第78話 憐憫/peccato
「そっとね、優しくよ・・・」
ルージュが小声で指示を出す。
「大丈夫だよ! わかってるから」
小声で言い返すと、細心の注意を払いながら、ヴェールの体をそっとベッドの上に横たえる。
「ふぅ・・・完了」
緊張の糸が切れたかのようにドッと疲労感に襲われ、思わず床にへたり込む。そんな俺を見ながら、ルージュがクスッと笑う。
「お疲れさま。じゃあ私、下に行って水とおしぼりの準備をしてくるから」
ルージュは、ヴェールの体に静かに毛布を掛けながら言った。
「うん、頼むよ」
床に座り込んだまま返事をする。ルージュはうなずくと、足音を立てないように階段を降りていった。
「ああ・・疲れた。本当に疲れた・・・」
呟きながら、ヴェールの方に目をやる。静かに寝息をたてている彼女の顔は青白くて、眉間には微かに皺が寄っている。
ヴェールのことはまだ何も知らないが、彼女は多分〝訳あり〟な人なんだろうということは鈍い俺にもわかった。その小さな体に何か相当な重圧を抱えているのかと思うと何だか気の毒に思えた。
しばらくそんなことを考えながらぼんやりしていると、パタパタと階段を登ってくる足音が聞こえた。
「お待たせ、ヴェールはどう? 変わりない?」
ルージュが、洗面器やコップ、水差しなど必要なもの一式を乗せたお盆を両手に抱えながら入ってくる。
「ああ、静かに眠ってるみたいだよ。顔色が良くないけどね」
「顔色?」
ルージュはベッドのそばのテーブルにお盆を置くと、ヴェールに顔を近づけ、額に手を当てたり、首筋を確認したりしている。
「どうかしたの? ヴェール大丈夫だよね?」
真剣な面持ちのルージュに急に不安を覚え、思わず声をかける。
「・・・うーん。なんとも言えないわね・・・最初は馬車が速くて、激しく揺れたせいで気絶したもんだと思っていたけど、これ・・・たぶん魔素切れによる症状みたい」
ルージュはヴェールに毛布をかけ直すと、洗面器の水にタオルをひたしながら、何事か考えているようだった。
「・・・そうなの? だとすると回復魔法が原因ってこと?」
思いも寄らない原因に驚きながら、聞き返す。
「おそらくね・・・ヴェールは見た感じ普通だけど、もしかしたら通常の人よりも体内の魔素量が少ないんじゃないかしら・・・それか魔法が桁違いに、体に合ってないくらいに強力か・・・ねぇ、ヒカリも聞いてるんでしょ。どうなの? その辺のところ」
ルージュは難しい顔をしながら、水にひたしたタオル絞ると、ヴェールの額にそっとのせた。
『はい。おそらくですが、ヴェールさんの体内の魔素が極端に少ないということではないようです。ただ、使っている魔法が強力過ぎるので、燃費が悪いという言い方が正しいと思われます。とにかく体内の魔素だけでは足りずに、無理矢理、生命力を魔力に変換して使用しているようです』
「ん? ごめん、ちょっと意味がわかんなかった。できれば、もうちょっとわかりやすく・・・」
また、俺だけ理解してないのか? ちょっと申し訳ない気持ちになりながら、遠慮がちにお願いする。
「つまるところ、ヴェールの魔法は強力で、体内の魔素では足りず、命を削って魔法を放っている・・・そういうことね」
ルージュが納得というような顔をして、大きくうなずきながら俺を見る。
「ええっ!? そんな・・・じゃヴェールさんは私のせいで・・・死んじゃうんですか?」
突然、アマリージョの大声が響いて驚く。
そう言えば、まだイヤホンつけたままだった。
『いいえ、そこまでの負担ではなさそうですから大丈夫です。アマリも安心してください』
ヒカリが穏やかな声で告げる。
「ああ、よかった・・・急に大声を出して驚かせてしまってすみません。でも、本当によかった・・・」
アマリージョが安堵の声を上げる。
『アマリも聞いているので、丁度良いですが、今回使った回復魔法で何かが大きく変化したといった話ではありません。今回はただの魔素切れという所でしょう。ただ、これまでに何度か無理矢理、体内の魔素以上の魔法を放ち、命が削られたという事があったように思えます』
「それはなんで?」
ルージュが再び険しい顔でヒカリに尋ねる。
『それは体内の魔素が、所々欠損しているからです』
「魔素が・・欠損?」
驚きながら、今度は俺が口を開く。
『身体の中に出来た魔素の空白地とでもいいましょうか。おそらく欠損している部分は体内の組織自体が死んでいるような状態です。そのために魔素が宿らないといったところでしょうか』
「ねぇ、それって治るものなの?」
ルージュが眉をひそめながら聞く。
『普通に休養をすれば、時間はかかるでしょうが治ると思います。ですから余計に心配ですね。この方は、身体を癒やす時間よりも過酷な事が毎日続いているのでしょうから』
ヒカリの声はいつになく憐憫の色を帯びていた。
「なんとも・・・ならないのよね」
ルージュが悔しそうに呟き、ヴェールを見つめる。その目には憐れみの色が浮かんでおり、誰もが同じ事を考えているのだと悟った。
「ヒカリさん・・少しでも何とかなりませんか?」
アマリージョが通信で、ヒカリに懇願する。責任感の強い彼女のことだ、自分を助けたせいでヴェールがこんな状態になってしまったことに負い目を感じて、何とか力になりたいのだろう。
『そうですね。では、とりあえず魔素だけでも回復させましょう。理論的には充電が出来るので、問題ないはずですから』
「え・・充電? 人間を・・?」
『ルージュ、とりあえずあなたに渡したスマホをヴェールさんの胸においてもらえますか?』
「わかったわ・・・はい、置いたわよ。これでいいの?」
俺の心配をよそに、ヒカリはルージュ指示を出す。
テキパキとそれに応えるルージュ。
『はい。あとはスマホを通じて魔素を身体に吸収させますから。というより携帯から魔素を出すだけで、勝手に吸収されると思いますので』
「あ、魔物を倒して魔素を吸収する・・・そんな感じと一緒ね」
ルージュは心配そうにヴェールの顔を見つめている。
『そうです。おそらくですが彼女は魔法を使って今日のように戦場に赴くことはあっても戦闘の最後までその場にはいないのでしょうね。そのせいで体内の魔素量が経験の割に少ないですし、魔素の回復も遅い。そんな感じでしょうか』
淡々としたヒカリの声が響いた。
「それは途中で気を失ってしまうからなのか、誰かが意図的にそうしているのか・・・いずれにしても可哀想な話だな・・・」
静かに眠るヴェールの顔は、何だか悲しそうに見えた。
いたたまれない気持ちになって、目をそらすと、隣に立つルージュの横顔が視界に入る。ルージュの横顔は、今まで見たことのないような悲しみと憐れみに満ちあふれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます