第78話 祝言



 町の名前が決まり、看板が付け替えられ作られ、更には客用、町民用の岩風呂作りが始まってから数日が経ち……無何有宿は至って平和な日々を送っていた。


 事件もなく事故もなく、これといった諍いも起きていない。


 一度にこれだけの数の町民が増えたとなれば諍いの一つや二つ、起きそうなものだったのだが……どの妖怪変化達も常に穏やかで笑顔で、それぞれの長にしっかりと統率されているのもあってそれらしい気配を全く、僅かも見せていなかった。


 防犯防火も奉行の仕事。

 であればこそ善右衛門は、そういったことに神経を尖らせながらの日々を送っていたのだが……どうやらそれは杞憂であったようだ。


(……それぞれ種族が違い、持っている力が違い、好む物が違う。

 そういった違いが上手い具合の棲み分けをさせていて、そういった違いがあるからこそ協力し合えていると、そういうことか)


 朝食後の八房と共にしての散策の中でそんなことを思う善右衛門。

 防犯の意識でもって町の隅々にまでその鋭い視線を巡らせるが、何の問題も見当たらない。


 そしてもう一つの仕事防火に関しては……そもそも炎を操れる狐変化が居る現状、善右衛門に出来ることは少なかった。


 一応善右衛門なりの、それなりの備えは進めているのだが……果たしてその備えに出番があるのやらと思わずにはいられない。


(出火の際の家屋打ちこわしに関しても、けぇ子達の妖術や、熊達の力があれば問題なく行えるだろうし……そもそも狐達の妖術だけで消火出来てしまうことだろう。

 いやはや全く、沙汰を下すような事件らしい事件も最初のうちだけであったし……泰平この上無しといったところか)


 仕事が無くなってしまい、暇になってしまうということには少なからず思う所がある善右衛門だったが、奉行として町が平和なのは願ってもいないこと。


(いっそのこと、町奉行など無用の長物だとそう言われるような町になって欲しいものだ)


 そんなことを思いながら善右衛門がゆっくりと足を進めていると、足元を右に左に前に後ろに、元気に駆け回っていた八房から「ひゃわん!」との声が上がる。


 自分も同じ気持ちだと、そう言おうとしているのだろうか。八房は太陽の光を吸い込んで輝く目でもって善右衛門のことを見上げてくる。


 その目をじっと見つめ返した善右衛門は、足を止めてしゃがみ込み、八房の頭を撫で、背中を撫で、その全身を撫で回してやる。


 そうやって八房とのひとときを楽しんでいると、そこに一人の大男……熊変化の長、進ノ介がのっしのっしと地面を揺らしているかと思うような足取りでやってくる。


「善右衛門様、少しお聞きしたいことがありまして……お時間よろしいでしょうか」


 その見た目に似合わぬ穏やかな言葉使いでそう言ってくる進ノ介に、善右衛門は「なんだ?」との返事をする。


「はい、お聞きしたいというのは祝言に関してでして……。

 うちの一族にちょうどこれから祝言を挙げようとしていた夫婦がおりまして……この町ではそこら辺のことをどうしたら良いのかとお聞きしたかったのです」


「……なんだ、そんなことか。

 めでたいことであるし、当人同士、あるいは家同士が望んでの祝言であればこちらから何かを言ったり、横槍を入れたりはせん。

 お前達の伝統のやり方で……あるいは当人達が望むやり方で好きにしたら良いだろう。

 祝言を終えて無事に夫婦となったなら、その時は一言の報告くらいは欲しいところだが、それ以外でこちらから特に言うことは無いぞ」


「ほ、本当ですか!?

 お江戸では祝言を上げるにしても、身分だとかお上からの命令だとか、色々なことが影響すると聞き及んだのですが……」


「……それはまぁ、その通りだが、それはあくまで江戸の世の、俺達人間のしきたりだ。

 お前達が無理に守る必要は無いだろう。

 法を見ても、熊の祝言をどうこうしろだなんてものは存在していないしな、自由にして良い。

 ……ああ、勿論、自由と言っても限度はあるからな。他者に迷惑をかけたりはするなよ」


「そ、それは勿論承知していますとも!

 では、その者達には善右衛門様のお言葉そのままお伝えしておきます!

 日取りが決まりましたらお知らせいたしますので、祝言の際の宴席にはご期待ください」


「……ん? んん?

 なぜ俺が宴席に期待をする必要があるのだ?」


「何故も何も! この町で祝言を挙げるとなったら当然善右衛門様にもご参加いただかなければならんでしょう!

 二人も善右衛門様にご参加いただけるのかと、特別に心配しておりましたが、自由にして良いとの許可もいただきましたし、宴席では腕を奮わせていただきます!」


 進ノ介のその言葉に善右衛門は目を丸くする。


 祝言をどうするか以前に、なぜそのことを、祝言に出席してくれるかどうかと聞いてこないのだと、そんなことを思い……それそのまま言葉にしようとするが、善右衛門がそうするよりも早く進ノ介は喜びの感情のままに駆け出してしまう。


 そうしてその祝言を控えた男女の下へと、尋常では無い凄まじい勢いで駆けていく進ノ介の背中を、善右衛門はただ呆然としながら見送ることしか出来ないのであった。

 

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