第475話 機密魔戦兵団
刻一刻と『その時』が訪れようとしていた。
イクセルと約束した時間までおおよそ二十分。
だが、未だに『
天候は悪化の一途を辿っており、大粒の雪は風に巻かれ吹雪の様相を呈している。しかも厄介なことに、風向きが変わり向かい風になっていた。ペチペチと顔面目掛けて飛んで来る雪は厄介なことこの上ない。
視界状況は言うまでもなく最悪。
かれこれ数十分にも渡って兵士たちの監視を続けてきた俺の全身は当然のように雪まみれ。いくら払っても払ってもキリがないため、今となっては顔に付着した雪以外は完全に放置している。
パパっと魔法を使い、雪を排除したい気持ちに駆られたこともあったが、そこはグッと我慢した。この真っ暗闇の中で無作為に炎なんて生み出してしまえば俺たちの位置が敵に露呈してしまうかもしれない。寒さを感じる身体ではないと言うのに、ただ単に雪が邪魔だからといってそこまでのリスクを取ることができるはずもなし。
そんなわけで俺とディアは雪にまみれながらもじっと我慢を続けていた。
しかしフラムは違った。
どんな魔法(スキル)を使ったのか知らないが、頭の先から爪先……どころか、足元の雪さえも綺麗さっぱり消え去っていたのだ。
「……」
一人だけずるいなんて意味を込めた冗談混じりのジト目をフラムに向ける。
普段なら俺の冗談に対し、フラムは自慢気に何かしらの返事をしてくれただろう。だが、この時のフラムはいつもと様子が違った。
鋭さが増した金色の眼を兵士たちが入っていった宿屋に縫い付けたまま、何故かフラムは嗤い出したのである。
「――くくっ……はははっ! 主よ、どうやら面白そうな者が紛れ込んでいるようだぞ」
猛禽類を思わせる獰猛な金色の瞳と、凶悪な笑みを浮かべるフラムに、俺は猛烈に嫌な予感を覚える。
戦闘狂の一面を持つフラムが嗤ったのだ。その意味するところは『強敵の気配あり』と言ったところだろう。しかもフラムを悦ばせるほどの強敵ともなれば、面倒を通り越して危険極まりない相手に違いない。
弛んでいた緊張の糸を張り直し、俺は神妙な面持ちでフラムに尋ねる。
「……どれほどの相手なんだ?」
「さあ? どうだろうな」
気の抜けた曖昧な返答に肩透かしをくらった気分になる。
とはいえ、フラムが『面白そう』と言ったことには何かしらの根拠があってのことに違いないはずだ。
ならば、その根拠とは一体何なのか。
それは訊かずとも自分で簡単に導き出せた。
「匂い、か……」
宿屋を見下ろしていた俺たちに吹き付けてきた向かい風。その風に乗って漂ってきた匂いが、常人離れしたフラムの嗅覚に引っ掛かったのだろう。
そしてその匂いの発生源を『面白そう』とフラムが言ったということは、つまるところ……。
「うむ、正解だ。この土臭さは間違いなく地の者だろうな」
――最悪だ。
思わず俺は頭を抱えながらそう叫びたくなる。
聞き間違いであってくれと祈りたい気持ちに駆られるが、大きく息を吐くことで冷静な思考を取り戻し、現実逃避している場合ではないと思い直す。
「地の者って、地竜族ってことだよね?」
一瞬のこととはいえ、どうやら狼狽えてしまったのは俺だけだったらしい。肝が据わっているというべきか、ディアは特段焦るような様子を見せることなく淡々と事実確認を行う。
「まあ、そうなるな。面白半分で人間に紛れて遊んでいるだけなのか、それとも上からの命令で動いているのかは知らないが、どちらにせよ興味深い相手であることには変わりない」
フラムの嗅覚を信じるのであれば、地竜族と相対するのはこれで二度目となりそうだ。
一度目はノイトラール法国に現れたフェルゼンという名の男だった。あの時、直接対峙したのはイグニスだったため、俺はフェルゼンという地竜族の男のことを詳しく知っているわけではないが、ある程度の情報はイグニスから訊かされていた。
イグニス曰く『大した相手ではございませんでした』、とのことだったが、イグニスの言葉をそのまま鵜呑みにするほど俺は馬鹿ではない。
イグニスの尺度では本当に大した相手ではなかったのかもしれないが、相手は竜族なのだ。警戒するに越したことはない。
フラムやイグニス、そしてプリュイ等々、伝説上の存在とまで言われている竜族に幸か不幸かこれまで異常なほど多く出会ってきたが、誰も彼もが化け物と言っても過言ではない実力者ばかり。ともなれば、今回ばかりは例外的に弱い、なんて希望的観測は捨てるべきだろう。
その代わりと言ってはなんだが、愚痴を溢すくらいのことは許されて然るべきなのではなかろうかと俺は考える。
「はぁ……どうしてこんな目に……」
裏切り者の調査・特定をするだけのはずだったのにもかかわらず、ここに来て竜族を相手取る可能性が出てくるとは、流石に予想外の展開過ぎる。
正直に言ってしまえば無視を決め込みたいところではあるが、襲撃予定地に竜族がいるなんてことを全く知らないであろうカタリーナ王女たち『七賢人』のことを考えると、何もしてあげないなどという選択肢はあり得ない。最低でも警告くらいのことはしてあげるべきだろう。
ともなれば、一刻でも早く『七賢人』たちと接触するべきだ。そう考えたところで、俺の背中にドンッドンッと強い衝撃が走る。
その衝撃の正体は言わずもがな、満面の笑みを浮かべていたフラムだった。
「安心するがいいぞ。もし敵対するようなことがあれば、私が楽しませてもら――こほんっ、私が相手をしてやろう」
ついつい本音が漏れ出てしまったようだが、指摘しないのが優しさというもの。
フラムが相手をすると言った以上、もしもの時が来ればフラムに任せるのが一番だろう。
横取りしようものなら暴発しかねない。そう危惧した俺は、やや頬をひきつらせながらも、全面的にフラムの意見を尊重することにした。
「あ、ああ。その時が来たら、ね……」
―――――――――――――
小都市クヴァルテールの西側に位置する宿屋の中でも一位、二位を争う広さを持つ宿屋の一階ロビーを総勢百二十人の兵士たちが埋め尽くしていた。
男は床が雪で汚れることを気にする素振りもなく、外套に付着していた雪を払いのけ、濡れた外套を部下に受け取らせると、全兵士たちの注目を集めさせ、声を上げた。
「暫くこの場で待機だ。次の報告を待つ」
大声を出したわけではない。
しかし男の低く野太い声を聞き漏らす者は誰一人としていなかった。
「「――ハッ!!」」
完璧に統率が取れた兵士たちの返事を訊き、野蛮とも逞しいともとれる錆色の顎髭を一撫でした男は鷹揚に頷いた。
ニメートルにも迫るほどの巨体に、鋼鉄の如き肉体を持つその男の名はランナル。
錆色の髭に、錆色の短い髪。外見年齢は四十前後というにもかかわらず、その男の鍛え上げられた肉体は誰の目から見ても老いを感じさせることはない。
そしてその部下たちもそんなランナルの部下に相応しくあろうと、誰もが鍛えられた鋼の肉体を持っていた。
今でこそランナルを含めた兵士たちは防寒具の下にレザーアーマーを着用しているものの、兵士たちが甲冑でその身を着飾れば、立派な騎士だと見間違えられたとしても何ら不思議ではない様相をしている。
ランナル率いるこの部隊の名は『機密魔戦兵団第一部隊』。
マギア王国の極一部の上層部の者たちによって『義賊』を捕らえるために新設された機密魔戦兵団である。
機密魔戦兵団は全部で二十の部隊で編成されており、ランナル率いるこの第一部隊はその中でトップに君臨する実力と権力を保持していた。
選りすぐりの精鋭のみで構成された第一部隊が今回、例外的に命令系統を無視して出撃した背景には、幾度と『義賊』の捕獲に失敗したことに業を煮やしたアウグスト国王の意向が大きく働いていたことは言うまでもない。
本来であれば機密魔戦兵団の命令系統はアウグストではなく別にあるのだが、度重なる捕獲の失敗により、いよいよアウグストの我慢が限界に達したことで第一部隊が重い腰を上げたのである。
しかし、そんな彼ら機密魔戦兵団には国王アウグストの意思に反した別の目的が、任務があった。
それは――。
「わかっているとは思うが、間違えても『義賊』を捕らえるでないぞ。無論、殺害も厳しく禁ずる」
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