第531話 拘束と自覚
芸術都市テアーテル。
美術・音楽・演劇・歌劇など、ありとあらゆる芸術が集合し、発展した都市である。
都市の至るところで吟遊詩人が物語を紡ぎ、聴衆を楽しませる様はこの都市ならではの光景とも言えるだろう。
毎日がお祭り騒ぎのような賑やかなこの都市のとある歌劇場に、その男はいた。
フィナーレを迎え幕を閉じた恋愛悲劇に聴衆から大喝采が送られる。物語に感涙した者、歌に魅せられた者、圧巻の演技に心打たれた者など、抱く想いは人それぞれ。
そんな中、その男――ラーシュ・オルソンだけは目の前の劇にではなく、全く別のことに思いを馳せていた。
(この都市に来てから今日でようやく五日ですか。時間を潰すのも一苦労ですねぇ)
拍手が止み、係員から一般席の客から順に退場を促される。
二階にある一等席に座っていたラーシュは眼下を蟻のように移動する人々を見下ろしながら欠伸を噛み殺す。
(少しは暇を潰せるかと思って足を運んではみましたが、やはり自分にはこの手の物は合わないようですねぇ。所詮は創作された物語ですし、
暇という苦痛を感じながらもなお、ラーシュがこの都市に滞在している理由はたった一つ。
それは――時間を稼ぐため。
十年にも及ぶ侵攻計画の進捗率が約九割まで至った今、ラーシュに与えられた仕事は残り僅か。
もうラーシュが何もせずとも戦端が開かれるのは時間の問題だった。
ラーシュが自ら指揮を取るまでもなく、傀儡となった大臣たちやシュタルク帝国に恨みを持つ貴族たちが勝手に開戦まで踏み切ってくれる段階まで来ている。
ここまで来れば、もはやラーシュ・オルソンという存在は不要になったと言っても過言ではない。例え、このままシュタルク帝国にその身を隠したとしても戦争は始まるだろう。
だが、この期に及んでもラーシュがマギア王国に未だ居続けているのは、『万が一』を排除するために他ならない。
決して短くはない時間を費やした計画を無にしないためにも、ラーシュはこの国に居続けなければならなかった。
(ちょうど今頃ですかねぇ、ヘドマン外務大臣がシュタルク帝国に到着し、最後通牒を送り届けたのは。当然、シュタルク帝国がマギア王国の要求を呑むことはありません。となると、手筈通りに事が進めば、宣戦布告が行われるのは今日から大体一週間後。そうですねぇ……良い頃合いですし、そろそろ自分も王都に戻るとしましょうか。あまり戻るのが遅くなってしまうと、あの者たちが焦れて王都から動いてしまうかもしれませんし、ね)
この戦争を止めうる可能性を秘めている者たちの枷となるためにラーシュはその身を危険に晒す覚悟をしていた。
だからこそ、ラーシュは危険を顧みず王都へと戻る。
例えその身が朽ちても計画を完遂させるために。
ラーシュは歌劇場の席から立ち上がり、出立の準備を整えるために宿へと戻った。
――――――――
「プリュイよ、報告にあった『怪しき者』とやらは、一体いつ姿を見せるのだ? 今日がその日だと訊いていたはずだぞ? ん?」
普段着から戦闘服に着替え、俺の部屋に集まっていたのは、ロザリーさんを除くいつものメンバーと、『
ロザリーさんがこの場にいないのは、芸術都市テアーテルから王都に向かって来ているという噂の容疑者の到着を待つために屋敷を空けていたからに他ならない。
ちなみに『鏡面世界』でリーナが分身体を生み出したのは監視の目を誤魔化すため。リーナが機転を利かせ、一人分の気配を分身体で補填することにしたのである。
そして今、フラムが額に青筋を浮かべてプリュイを睨み付けているのには理由があった。
「し、仕方がないではないかっ! いくら妾の配下が優秀だとはいえ、人間の行動を完璧に読み取れるわけがなかろう!? まさかその者がテアーテルで足踏みするなど、妾とて想像もしていなかったわ!」
「ふんっ、この役立たずめ。いや、そもそもお前に期待をした私が馬鹿だったな」
「なっなっなっ、何をーっ!!」
青筋を浮かべるフラムと、逆上するプリュイの視線がぶつかり合い、罵りあいが始まる。
事の発端は昨日まで遡る。
ここ数日、買い出しという名目でプリュイはロザリーさんと共に王都内を一緒に出歩くようになっていた。
その目的は、配下から報告を受け取るため。
曰く、屋敷の周辺には厳しい監視の目があるため、プリュイの配下は無闇に近寄れず、代わりにプリュイが王都内をぶらつくことで配下から情報を受ける取ることになっていたらしい。
そして昨日、プリュイは配下との接触に成功し、続報を受け取ったのである。
だが、その内容は俺たちを酷く落胆させるものだった。
――『対象はテアーテルから動かず。監視は継続中』とのこと。
芸術都市テアーテルから王都ヴィンテルまでは多少距離があるため、情報にタイムラグが生じていることはわかっている。
時間にして三日から四日程度の遅延があるとはいえ、標的は馬車で移動しているため、今日中に王都に到着することはまずないだろう。
念のためにロザリーさんが外に出て、それらしき馬車が到着するかどうかを見張ってくれてはいるが、正直望みは薄い。戦闘服に着替えた意味がないと知ることになるのも、おそらく時間の問題だ。
「ただいま戻りました。収穫は……ゼロです」
深夜、眼鏡姿のロザリーさんが戻り、申し訳なさそうな表情でそう告げた。やはりと言うべきか、標的は現れなかったとのことだ。
ロザリーさんが帰ってくるや否や、分身体を素早く消したリーナがやや疲れた顔で明日以降の予定を相談してくる。
「残念ッスけど、今日はこれで解散ッスかね。で、明日からはどうするんスか?」
今日はロザリーさんに見張りを頼んだが、明日以降もロザリーさん一人に任せるのはいくらなんでも負担が大き過ぎるだろう。
だからといってフラムはアリシアを含むこの屋敷の人たちを守らなければならないし、ディアは常にアーテに狙われているかもしれないということを考えると、一人きりにするのは不安が残る。
そうなると残る選択肢は俺、プリュイ、リーナの三人となるが、失踪中とされているリーナが外を出歩けるはずもなし。
プリュイはプリュイで何を仕出かすかわからない恐怖がつきまとうことから、申し訳ないが除外させてもらうのが一番だ。
「明日以降は俺が見張りに出るよ。もし何かあったらゲートですぐに屋敷に戻れるしさ」
「そうしてくれるとありがたいッス。あーあ、それにしてもここ最近は時間をかなり無駄に使っちゃってるッスねー。何かちぐはぐしてて上手くいかないっていうか、歯車が噛み合っていないっていうか……」
リーナの何気ない一言に、俺は妙に納得すると共に微かな違和感を抱く。
その違和感はリーナに対するものではなく、『時間を無駄に使った』という部分にだ。
そう意識した途端、俺の頭の中に憶測にも至らない妄想が広がっていき、俺はその妄想を口に出していた。
「俺たちが自発的に時間を無駄に使ったんじゃなくて、そうなるように仕向けられているとしたら……?」
何の根拠もない妄言に近い俺の呟きをディアが拾う。
「仕向けられている? もしそうだとしたら、そんなことをする目的って……」
「私たちを王都に縛りつけておくため、とかになるだろうな」
ディアに続いたフラムの言葉に、俺は背中をぞくりとさせる。
もしこの妄想が妄想なんかではなく真実なのだとしたら、俺たちはすっかり手のひらの上で踊らされていたということに他ならない。
「あははは……ないない、いくらなんでも考えすぎッスよ。私たちを王都に縛りつけておく意味もわからないし。あり得ない……あり得ないッスよね……?」
考えすぎと笑いながら否定するリーナだったが、徐々に顔を青ざめさせ、その語気を弱めていったのだった。
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