第498話 合同協議

 紅介たち『紅』が足踏みしている間にも、マギア王国はシュタルク帝国との戦争に向けた準備を着々と進めていた。


 ラーシュ・オルソン率いる視察団がマギア王国全土を回っていたのも、全てはシュタルク帝国との戦争のために他ならない。

 領地を持ち、そして武力を持つ大貴族や地方貴族を説得して回り、協力を取りつけたのは全てラーシュの交渉術によるものだった。

 無論、そこにフレーデン公爵家令嬢であるマルティナの死がラーシュを後押ししたことは言うまでもない。


 そしてこの日、ラーシュの功績がついに実を結び始める――。




「失礼ながら陛下、カタリーナ王女殿下の件はこのままでよろしいのでしょうか?」


 場所はアウグスト・ギア・フレーリンの私室。

 機能美を追及した王族の部屋らしからぬ落ち着いた雰囲気の中、アウグストとラーシュは密談を交わしていた。


 今宵開かれる『対シュタルク帝国合同協議』のために。


 有力貴族を王命のもとに召集して開かれる今宵の協議は、この先のマギア王国の趨勢を決めると言っても過言ではない。

 内務大臣という地位であるにもかかわらず、今回の協議の司会・進行を任されたラーシュは、アウグストの意見を協議に反映させ、互いの意見や方針を事前に擦り合わせるべくアウグストのもとを訪れていた。


 そしてある程度、意見や方針を纏めたタイミングでラーシュは現在失踪中のカタリーナの話題を持ち出したのである。


「ラバール王国の者共に匿われているのであろう? ならばそのままで構わぬ。私に反対するカタリーナがいても邪魔になるだけだからな」


 そう冷たく言い放ったアウグストの表情はピクリとも動かなかった。アウグストの胸中では心配という想いよりも、今この場に居られては邪魔だという想いがむしろ先行していたのだ。

 大切な一人娘の所在を掴んでいるにもかかわらず、全く助け出そうとしないのは父と娘の意見が真逆の位置……すなわち、対立関係にあるが故であった。

 それに加え、匿われている先がマギア王国からしてみれば人畜無害のラバール王国ともなれば、不安や心配な気持ちは湧いてこない。あわよくば、戦争が終結するその時まで白銀の城に近寄らないで欲しいとまでアウグストは考えていた。


 ラーシュからしてみれば、カタリーナは大切な将来の花嫁。

 普通に考えれば今すぐにでもアウグストに進言し、救い出すべく動き出して然るべき場面だろう。


 しかしラーシュも普通ではなかった。


「それは確かに仰る通りです。ですが、今宵の協議中に王女殿下が失踪中だと貴族の方々に知られてしまうと、騒ぎ出される恐れが。カタリーナ王女殿下を熱烈に支持される方も少なからずいらっしゃいますから」


 花嫁の心配などラーシュの頭の中には微塵も残っていない。彼の頭の中は全て今宵の協議のことで埋め尽くされていた。


「カタリーナは失踪しておらぬ。単に友人の屋敷を訪ねているだけだ、違うか?」


「……なるほど。では、騎士団の方には自分からそのように通達を」


「ラーシュよ、ラバールの監視を強化するよう伝えるのも忘れるでないぞ?」


「ええ、勿論ですとも。ですが、どのみちラバール王国の方々には何もできないでしょうが」


「カタリーナが鎖となって縛り付ける。そういうことであろう?」


 口元を邪悪に歪ませ嗤うアウグストに、ラーシュはわざとらしいほどに驚き、誉め称える。


「おお! 流石は陛下、見事なご慧眼をお持ちで。ラバール王国にはカタリーナ王女殿下を匿い、そして隠蔽したという負い目がございます。その事実がある以上、暫くは大人しくしていただけることでしょう」


 マギア王国が戦争に向けて動き始めていることは、もはや周知の事実。もしその矛先がシュタルク帝国にではなく、ラバール王国に向けられる可能性が僅かでも残されている限り、無茶な真似は起こせないとラーシュは踏んでいたのである。


(あの日はカタリーナ王女に一本取られてしまいましたが、今となってはむしろ好都合に思えてきましたねぇ。さてさて、自分が作り出したこの流れ、果たして止められますか?)


 誰に語り掛けるわけでもなく、ラーシュは心の中で一人呟いた。


―――――――――


 『対シュタルク帝国合同協議』は、アウグストとラーシュの思惑通り恙無く進行していた。

 国王アウグストと、ラーシュを含めた十の大臣、そしてマルティナの父であるクリストフ・フレーデン公爵を筆頭とした十五の力ある貴族が大円卓を囲い、シュタルク帝国との戦争を前提とした話が進められていく。


 中でも、愛娘を亡くしたクリストフの発言力は絶大なものだった。この場に於いては国王であるアウグストさえも凌ぐ発言力を持っていたと言っても過言ではない。


「――陛下、ご採択を! マルティナを……いえ、マギア王国の貴族を愚弄したシュタルク帝国に鉄槌を! ここで動かなければ、陛下への求心力が下がりますぞ!」


 額に青筋を浮かべ、声を大にするクリストフ。

 アウグストへの不敬とも取れる、半ば恐喝染みた発言だったが、司会・進行を務めるラーシュも他の出席者たちもクリストフを止めようとはしない。

 そしてそれはアウグストとて同じであった。


 アウグストは一際豪奢な椅子に背中を預け、ただただ沈黙を貫くだけ。

 だが、その行為は決して不満の捌け口になるためではない。

 募りに募っていく貴族たちからの負の感情を限界まで溜め込むことで、この後に『貴族たちからの声に応える国王』を演じるためであった。

 つまるところアウグストは『国王主導の戦争』ではなく、『貴族主導の戦争』にすり替えようと考えていたのである。


 国王としての地位と権力を使えば、貴族を従えることはそう難しいことではない。

 しかしそれでは貴族たちの士気に期待できない。そのようにアウグストとラーシュは結論付けていたのだ。

 いくら王家が優秀な魔法師や騎士を多数抱えているとはいえ、シュタルク帝国との戦争ともなれば、貴族たちの力を借りざるを得ないことは明白。

 相手は大国中の大国であるシュタルク帝国なのだ。

 いくら自国が持つ力に大層な自信を持っているアウグストといえども、王家と貴族が一丸にならなければ勝機はないと考えられる程度には冷静だった。


 だからこそアウグストは演じる。

 貴族たちの力を十二分に発揮できる環境を整えるために。


 クリストフに続く形で続々と貴族たちから声が上がる。


「此度の悲しき事件は、もはやフレーデン公爵家だけの問題には留まりませんぞ!」


「そうですとも! シュタルク帝国の諜報員がどこに潜んでいるかもわからぬのです! このまま座しているだけでは我々とて、いつ寝首をかかれるかわかったものではありませぬ!」


「それだけではありません。我々の矜持までも傷つけられたのです。黙ったままでいられる理由がどこにありましょうか」


 対して大臣たちは黙々とペンを走らせていた。

 貴族たちの発言を一字一句書き起こし、今回の協議に参加できなかった貴族たちへ向け、協議内容などを書き記した資料を作成していたのだ。

 無論、これはアウグストの指示のもと大臣たちは動いている。


 かくして『対シュタルク帝国合同協議』は、シュタルク帝国への宣戦布告に向けた方向で定まっていく。


 協議終了の時刻が迫り、最後の最後に参加者全員の視線がアウグストに注がれる。

 憎悪の炎に燃えた数々の視線を受け、アウグストはようやく沈黙を破った。


「――雪解けを待ち、我らマギア王国はシュタルク帝国に宣戦布告を行う。異論は無いな?」


「「――はっ!!」」


 憎悪の炎はその勢いを増し、大炎となる――。

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