第516話 予告状
緊張が最高潮まで達する。
だが、五秒、十秒と待っても次の攻撃がやってくることはない。『気配完知』にも依然として動きはなかった。
こちらの動きを待っているのか、或いは何か別の思惑があるのか、今のところは不明。
罠の可能性が脳裏を過る。
何かしらの方法で俺の『気配完知』を欺き、俺たちをこの部屋まで誘き寄せたのではないかという不安が拭い切れない中、俺は今一度、足を半歩だけ踏み出した。
その瞬間、またもやナイフが俺の鼻先を目掛け、飛んで来る。
何の魔法も掛けられていない無機質な攻撃。投擲技術のみに頼った生温い一撃だ。
難無く短刀でナイフを撃ち落とし、再び甲高い音が室内に響き渡る。
まるで先ほどの光景を巻き戻したかのような一連の流れ。
また数秒経った後、同じようにナイフを投げつけられるのだろうかと安易に考えたその時、間髪入れずにナイフが再び飛んでくる。
とはいえ、所詮はただのナイフ。いくら視界が悪くても俺に通じるはずがない。直撃したところで傷一つ負わせられはしないだろう。
今度は叩き落とさずにナイフを悠々キャッチする。
ここは王妃の部屋ということもあり、それなりに防音性が高い造りになっているだろうが、廊下にいる警備兵のことを考えると音を出さないことに越したことはない。
キャッチしたナイフを絨毯の上に投げ捨てている間にも、ナイフは再び俺を狙って飛んで来る。三本、四本と一定の間隔でナイフが的確に俺の鼻先を目掛けて飛んで来るが、いくらやっても結果は同じ。
苦もなく全てを処理した俺はそれまでに抱いてた違和感を解消すべく踏み出していた足を元の位置に戻した。
「……」
直後、攻撃がピタリと止む。
五メートルという間合いから離れた途端に攻撃が止まったことで俺は確信する。
無機質な感情なき攻撃。それらはまるで指定範囲内に踏み込んだ者を排除するよう事前にプログラムされていたかのように思えてならない。
おそらく勘違いや錯覚の類いではないだろう。紛れもなくこれはそう行動するように精神を操作し、自我まで奪っているとみて間違いない。
その証拠に俺が距離を取った瞬間に攻撃は止み、『気配完知』にも誰一人として微動だにせずにその場から動こうとしていない。
侵入者がいることは相手からしても確定しているにもかかわらず、全くアクションを取ってこようとしないのは明らかに不自然。普通であれば救援を求めて声を上げたり、迎撃をより強めたりするのが自然だ。
そんな当たり前のことすらしようとしないなんて有り得ないし、考え難い。
これらの要素を加味すると、この場にいる俺たち以外の者たちは全員操られていると考えて然るべきだろう。
さて、ここからどうするべきか。
このままじっと様子を見続けているわけにはいかないし、かといってここであっさりと撤退という選択肢もない。
おそらく先ほどのナイフでの攻撃は警告。これ以上近付けば、より苛烈な攻撃が待っているに違いない。
この先、どんな攻撃が待っているのかは未知数。相手を視認できていない以上、この身を持って体験するしか今のところは確認のしようがない。
とはいえ、エステル王妃の様子も気になる。ここは一か八かの賭けに出るべきかどうか悩ましいところだ。
相手は自我を奪われている可能性が非常に高いため、恐怖を知らない死士となって襲い掛かってくることも考えられるが、それでも俺たちの実力であれば無力化できる自信はある。
しかし問題は廊下で待機している兵たちだ。
いくら防音が施されていようが、激しい戦闘が起こればその音を聞きつけこの部屋に大量の兵士が雪崩れ込んできてしまうかもしれない。仮に音が漏れずとも、室内に設置された魔道具によって俺たちの存在が露呈することも十分にあり得る。
エステル王妃の様子を確認するために背負うリスクと、得られるかもしれない情報を天秤にかけ、どちらを選択するか考える。
そう長居はできない。ここは素早い判断が求められる場面。
焦りからか、頭の中で時計の針がカチカチと音を奏でる。
いっそこのまま持てる力を全て吐き出し、思考を放棄して自由気ままに暴れられればどれだけ楽かと考えてしまう。
そんな俺の暴走を止めたのは、ディアだった。
「マカセテ」
仮面に搭載された変声機能によって性別さえもわからないノイズ混じりの小さな声であったにもかかわらず、何故かその声を一度聴いただけで不思議と安心感を覚える。
そしてディアは魔法を行使した。
濃密な白霧を払う一陣の風が俺の背中を越えて駆け抜ける。
振り払われた白霧はすぐさまその密度を高め、集まり、纏まろうとするが、ディアの緻密な魔法の操作により、それら全ては風の妨害を受け、霧散していく。
心なしか霧そのものが薄くなっている気もしたが、それは俺の気のせいだろう。
こうして一筋の道が切り開かれる。
直線上に切り開かれた風が通り過ぎた道は、俺たちとエステル王妃を繋げた。
感情が抜け落ちた表情でポツリと一つ置かれた椅子に腰を掛けるエステル王妃と、その周りを取り囲む甲冑姿の騎士が視界に飛び込んでくる。
全身を金属の鎧で固めていることもあって、騎士たちの表情は窺えない。しかし、互いに視線を交えられる状態であるのに、一切こちらのことを見向きもしないあたり、精神に異常をきたしていることは明らかだった。
「オ……カア、サマ……」
声を変えていてもリーナの動揺が手に取るように伝わってくる。
変わり果てた母親の姿をその目で見てしまったのだ、迂闊な発言をしてしまうのも無理はない。喜ぶべきか、悲しむべきか、向こうにはリーナの声がまるで届いていないらしく、反応は一切なかった。
俺はこの機に乗じてエステル王妃を凝視する。
過去に一度しか会ったことがないため、あまりはっきりとしたことは言えないが、特に痩せ細っていたり、顔色が悪そうな様子はない。
素人目でしかないが、健康状態は良好。この分なら普段はきちんと食事を取っているに違いない。
現時点ではエステル王妃の命に別状はないだろう。感情が抜け落ちているのも、もしかしたら今だけなのかもしれない。
いつ何が起こるかわかったものではないが、ひとまずは安心だ。
ホッと胸を撫で下ろしていると、突然後ろから優しく外套が引っ張られる。
念のため、護衛の騎士たちから目を外さずに耳だけを近付け、俺はディアの声に耳を傾けた。
「キリ、ガ……」
そう指摘され、俺は慌てて周囲を見渡す。
すると、確かにディアの言うとおり、濃い霧に包まれその全貌が全く掴めていなかったはずの部屋がぼんやりと輪郭を覗かせ始めていたのである。
気付いてからは早かった。
白霧はみるみるうちにその密度を低下させ、数分もすれば完全に消え失せてしまうことは明らか。十中八九、プリュイが力尽きたのだろう。
一刻も早くこの場から離れなければならない状況に俺たちは陥る。
エステル王妃の精神を解放する手立てを模索する時間もどうやら残されていないようだ。
ドンドン、と部屋の扉を強く叩く音が聴こえてくる。
「――妃殿下! エステル王妃殿下、お開け下さい! ここよりも安全な場所まで御避難を願いたく!」
廊下を固めていたのであろう警備の者が扉越しにエステル王妃を呼び掛ける。
まだ若干視界に制限こそ掛かっているが、今や誰でも危なげなく歩き回れる程度には霧が晴れてきたため、この機に乗じてエステル王妃を避難させようと考えて呼び掛けたのだろう。
このままエステル王妃から何も返事が無ければ、何かあったのかと許可なく扉が開かれるのも時間の問題。
感情が抜け落ちたエステル王妃の姿に驚くのか、それとも当然とばかりに受け入れるのか確認したいところであったが、今の俺たちにそんな悠長なことをしている時間は残されていない。
俺は自分の肩を二度叩き、ディアとリーナに転移の合図を送る――が、俺の肩に乗せられた手は一つだけだった。
俺は慌てて護衛を無視して後ろを振り向く。
俺の肩に手を乗せていたのはディアだけ。リーナは何故か後方の壁に向かって立っていた。
俺とディアは一つ頷き合ってからリーナに駆け寄る。
そこで俺たちはリーナが壁の前に立っていた理由を知った。
「コレ、ハ……」
リーナの右手には先の戦闘で俺が叩き落としたナイフが握られていた。
そして彼女が立っていた壁には大きく乱雑な文字でこのように刻まれていたのだ。
――『義賊参上! 次は失われし心を頂戴する』、と。
それは予告状以外の何物でもなかった。
「フゥ……イクッスヨ」
こうして俺たちはエステル王妃の容態だけを確認し、脱出したのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます