第590話 崩壊寸前
王都ヴィンテルに張り巡らされた超広域結界はシュタルク帝国軍の足止めをするのに十分過ぎる働きを見せていた。
南では未だに戦闘らしい戦闘が起きておらず、睨み合うだけの膠着状態が続いている。
王都をぐるりと覆っている数十メートルを誇る強固な外壁の上からマギア王国兵が弓などの遠距離武器を構えることでシュタルク帝国軍が安易に近付けなくなっていたことも大きい。今では完全に距離を取り、安全な場所で結界が破れるその時を待つことしかできなくなっていたのである。
一方、王都の東では激しい攻防戦が繰り広げられていた。
外壁の上から矢の雨が降り注ぐ。旧世代の道具である投石機がミシミシと音を立て、巨石を見舞いする。
その光景はさながら魔法が存在しない世界の戦いに近い。
何故、魔法に頼らない旧世代の戦法を取っているのかというと、それもこれも魔力を遮断する結界の弊害であった。
王都に張り巡らされた『
それは、内外問わず攻撃性の魔力を遮断してしまうこと。
この欠点により、マギア王国軍側も魔力に頼らない武器や道具に頼らざるを得なかったのだ。
とはいえ、それは相手も同条件。高く堅牢な外壁の上から一方的な攻撃が可能な分、マギア王国側に優位に働いていると言えるだろう。
対するシュタルク帝国軍は防戦一方を強いられていた。
結界を効率良く喰い破るためには結界に触れなければならない。そのため、無数の矢と岩石が降り注ぐ危険地帯に足を踏み入れざるを得なかったのである。
密集体制を取り、盾を傘にして矢の雨をどうにかこうにか掻い潜る者や、結界の外に出た瞬間に魔法等のスキルで叩き落とす者など、その対処法は様々。
結界の外ではいつも通りに攻撃性の魔法が使えることもあり、マギア王国側の苛烈な攻撃を受けても壊滅的な被害を受けることはなかったのであった。
とはいえ、流石に無傷とはいかない。
力を持たざる者は淘汰されていく。それは自然の中でも戦場の中でもそれは変わらない。
盾を傘にしていた兵士が空から降ってきた巨石に押し潰され、肉塊へと変わる。そんな光景が東の戦場の至る所で散見されていた。
だが、それでもシュタルク帝国軍は止まらない。
しかしながら兵士たちは人間だ。恐怖心だってあるし、仲間が死んでいく様を見せられて何も感じない者は数少ない。けれども今ここで戦場から逃げ出そうと考える者は皆無だった。
それもこれも、今ここで逃げ出せば上官に殺されると全員が理解していたからだ。
進むも地獄退くも地獄。ならばより生き残る可能性が高い地獄を選ぶのが自然な考えだろう。そして、生き残る可能性が高いのは間違いなく前に進む方だった。
だからこそ、シュタルク帝国兵に逃げ出す者は現れない。仲間が死のうとも止まることはない。
戦場に血臭が漂い始める。
開戦から早一時間。シュタルク帝国軍には千以上の死者が出ていた。
対するマギア王国軍の死傷者はゼロ。結界と外壁という優位を存分に活かした戦法によって圧倒的な優勢を築き続けていた。
「攻撃の手を緩めるなッ!! シュタルク帝国軍をここで我らが叩き潰すぞ!!」
「「はっ!!」」
東の外壁を守護する部隊の指揮官が檄を飛ばす。
兵たちの士気は開戦前と比べて嘘のように総じて向上していた。それもこれもシュタルク帝国軍の攻撃を封殺する結界のお陰であることは言うまでもない。
結界に守られている安心感と、徐々に見え始めた勝利の糸口。この二つによってマギア王国軍が勢いづく。
が、ここに来て僅かな異変が生じる。
破れかぶれにシュタルク帝国兵が放ったのであろう巨大な火球が結界に触れ、数秒で霧散していく。
当然の結果だった。
如何なる魔法であろうと、この結界を突破できないことはこの一時間あまりで証明していたからだ。
しかし、その光景を目の当たりにしていた指揮官はそこで微かな違和感を覚える。
(火球が消え去るまでに少し時間が掛からなかったか……?)
あり得ない。きっと気のせいだ。
そんな思いから指揮官は頭を左右に振り、見て見ぬふりを決め込んでしまう。
もしそのような不確かなことを今ここで口にしてしまえば士気の低下は免れない。だからこそ指揮官は真っ先に自分の目を疑い、そして信じようとはしなかったのである。
嫌なモヤモヤが心の中に残り続けるが、そんな中でも指揮官は次の指示を出す。
「油を落とせ! 火矢でシュタルク帝国軍を焼き殺すのだ!」
血臭と焼け焦げた臭いが戦場に充満する。
既に開戦から二時間が経とうとしており、シュタルク帝国軍の被害は甚大なものになりつつあった。
通常であれば、一時的に撤退し陣形を整える必要がある場面だろう。
しかし、シュタルク帝国軍はそれでも退こうとはしない。撤退命令が出る雰囲気さえなかった。
何故ならば、撤退命令を出すべき指揮官が誰よりも危険な最前線の先頭で結界の対処に当たっていたからだ。
「はぁ〜……本当に面倒臭いなぁ。ってか、どんだけ頑丈なんだよ、この結界は。でも、そのお陰でお腹は満たされていくし、僕としては有り難いんだけどね」
結界に直接手で触れながら呑気に独り言を零す群青色の髪を持つ青年。その周りには無数のシュタルク帝国兵の屍が地面に転がっていた。
一人が死ねば、新たな人員が補充されていく。
そのように次々と人の盾を築くことで結界の対処に当たる青年の安全を確保していたのだ。
魔力切れを起こし、岩石への対処に遅れた魔法師が青年のすぐ隣で圧殺され、屍となる。
「お〜い、早く次の盾を用意してくれない? 次はもっと頑丈なのがいいかな」
あたかも使い潰しの道具のように自軍の兵を扱っているにもかかわらず、青年に対して反論や怒りの声が上がることはない。
また新たに人員が補充され、青年の盾となるため、自分の命を守るために奮戦する。
そんなことが幾度と繰り返され、そしてついにその時が訪れようとしていた。
青年が手を翳していた箇所にポッカリと手のひらサイズの穴が空く。
これまでであれば穴は瞬く間に修復されていた。しかし、今回は違った。
非常にゆっくりとだが、徐々に穴が広がっていき、人の頭一つ分のサイズへと穴が広がっていく。空いた穴を修復しようと結界が微かに揺れ動くが、修復速度よりも侵食速度が上回り、穴が閉じられることはなかった。
「ふぅ、やっと終わりが見えてきたか。ねぇ、そこの君。南の奴らに伝えに行ってやってよ。――もうじき結界がなくなるってさ」
――――――――――
鳴り止むことのない鐘の音が王都を取り巻く状況を俺たちに教えてくれていた。
「アリシア、ここで一旦お別れだ」
既に屋敷の中にはほとんど人は残されていない。
開戦直後から、俺の部屋のクローゼットに設置してあったゲートを通り、ラバール王国へと次々と帰国させていたからだ。
そして今、アリシアとその専属騎士であるセレストさんの順番が回ってきていた。
名残惜しいのかアリシアは返事をする前に俺の部屋を一度ぐるりと見回す。
家具や装飾こそ違えど部屋の造りはアリシアの部屋とほとんど変わらない。
数ヶ月に渡って過ごした屋敷だ。今となっては自分の家のような心地良さすら感じていたに違いない。それにアリシアはマギア王国の行く末を見届けることができないもどかしさと心残りを感じているはずだ。
俺では推し量れない複雑な想いを抱いているであろうアリシアは、そんな感情を面に出さないよう顔に笑みを貼り付け、言葉を返す。
「コースケ先生、ディア先生。必ず……必ず、無事に帰って来てくださいね」
「大丈夫だよ、アリシア。後のことはわたしたちに任せて」
ディアは額面通りの言葉だけではなく、アリシアの心情まで見通してそう答えると、アリシアは作り笑顔ではなく、華のような眩しい笑みを浮かべ、元気よく返事をした。
「はいっ」
もちろん、今の言葉だけで心残りが全てなくなったわけではないだろう。それでもアリシアは俺たちを心の底から信じ、頼ってくれていた。そのことが彼女の笑顔を見るだけで手を取るようにわかる。
こうしてアリシアとセレストさんはゲートの先に消えていった。
部屋に残ったのは俺とディアだけ。少し寂しい気持ちになるが、今は感傷に浸っている場合ではなかった。
何はともあれ、未だに閉じることができないゲートを守るための準備を行わなければならない。
応急措置として、まずはクローゼットの扉をディアに壊してもらい、これまたディアに壊してもらった扉を土系統魔法を使って修復してもらう。
そして完成したのは壁だ。まるで最初からクローゼットがなかったかのように見事にカモフラージュされている。
会心の出来だったのか、ディアの表情がどことなく満足げだった。
「念のためにクローゼットの中も強化しておいたから、そう簡単に壊されることはない思う」
「本当に助かったよ。ありがとう、ディア」
ディアが壁の強化を施してくれたのだ。ちょっとやそっとじゃこの壁が壊されることはないだろう。
とはいえ、油断はできない。相手には
唯一の救いがあるとするならば、身体の調子自体は絶好調なことくらいだろうか。とはいえ、愛刀である『紅蓮』一本だけで強敵を相手にするのは流石に無理がある。
おんぶに抱っこの形になってしまうかもしれないが、ディアとプリュイの協力なくして屋敷を守り抜くことは難しいだろう。
俺にできることは何だ。そんな自問自答をしている間に、白銀の城に行っていたはずのフラムたちが屋敷に戻ってきたのであった。
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