第503話 窮陰

 カイサ先生のしたり顔すらも気にならないほどの幸運が舞い降りて来た。

 俺たちが求めていた議事録を事前に用意してくれた周到さとその先見の明には感心さえ覚える。


「ありがとうございます、先生。でも、どうしてこれを俺たちに?」


「なに、そう難しい話じゃない。すれ違いこそあったが、お前たちの目的との目的は初めから同じだった。そんなお前たちが行動を共にしたとなれば、こちらとしても自然と見えてくるものがある。お前たちは戦争を止めるつもりなのだろう? ならば私は陰ながらに支えるだけだ。とはいっても今の私にできることは然程ないがな」


 クリスタだけではなくカイサ先生にもラバール王国がリーナを匿っていることは察しがついていたようだ。

 リーナが頼れる先は限られている。『七賢人セブン・ウィザーズ』やカイサ先生を除けばラバール王国くらいなもの。そう思えばリーナの居場所を特定するのは然程難しいことではないのだろう。


「用件はこれで終わりだ、そろそろ席につけ。クリスタの毒もそう長くはもたないだろうからな」


 ある程度の耐性を持っている者ならば、時間の経過と共にクリスタの毒を打ち破ることも不可能ではない。

 なんだかんだいっても、ここは優秀な生徒が揃うSクラスなのだ。カイサ先生が懸念を抱くのも至極当然のことだろう。


 議事録に目を通したい気持ちをぐっと堪え、静かに席につく。


「それじゃあそろそろ解毒するよー」


 クリスタの合図から数秒の後、まるで何事も無かったかのようにカイサ先生は朝のホームルームを始めた。

 教室内にいた者たちは誰も毒に冒されていた自覚はなかったようで、極自然にカイサ先生の登壇を受け入れたのだった。




 帰宅した俺たちは早速リーナとロザリーさんを俺の部屋に呼び、テーブルの上に議事録を広げた。


 狭い四人掛けのテーブルに六人が集まる。

 ロザリーさんには足りていない椅子だけを用意してもらい、一部しかない議事録を囲い読んでいく。

 そして、一通り目を通し終えたタイミングでリーナがゆっくりと口を開いた。


「出席者はロザリーさんの情報と完璧に一致してるッスね。となると、出席者に関しては議事録を改竄していないと思ってもいいんじゃないッスか?」


 リーナの言うとおり、二つの情報が一致したのならば隠蔽や改竄の心配をする必要性はだいぶ下がったと考えてもよさそうだ。

 とはいえ、議事録の内容をそのまま鵜呑みにすることはできない。今は参考程度に考えておくべきだろう。


 退屈なのか、欠伸を噛み殺しているフラムは置いておくとして、リーナの見解に反論する者は誰もいなかった。

 リーナは続けて議事録の内容について語っていく。


「それにしても、シュタルク帝国への侵攻に賛同する意見しか書かれていないッスね。フレーデン公爵家が熱くなるのはまだ理解できるッスけど、他の貴族たちまでもがここまで積極的にシュタルク帝国へ侵攻しようと躍起になるなんて、意外を通り越して不自然にさえ思えてくるッスよ」


 このリーナの意見に真っ先に賛同したのはロザリーさんだった。


「カタリーナ王女殿下の仰られる通り、少々不可解かと。貴族というものは名誉や矜持を重要視する一方で、地位や権力や富を失うことを何よりも恐れます。確かに、もしシュタルク帝国に対して勝利を収めることができるのであれば、富も名声も手に入れることができるでしょう。しかしながら、シュタルク帝国は強い。今でこそ、ラバール王国、マギア王国、そしてブルチャーレ公国、この三つの大国がシュタルク帝国に対して歩調を合わせ、睨みを利かせることで平衡を保てていますが、単独でシュタルク帝国に挑むなど愚かとしか言いようがありません。熱くなりすぎるが故に多少盲目になっているのだとしても、参加者全員が全員、シュタルク帝国に勝利できると考えるとは私には到底思えません」


 貴族の思考や大国のパワーバランスの観点から、ロザリーさんは参加者の洗脳を疑っているようだ。

 国力云々についての知識が然程ない俺でも、ロザリーさんの論には頷ける点が多々あった。


 戦争は忌避すべきものと論じる者が誰一人としていないのは些か不可解だ。ましてや相手は強国とされるシュタルク帝国。仮に確実な勝利が見込めているのだとしても、一人くらいは臆病風に吹かれてもおかしくはない。

 にもかかわらず、誰一人として反対する者がいないともなれば、それは洗脳か、そもそも最初から賛同者しか協議に呼ばれていないと考えるのが自然だろう。


「まぁ、そう考えるのが普通ッスよね。貴族だって馬鹿じゃない。いくらシュタルク帝国が憎かろうが、勝ち目のない戦いに身を投じるなんて真似は絶対にしたくないはず。それとこの議事録、やっぱりおかしいッスよ」


 議事録を手に持ち、パラパラと一通り捲りながらリーナが指摘する。


「ほら、どのページを見ても大臣たちの発言がどこにも見当たらないッスもん」


 全員に見えるように議事録を捲り、そう指摘したリーナにアリシアが意外だとばかりに目を瞬かせた。


「てっきり、大臣たちには発言権が与えられていないのだと思っていたのですが、違ったのですね」


「私が知る限り、こういった重要な会議ではちゃんと与えられてるはずッスよ。なのに、この議事録には大臣たちの発言が全く記載されていない。本当に発言していなかったのか、それともわざと記載されていないのかはわからないッスけど、最終的には大臣全員が賛成に回ってる。こんなのはどう考えてもおかしいッスよ」


「――操られている。やっぱりリーナそう思う?」


 『も』と付けたあたり、ディアもそう考えているに違いない。かくいう俺も、賛同者だけが集められたのではなく、洗脳を疑っていた。


「ええ、確実に。もしこの議事録に書かれていることが全て正しく書き漏らしがないのだとしたら、大臣たちはこの協議が開かれる前から操られていたと考えるのが自然ッスね。そうじゃなきゃ、普段は口うるさい大臣たちが一言も喋らないなんて考えられないッスもん。まあ、この中に犯人がいる可能性も十分考えられるッスけどね」


 ――犯人は白銀の城の中にいる。


 この推測が正しければ、城内で働く大臣たちは容疑者の一人だ。

 大臣という地位とそれに伴う力。

 城内を出歩くことができ、国王や王妃、その他の大臣と接する機会を多く持てる点などを総合的に考えると、筆頭候補とも言えるだろう。


 しかし、決定打にはなり得ない。

 推測……いや、憶測の域を越えられない。


 やはりと言うべきか、この議事録だけで犯人を特定するというのは土台無理な話だったのだ、雲をつかむような話だったのだ。

 端から困難なことだと頭の中では理解していたからか、そこまで落胆することはなかった。


 俺は、リーナがテーブルの上に戻した議事録を手に取り、最後の一ページまで捲っていく。

 そして、ある一文をじっと睨み付けるように何度も繰り返し読んでいた。


「……こうすけ」


 隣に座っていたディアが俺の手元を覗き見て、不安げな声を掛けてきた。


「ああ……」


 俺が見つめていた一文には、こう書かれていた。


 発言者:アウグスト・ギア・フレーリン国王『雪解けを待ち、我らマギア王国はシュタルク帝国に宣戦布告を行う――』、と。


「……春、か」


 議事録に記されたアウグスト国王の発言と、アーテが俺たちに残したメッセージ。

 この二つの時期は明らかに合致していた。


 偶然とは思えない。

 やはり、これは仕組まれた戦争なのだと俺は改めて認識させられたのであった。


 時は俺たちを待ってはくれない。

 春は、すぐそこまで迫りつつあった――。

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