第485話 悲嘆、そして惜別

 オルバーとアクセルが浮かない表情をしたまま戻ってくる。

 その間にもマルティナの治療は懸命に続けられていた。


「マルティナ! マルティナ! しっかりしてっ!」


 今にも溢れそうな涙を必死に堪えながらカタリーナがマルティナの名を叫び続ける。


 イクセルの治療の甲斐もあり、心臓は復元され傷口も完全に塞がった。

 しかし、それだけ。顔は未だに蒼白したままで、意識は戻らない。胸が上下することもなく、体温は下がり続ける一方であった。


 まさに死の間際……いや、既に手遅れなのかもしれない。

 だが、誰も目を背けない。迫り来る現実を否定し続ける。

 ただひたすらにマルティナの快復を祈りながら処置に当たっていく。


 最初に限界を迎えたのはカルロッタだった。

 元々打てる手が少なかったこともあり、ついに治療に使えそうな魔道具が底を尽き、打つ手をなくしてしまったのである。

 悲痛な面持ちでマルティナの傍から離れ、仲間に託すことしかできなくなってしまった。


 次に治療から離れたのはクリスタだ。

 そもそも彼女の専門は治療ではなく毒。『瘴気創出マイアズマ』によって、麻酔に似た性質の毒を生成することで治療の手伝いを続けていたが、過剰に摂取させることはむしろ身体に負担を掛けてしまう。そう判断し、自身の無力さに忸怩たる思いを抱きながらも手を引いたのである。


 そして最後に限界に達したのはイクセルだった。

 全魔力を一点に注ぎ続けた『祝福の光ブレッシング』の行使に、ついに魔力が底を尽きてしまう。ガクリと膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。


 彼女たち『七賢人セブン・ウィザーズ』は、やるべきことを全てやった。

 世界広しとはいえ、イクセルを超える治癒魔法師はなかなか見つからないだろう。町医者程度では話にもならない。国家お抱えの宮廷治癒魔法師や、教会所属の一流治癒魔法師でさえもイクセルには劣るに違いない。

 劣悪な環境下ではあったが、これ以上の治療は望めないと断言できるほどには、彼女たちは万全を尽くしたと言えるだろう。


 そうした懸命の治療の末に……奇跡が起きる。


 最初に気付いたのは、間近で名前を叫び続けていたカタリーナだった。

 それまで全く息を吹き返す気配がなかったマルティナ。その瞼がほんの微かに、筋肉が痙攣するかのようにピクリと動いたのだ。


「――ッ!! マ、マルティナ!!」


 カタリーナは本能で、これが最後のチャンスだと理解する。

 必死に呼び掛け、マルティナの覚醒を祈り、促す。


 目を腫らしたカタリーナの祈りがこの時、確かに届く。

 マルティナの瞼が力なく、されどもゆっくりと開いたのだ。


 そして朦朧とした意識の中、マルティナは完全に乾ききった唇をぎこちなく動かし始める。


「……あ、れ? カタ……リーナ……様?」


 掠れ、非常に聞き取りづらい声だったが、カタリーナは自分の名前が呼ばれたことをすぐに確信する。

 黒革の手袋を脱ぎ捨て、マルティナの手を強く強く握った。


「そうッス! カタリーナ、ッスよ!」


 この時、カタリーナはあえてマルティナが普段から嫌がっていた素の言葉遣いで応じた。


 『いつものように元気な姿で私を叱ってほしい』――そう願って。


 そしてカタリーナはマルティナに顔を近付け、満面の笑みを浮かべて見せる。幼き日によく見せていたいたずらっ子のような笑みを。

 しかし、そんな表情とは裏腹に、カタリーナの白銀の瞳からは止めどなく涙が零れ落ちていく。


 一度決壊してしまった涙のダムを止めることはもうできない。

 涙を流しながら、カタリーナは次の言葉を待った。


「……ワタク、シは……お役に……立て、たの……しょう、か……?」


 そうして返って来た言葉は、俄には信じ難いものだった。

 一瞬、耳を疑ってしまう。マルティナが懸命に紡いだ言葉は、カタリーナとっても、他の『七賢人』にとっても理解し難いものだったからだ。


 それは、度重なる失態を犯した者が口にすることなど到底許されないような台詞。本人には自覚がなくとも、裏切りの嫌疑をかけられていた者が口にするとは思えない台詞であった。


 故に、カタリーナは確信に至る。


 ――マルティナは裏切ってなんかいない、操られていたのだ、と。


 だからカタリーナは笑って頷き返すことができた。荒れ狂う怒りの感情を今この時だけは押し殺しながら。


「何を言ってるんスか? 大助かりに決まってるッスよ。それに、マルティナが傍にいてくれないとやっぱり寂しいッス。だから――」


 ――『元気になって一緒にいてほしい』。


 そう続けるつもりだった。

 しかし……時間が、運命が、それを許してはくれなかった。


 確かに奇跡は起きた。けれども奇跡は一時的なもの。

 吹いては消えるような小さな命の灯火をほんの僅かな時間だけ灯してくれただけに過ぎなかったのだ。


 カタリーナの両手からマルティナの手が力なく、するりと抜け落ちる。


「「――マルティナ!!」」


 そう叫んだのはカタリーナだけではなかった。

 カタリーナとマルティナ。その二人だけの空間を黙って見守っていた他の『七賢人』たちまでもが悲鳴を上げたのである。


 赤く染まった雪のクッションに優しく受け止められたマルティナの手を再度カタリーナが握るが、握り返す力はもう彼女にはない。


 瞼が閉じていく。

 うっすらとだが、確かに開いていた瞼がゆっくりと閉じていく。


 皆が必死に呼び掛けるが、閉じ行く瞼は止まってはくれない。

 すすり泣く声が、諦め悪く足掻く声が、優しく語り掛けるような声が、マルティナに注がれる。


 そしてマルティナは消え行く命の灯火を最後の最後に大炎とし、別れの言葉を紡ぐ。


「……愛して、ますわ」


 こうしてマルティナは口元に笑みを浮かべたまま、友に、仲間に囲まれて静かに息を引き取った。


 彼女に唯一の救いがあったとするならば、数少ない友人たちにその最期を見送ってもらえたことだろう。


 吹雪く真冬の夜空の下。

 六人になってしまった『七賢人』は、涙が枯れ果てるまで泣き続けた――。



「……マルティナ、一緒に帰るッスよ」


 あれからどれほどの時間が経ったのだろうか。

 涙を枯らし尽くしたカタリーナは、マルティナの綺麗な顔を見つめ、小さく微笑みながらその細い腕で事切れたマルティナを優しく抱き抱える。


 カタリーナを止める者はいない。

 皆が皆、マルティナが敬愛していたカタリーナこそが、その役割を担うのに相応しいと考えていたからだ。


 体温を全く感じない冷たくなったマルティナの身体を抱いたことで、改めてカタリーナは彼女の死を実感することになる。

 そして、それと同時にカタリーナは憎悪の炎を激しく燃やす。


(絶対に、許さない……)


 視線の先に止まっている、黒く不気味な馬車を目にして笑みが消える。

 オルバーから話は訊いた。中には黒い棺が積まれているということを。


 マルティナの死を想定して、その馬車と棺が用意されたであろうことは、もはや疑う余地はない。

 友を殺し、そしてその死すら愚弄する犯人をカタリーナは絶対に許さないと心に誓いながら、残った『七賢人』たちに通達する。


「マルティナのことは私に任せてほしいッス。必ず親友の名誉を守ってみせるッスから……」


 マルティナは大貴族の令嬢だ。

 彼女の死が上流階級の者たちに大きな衝撃と影響を及ぼすだろうことは想像に難くない。故に、マルティナの名誉を守るためにも、そして『義賊』であることを隠し通すためにも、王女であるカタリーナが何かしらの工作しなければならないのは明白。他の仲間にはできない貴族社会への裏工作をカタリーナは王女としての権力を行使してでもやってのけると皆に約束したのである。


 こうして六人となった『七賢人』は家路についた。


 しかし、マルティナの死が与える影響をこの時の彼女たちは過小に考えてしまっていた――。

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