、あの『壺の中の小人』はなにか他の目的があったんじゃないのか? 珠霊人を殺してでも欲しかったものが! なにか、他に!」
「…………」
俺はそれが知りたい。
ティナが奴らに『珠霊人として』狙われる可能性がある。
いくら側に幻獣であるお前たちがいたとしても、理由がわからず狙われるかもしれないと思うと不安でならない。
レンゲは無言。
マフラーから覗く目を伏せて、指を鳴らす。
すると、その場の空気が変わった。
風がピタリと止み、少しだけ暖かい。
「これは?」
「音を遮断する結界だよ。聞かれるとまずい」
「!?」
「その通り。『意思持つ
「……? 『暁の輝石』? なんだそりゃ?」
聞いたことがない。
珠霊石よりもすごいなにか、なのか?
音を遮断しなければならないほどの……?
「どんな願いも一つだけ叶える魔石。それは、珠霊人が人を愛した時に、額の珠霊石が進化して生まれる奇跡の石だ。旧時代は『暁の輝石』を巡って数百年、戦争が続いたんだよ」
「…………数、ひゃ、く……」
数百年?
数百年と言ったのか?
そんな、そんなに……?
十年でも長いと思った。
俺もそれなりに長く戦場に身を置いたからこそ、そう思う。
バカな、そんなこと……そんなバカなことが……!
数百年だと!?
「珠霊人も生まれたばかりの頃は人に近く、感情豊かだった。でも『暁の輝石』のために長く、多くの血が流れたことで、種そのものの感情を希薄にしてしまったんだ。それにより『暁の輝石』は生まれなくなり、僕とレェシィが『
「………………」
「『壺の中の小人』は二千年前の記憶があった。『暁の輝石』のことも覚えてたと思って間違いない。だから『エデサ・クーラ』という国を使い、珠霊人の国を襲って『暁の輝石』を奪おうとしたんだろうね。……同族、家族、友人、恋人、親子……大切な相手が命の危機にさらされれば、希薄になった感情も高ぶって、額の珠霊石が『暁の輝石』になるかもしれない、と」
「っ……!」
目を閉じたレンゲ。
珠霊人たちは感情が希薄な種族として有名だ。
しかし、仕事はきちんとこなしてくれる。
だが、昔はそうではなかったと?
一体どれほどの悲劇に巻き込まれてきたのか。
そして『エデサ・クーラ』、いや……『壺の中の小人』っ!
なんつー、えげつねぇことを!
「じゃあ、ジェラの国の民の額から石が奪われていたのは——」
「考えたくはないけれど、十五年前に『暁の輝石』が誕生して奴に奪われている可能性はゼロではない。『
「っ!?」
「そして、ティナは珠霊人にしてはとても人に近い。感情豊かで……額の珠霊石が『暁の輝石』になる可能性は極めて高いと思う。『暁の輝石』はそこに存在するだけで戦いの火種になる赤尽きぬ奇跡という意味から、そう呼ばれるようになった災いの石……。もしもティナの額の珠霊石が『暁の輝石』に進化したら——」
「赤尽きぬ……血が流れ続ける、という意味か?」
「そう、だよ」
目を瞑る。
なんでも願いが叶う奇跡の石。
そうだろう。
なんでも願いが叶うなら、特に権力者は欲するはずだ。
そしてもしも、それを齎す可能性が高い……『
思わず顳顬を押さえた。
これは、なんつー頭の痛い……。
「ティナが聖女として大切にされるのは悪いことじゃないとは思うよ。でも、珠霊人であることや『暁の輝石』のことは知られると厄介だ」
「そう、だな……」
それで音を遮断する結界、か。
確かに城壁の守り要員として各国から派遣されている騎士に聞かれるとまずいな。
連中にとってみれば付加価値が増えることになる。
「わかった。つーか、それじゃああの『
「僕はそうじゃないかなって、思ってる。『壺の中の小人』が……自分の体として……」
『
「くっ……」
ティナの同族が『暁の輝石』のために、どんな目に遭わされたのか……。
そしてその痛みから生まれた『暁の輝石』が、世界を喰う化け物を生み出した。
そんなこと、ティナに言えるかよ……!
「でもティナは聡い。いつか気づくかもね」
「………………」
そうかもしれない。
できれば、気づかないでほしい。
そして、どうか……。
「本当なら」
「?」
「本当なら珠霊人が夫婦になる儀式の時に、双方の額の石が進化することで、愛の証明とされていた石なんだ。……『愛築きの石』……語源はこちらだと言われてる」
「…………ひでぇ話だな」
「僕もそう思うよ」
笑えないほど酷い話だと思う。
同時に、腹わたが煮えくり返りそうな怒り。
『壺の中の小人』、そこまでしていいと思ってんのか?
ああ、テメェにとっちゃ人間も亜人も器にすぎねぇってことなんだもんな。
「だから今度こそ、あいつの全てを焼失させる。二度と生まれてこないように」
「……できるのか?」
「うん、必ずね。…………問題は『
「ん? 『
「うん。でも、覚えている? あれが最初に見え始めたのは……」
「三年前、だな?」
だがそれ以前から、世界に魔物の増殖と巨大化は報告されていた。
今の話から『
いやいやまさか、あと五年で世界が呑まれる?
「まさか、だよな?」
「いや、今あなたが考えたことは正しいよ。あいつは多分、十五年前に……もしかしたら“いくつかの”『暁の輝石』を手に入れている、かもしれない。そのうちの一つに己の身体を願い、『
「っ……もし奴の持っている『暁の輝石』が一つじゃないとしたら……その数の分だけ奴は願いを叶えられる……!」
「まあそうなるね。とはいえ、そんなに数は多くないはずだ。珠霊人は感情が希薄な種だからね……肉親や恋人の死や悲しみにも、反応が薄い。それに、あいつは狡猾だもの。『
拳を握り締める。
歯の奥が痛むほど、噛み締めた。
聞けば聞くほどに『壺の中の小人』は、この世界に存在してはならねぇモノだ。
「『暁の輝石』があれば『小人』は復活するかもしれないんじゃないのか? どうやって二度と産ませないようにする?」
「奥の手がある」
「奥の手?」
「僕は二千年間、どうやってあいつを二度と生み出さないか考えてきたもの。『エア』はあいつを『試練』と言った。あらゆる種が、種の壁を乗り越えて立ち向かわねばならない試練である、と」
「試練……」
悲しげに目を伏せるレンゲ。
この世界の生き物……種族が種族の壁を乗り越えて立ち向かうべき、試練。
そういえば、いつだったかレヴィレウスが、こいつは『エア』の血縁だとか言っていたよな……?
こいつは、もしかしたら『エア』とこの世界を繋ぐ唯一の存在なんじゃないか?
「僕一人では正しくあいつを葬れない。自覚しなくてはいけないんだと思う。この世界の全ての種が……『エア』の、一部に過ぎないと言うことを」
「この世界の、唯一絶対神……」
「珠霊人は『エア』の分身でもある珠霊を宿した民だ。だからこそ『暁の輝石』を生み出せるんだろう。珠霊石よりもほんの少し『エア』に近い力を持つ石……それが『暁の輝石』」
「っ、それは、つまり『暁の輝石』ってのは……『神の石』……ってことじゃねぇのか?」
「うん、そう。それになにを祈るか……。『エア』はそれを見てる。ティナの父親である、あなたにだから話した。……あなたはティナを裏切らないよね……?」
「は? そんなの当たり前……」
だろう。
と、言い切る前にその質問の意味を、察した。
「当たり前だ。馬鹿にするな」
「ごめんね。でも、人間には僕もそれなりに裏切られてきたから」
「…………」
そう言われるとなんも言えねーなぁ。
俺もそれなりに仲間だと思ってたやつと色々あったから。
「まあ、でも、時間が経って話してみると、意外と許せたりもするからな」
「そういうもの? でも、残念ながら僕の場合、みーんな死んでいるんだよね」
「そ、そうか……」
時間経ち過ぎてるやつか。
「ああ、でも、当代はレェシィにとてもよく似ているから、彼とは少しゆっくり話してみたいかな……」
「シィダが? ……レェシィってのは、初代『太陽のエルフ』にして、旧時代のエルフ王、だったよな?」
「そう。今も昔も、僕のただ一人の
「…………」
先程とは打って変わって、穏やかに瞳を伏した。
今も昔も、ただ一人の
ああ、俺にもいるなぁ……。
「なんつーか、そういう話を聞くと、お前ってマジですげーんだなぁと思うわ」
「ど、どういうこと」
「いや、だって旧時代のエルフ王と
「レェシィは、当代よりも性格がアレだったから、僕しか友達いなかったんだよ」
「…………」
シィダ(あれ)より、アレ?
さ、さすが旧時代のエルフ王……?
「さてと、そろそろお酒も抜けたんじゃない? 夜も更けたし寝たら?」
「ん、そ、そうだな……」
「あ! そうだ、忘れてた! さっき食堂にマルコスさんの明日の予定聞きに行ったのにいなかったんだ!」
「…………」
食堂。
リコにプロポーズ。
チーン、と導き出されたそれに顔が寒いような熱いような……。
ぐっ……明日、明日か。
明日どんな顔してリコに会えばいいんだっ。
「シンセンは大国の宗教がやはり問題だと言っていたんだけど……明日以降どこを回るつもりなのかなって」
「あ、ああ、一応『フェイ・ルー』に行ってから、一度ロフォーラに顔出しに帰ろうと思ってた。レネとモネはまだガキだからな」
「そうか。『フェイ・ルー』もなかなかに大きな国だものね……」
「時間はかかるかもしれないが『意思持つ
「うん、そうだね。……時間は、かかるよね……」
見上げたレンゲの眼差しの先には、どことなくまた巨大化したように感じる『
ああ、焦れるな。
*********
「マルコス、もう出るのか?」
「グッ!」
翌朝、二階の食堂で飯を食っていたら後ろからリコに声をかけられ、詰まった。
隣にいたシンセンが背中をさすってくれる。
水で流し込むと、ようやく一息ついた。
「す、すまない」
「い、いや」
ヤヤヤヤヤヤバイ。
どどどどどんな顔すりゃいいかわからん。
ふっふっふっ振り向けねぇ……!
「今日出るのか?」
「お、おおおうっ」
「?」
やめろ、シンセン、そんな顔で見るな!
前髪で目元はわからないがその困惑空気は居た堪れないから空気を読んでくれ!
幻獣のお前に酷なことだとは思うが頼む〜!
「ティナに挨拶してから出てこうとは思ってるが……」
「そうか。私がさっき話してから、もう表に行ったようだったぞ」
「お、おう、そうか、は、早いんだな」
俺は昨日夜更かししたから……まあ、その、眠れなくて……遅くなったのもあるけどな。
ティナはもう外か。
食い終わったら行ってみるか。
「それで昨日の話だがな」
「ブウっ!」
「ど、どうされたのだ今日は!?」
シンセン、すまぬ。
口に入れたものを噴き出した俺に驚いて、厨房からナプキンを持って来てくれる。
ふ、振り向けねぇ……!
後ろからの圧が!
リコからの圧がっ!!
「少し考えてもいいだろうか。その、私も色々と、整理しなければならないことが、ある」
「っ」
「引退後の選択肢の一つとして、考える。で、い、いいか?」
「…………。お、おう……」
「で、では、お互い引き続き、頑張ろう……」
「お、おう……」
コツ、コツ、と食堂から遠ざかる足音。
結局一度も振り返れなかった。
でも、でも、そ、そうか、引退後の、選択肢の一つ、か。
そ、そうだな、うん、でも、まあ、考えてくれる、かぁ。
「よっし! 出掛けるぞシンセン!」
「え!?」
なんか、なんかすごく働きてぇんだよ!
とにかく!
よっしゃ、今日も頑張るぞー!
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