第532話 破滅へのカウントダウン

 時間稼ぎ疑惑が浮上したことで、今後の方針を改めざるを得なくなった。

 当然、明日以降の見張りの件も白紙。改めて一から方針を定めることになり、最終的に一つの結論へと俺たちは至る。


「例え無駄足になろうとも、今の俺たちにできることは芸術都市テアーテルに行って、この目で直接容疑者を確認するしかない。アリシア――マギア王国への抗議、頼めるかな?」


 複数人での遠出……しかも学院を休むともなれば監視の目を誤魔化すことは不可能。今の軟禁状態から正式かつ堂々と脱するためにもアリシアの協力は必要不可欠だった。


「はい、お任せ下さい。ロザリー、今夜中に屋敷の者全員に警戒を厳にするよう通達を」


 二つ返事で快く頼みを引き受けてくれたアリシアはその表情を王女のものへと変え、ロザリーさんに命じた。


「承知致しました」


「テアーテルには俺、ディア、プリュイ、リーナの四人で向かおう。フラムは約束通り、アリシアたちを守ってあげてほしい」


「うむ、そうさせてもらおう。それと主よ、先に断っておくが、万が一アリシアやこの屋敷の者たちを害しようとする者が現れたその時は――私は一切の容赦をするつもりはないぞ」


 金色の瞳が告げていた。冗談などではなく本気であると。


 俺はゆっくりと首を縦に振り、フラムの固い意思をしっかりと正面から受け止める。


「――ああ、わかってる。覚悟はできてるよ」


 俺の手に余る大事まで至ってしまった以上、誰の手も汚さずに誰かを守ることなんて戯れ言を口にできはしない。

 あの日、あの時、ラバール王国で起きた内戦のことを思い出しながら俺は覚悟を口にした。


「リーナのこともあるし、アリシアが抗議を始めたタイミングでまずは俺が一人で王都の外に出てゲートを設置してくるよ。ディアたちはそれを使って俺と合流してくれ」


 いくら多少強引な手に出るとはいえ、リーナの存在が露呈することだけは避けなければならない。どちらが悪なのかを決めている場合ではないが、ラバール王国側に落ち度があると知られてしまえば、後の将来にラバール王国とマギア王国に大きなしこりを残してしまいかねないからだ。


「うん、わかった」「了解ッス」「ようやく暴れられるというわけだな」


 やけに物騒な返事が一つだけ混ざっていた気もするが、まぁ大丈夫だろう。


「プリュイよ、主の命令は絶対だ、肝に命じておけ。もし言うことを聞かないのであれば――」


 フラムはそう言うと、不気味なくらいに明るく優しげな笑みを浮かべ、それからプリュイに見せつけるように握り拳を作り、震わせた。


「わ、わかっておる! わかっておるから、その気味の悪い笑みを妾に見せるでないっ!」


 誰よりもフラムのことを理解しているであろうプリュイは顔を青ざめさせ、そして脅えていた。

 フラムの脅しおかげでプリュイの手綱を何とか握ることができそうだ。


 こうして俺たちは翌日、芸術都市テアーテルに向かうことになったのであった。


――――――――


 その日、オルソン侯爵領最南端の都市ステンガに、エーヴェルト・ヘドマン外務大臣率いる一団が無事に帰還を果たした。

 最後通牒――外交文書を届け戻っただけであったにもかかわらず、エーヴェルトを出迎えた多くの者たちは大きな歓声を上げ、彼らの帰還を大いに喜んだ。

 まるで英雄が偉業を成し遂げ、故郷に戻ってきたかのように。


 ステンガに帰還したエーヴェルトを真っ先に出迎えたのは、先代のオルソン侯爵家の当主であり、ラーシュ・オルソンの養父でもあるランナル・オルソンだ。

 齢は五十過ぎ。年相応に痩けた肉体と白髪混じりの老け込んだ容姿は、隠居生活を始めた貴族相応のものであるとも言えるだろう。


「よくぞご無事で、エーヴェルト殿」


「出迎え感謝する、ランナル殿」


 同年代の二人は長きに渡りマギア王国を支えてきた貴族であり、旧知の仲。家名ではなく名前で呼び合う程度には二人の仲は良好であった。




 場所をこの都市唯一の優美な洋館へと移し、二人は円卓を囲む。

 円卓の上にはエーヴェルトの帰還を祝うためにランナルが用意した年代物の赤ワインが注がれたグラスが置かれ、葡萄の華やかな香りが二人の鼻腔をくすぐる。


「まずは帰還を祝して乾杯を」


「ああ」


 二人はほぼ同時にグラスを軽く上げ、ワインで唇を湿らせると、すぐさま本題へと移っていく。


「予定よりも随分と早く戻られましたが、向こうではどのように?」


「手荒い歓迎が待ち受けているのではとも考えていたのだが、どうやら私の杞憂だったようだ。迅速な対応をしてもらったさ、怖いぐらいにな」


「怖い、とは?」


「それはだな――」


 そう前置きをし、エーヴェルトは顛末を語り始めた。


 少数精鋭で組織したニ百にも満たない魔法師を主体にした部隊を率いたエーヴェルトは、まだ雪解けが始まったばかりの険しく厳しいレド山脈を魔法を用いて道を切り開き、素早く踏破。シュタルク帝国領にその足を踏み入れた。

 そして、レド山脈を下った先にいた国境警備隊の責任者に外交文書を持参したことを伝えると、二日と経たぬうちに外交文書……つまりはマギア王国側からの最後通牒をシュタルク帝国があっさりと突き返して来たという話をエーヴェルトはランナルに訊かせた。


「些か不気味だとは思わないか? 事前通告も無しに一方的に最後通牒を突きつけたのだぞ? にもかかわらず、僅か二日と経たぬうちに返答が来るなど果たしてあり得るのか? まるでこちらの動きを全て見透かし、事前に答えを用意していたとしか――」


 そこまで口にしたタイミングで、途端にエーヴェルトの頭の中に靄がかかっていく。そして靄はエーヴェルトの思考力を蝕み、抱いた疑念を包み隠していった。


「……考え過ぎか。開戦を目前に少々神経質になっているのかもしれん」


「あっはっはっ、エーヴェルト殿が神経質になるとは意外ですな」


 ランナルに限っては僅かな疑念すら抱く様子もなく、ただ笑い飛ばすだけ。それはラーシュによる精神汚染がより深刻なものである証でもあった。


「私も五十を過ぎた。これまで気付けていなかっただけで、やはり老いてきているのだろうな」


「いやいや、私に比べればまだまだ。それでエーヴェルト殿、またすぐに発たれるのですな? シュタルク帝国へ」


「ああ、陛下からのご許可は頂戴している。明朝、我がヘドマン子爵家の六千とオルソン侯爵家からお預かりする九千を合わせた一万五千の兵を率いてシュタルク帝国に向かう。宣戦布告と共にシュタルク帝国を急襲し、奴らの鼻っ柱をへし折ってみせようぞ」


 この時には既にエーヴェルトは完全に誤った認識をラーシュによつて刷り込まれていた。

 ここオルソン侯爵領から白銀の城がある王都ヴィンテルまでは片道だけで数週間は掛かってしまう。つまりは、つい一週間程前に発案したばかりの『シュタルク帝国急襲作戦』が王都ヴィンテルに届いているはずがないのだ。

 にもかかわらずエーヴェルトが国王アウグストから許可をもらったと誤認識をしているのは全てラーシュの力によるものだった。

 だというのに、ランナルは疑問を挟まない。いや、挟むほどの思考力を所持してはいなかったのだ。


「託しましたぞ、エーヴェルト殿」


「ああ――マギア王国に勝利と栄光を」


 二人は赤い液体が半分ほど入ったグラスを高く掲げると、それを一息で飲み干した。




 そして翌日、防衛都市ステンガから一万五千の兵がシュタルク帝国へ向け、出立したのであった。


 ――破滅へのカウントダウンが始まる。

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