第461話 一時逃れ
「なら……裏切り者は誰だ?」
ポツリと溢したイクセルのその一言は鎮まりつつあった水面に新たに大きな波紋を生み出した。
「誰ってって訊かれても……そんなのわかるはずないし、知りたくもないよ……」
表情に影を落とし、目を伏せたままクリスタが悲しげな声を上げる。
それは演技ではない確かな悲痛な声だった。
様々な感情が渦を巻く中で何とか絞り出したクリスタの言葉に呼応するかのようにオルバーが声を張る。
「ああ、俺だってそうだ! つかよ、裏切り者っつうか犯人探しみたいなことはやめねえか? 俺たちの中に裏切り者なんているはずがねえ」
一時しのぎだっていい。今は、今だけは臭いものに蓋をしてしまえと謂わんばかりに、オルバーが身ぶり手振りを付け加えて全員の説得にかかる。
「オルバーには悪いけど、その意見には賛同しかねるな。僕としては膿があるのなら早い内に出し切るべきだと思ってる」
オルバーを逆撫でするかのようにそう言ったのはアクセルだった。
「――なっ! アクセル、何でお前がそんなことを……」
自由気ままな性格の持ち主であり、どんな議論に於いても普段は風のようにその身を委ねることが多いアクセルは、議論中に限っては『
当の本人もそうなることを望んでいた節があったため、これまでは何一つとしてトラブルになるようなことはなかったが、アクセルはこの期に及んで主義主張を、色を出し始めたのだ。
オルバーが唐突に急な変化を見せたアクセルに戸惑うのも無理はない話だった。
「僕だってたまには意見の一つくらいは言わせてもらうさ。それに僕は裏切り者じゃないし、たとえ皆から怪しまれたとしても、探られて困るようなことは何も無いからね」
「俺だってそうだ! けどよ、そういう問題じゃねえだろ? 仲間を疑う、それがそもそも間違いだって言いてえんだよ、俺は」
「うん、オルバーの気持ちはわかるよ。さっきイクセルが怒っていたのも十分理解できるし、共感もできる。けれど、僕たちが窮地に立たされかけているのも代え難い事実だ。到底無視することなんてできないほどにね。それでもオルバーは裏切り者探しに反対するかい?」
つい先ほどまで行われていたイクセルとカタリーナ、そしてカルロッタの舌戦を引き継ぐ形で、オルバーとアクセルの意見が熱くぶつかり合う。
「ああ、それでも俺は反対だぜ。今の関係にヒビが入ることは避けられねえ。互いに互いを疑いあって今の関係を維持できるとは思えねえからな」
「オルバーらしい綺麗で純粋な意見だ。でも、もし本当に裏切り者がいたとしたら? それを放置し続けたら、いつか必ず誰かが傷つく時が訪れてしまう。下手をしたら命を落とすことに繋がるかもしれない。そうなった時、果たしてオルバーは後悔しないで済むだろうか? もしそうなったら僕は絶対に後悔してしまう。だから僕は今回だけは意見を曲げるつもりはないよ」
揺らぐことのない真っ直ぐとしたアクセルの視線がオルバーに突き刺さる。
それは視線だけはない。アクセルの言葉一つ一つがオルバーの心を激しく揺さぶり、反論を許さぬほど突き刺さっていた。
「……後悔、か」
気勢をなくしたオルバーの様子を見たアクセルは安堵の笑みを浮かべると、優しく声をかけた。
「わかってくれたようだね、ありがとう。それと皆に一つだけ勘違いをしてほしくないんだけど、何も僕は裏切り者がいることが確定しているとは思っていないよ。全員の潔白を証明することができれば一番だと思ってる。もちろん、それが難しいこともわかっているけどね……」
裏切り者を探すのと同様に、無実を証明することは極めて難しいと言わざるを得ない。
そもそも、確たる証拠も無しに裏切り者を探そうとしているのだ。状況的に裏切り者がいるだろうという推測の話でしかない以上、裏切り者を特定することも、潔白を証明することも容易いことではない。
アクセルの言葉に、全員が黙り込んでしまう。
自身の潔白をどのように証明できるのかと頭を悩ませていたからだ。
それから一分、二分と重苦しい雰囲気の中で沈黙は続いた。
結局のところ、誰一人として潔白を証明する術を持っていなかった。考えるまでもなく半ばわかりきっていたことだが、皆が皆揃って口を閉ざし続けていたのは、誰か一人でも潔白を証明してくれる者が現れることを願っていたからに他ならない。
そして何より、潔白の証明よりも先に犯人探しが始まってしまうことを心のどこかで恐れていたのである。
ただただ無駄な時間だけが過ぎていく。
そんな時間にピリオドを打ったのは、他の誰でもなく『七賢人』のリーダーであるカタリーナだった。
非情になる覚悟を決めた彼女は、誰もが触れずに口を閉ざし続けていた禁断の話題に手を出す。酷い胸の痛みを堪えて。
「あはは……潔白の証明なんて、ちょっと無理があったッスね。なら、発想を変えましょう。――誰が怪しいか、誰なら犯行が可能なのか、これならどうッスか?」
ここまで直接的に言ってしまえば、もはや仲間を疑えと言ったようなもの。話を進めるために必要な言葉だったとはいえ、人の感情というものは簡単に納得できるようにはできていない。
それはカタリーナをリーダーとして認め、尊敬している者たちでも例外ではなかった。
「「……」」
言葉こそなかったが、カタリーナに集まった視線の中には嫌悪や怒りの感情がいくつか紛れていた。
だが、決意を固めたカタリーナが退くことはない。むしろ更にもう一歩踏み込んでいく。
「よしっ! まずは言い出しっぺの私から喋るのが筋ってもんスかね! なら、私から推測を発表してい――」
バレバレの空元気に、草臥れた笑みをしたカタリーナの言葉をイクセルが遮る。
「――やめろ、リーナ。お前が悪者を演じる必要はない」
「え? 何を言って……」
カタリーナは反射的にとぼけようとする。
しかし言葉でこそ嘘を吐こうとしていたが、肉体は彼女の制御下から離れていた。
瞳は揺れ、声は掠れ震えていたのだ。
明らかに無理をしているカタリーナに、イクセルは呆れながらも、さりげなく話の主導権を奪う。
「下手な演技はやめろと言っているんだ。そもそもここにいるのは六人だけ。マルティナとプリュイが欠けているのを忘れているのか? その二人がいないにもかかわらず、俺たちだけで語り合うのは公平ではないと俺は思っている。皆はどうだ?」
「……確かに一理あるな。……この場にいない二人には反論する余地が一切ないというのはあまりにも不公平だからな」
イクセルに賛同する形で、そう言いながらカルロッタは小さく挙手をした。
「うん、僕もそう思うね。それと、付け加えさせてもらうけど、カイサ先生にも居てもらった方がいいんじゃないかな? 顧問でもあるし、関係者でもあるからね」
「……お、おう、そうだな。俺としても、ちっとばかし頭を冷やしたかったし、今日は勘弁してほしいぜ」
イクセル、カルロッタ、アクセルに続き、オルバーまでもが手を挙げる。何故か申し訳なさそうに、ひっそりと。
そして最後の一人となったクリスタは、オルバーと同様に……いや、それ以上に申し訳なさそうに挙手をする。
「うん……ワタシも皆が揃ってからの方がいいと思う。ホントに……ゴメン……」
クリスタが最後に口にした謝罪の意味はカタリーナだけにしか伝わらないものだったが、当の本人には確かにその言葉は届いていた。カタリーナがクリスタに向けて優しく微笑み返していたのが何よりの証拠である。
「……? まあいい。これで俺を含め五人が俺の提案に賛成したことになる。賛成多数で今日は見送る、それでいいな?」
「そう……ッスね。私だけが駄々をこねても仕方ないですし、また後日全員が揃った時にまたこの話をするということで異論はないッスよ」
「なら決まりだな。日を改めるとして今日のところはこれでお開きとしよう」
イクセルのその一言で重苦しい雰囲気はだいぶ取り払われ、その日は解散となった。
一部の者は気まずそうにそそくさと家路についた中、最後まで『賢者の部屋』に残ったのはカタリーナとカルロッタの二人だった。
この二人が残ったことには理由がある。
「……悪いな」
長テーブルには二人だけ。テーブルの上にはごちゃごちゃと物が散乱していたが、空席が目立つテーブルがどこか寂しい印象を抱かせる。
「それはいいッスけど、なんか私に話でもあるんスか?」
それは帰り支度の途中のことだ。さりげなくカルロッタがカタリーナに近付くや否や、耳元で『……時間がほしい、話したいことがある』と囁いたのが、こうして二人きりになった切っ掛けであった。
やや気まずい雰囲気に呑まれたカタリーナが話を急かすようにそう問いかけると、機微を察したカルロッタが早速話を切り出した。
「……私の考えをあらかじめ伝えておこうと思ってな。……茶を濁していても仕方ない、そうは思わないか?」
今日のところはその場の空気を読んで先延ばしにすることに賛成したカルロッタだったが、彼女の本意は別にあったのだ。
彼女なりに不和を生まないために最大限の努力をしていたのである。
しかし、相手が一人……それも真っ先に裏切り者探しの提案を行ったカタリーナだけが相手なら話は変わる。協調性を重んじる必要はないとカルロッタは考えたのだ。
「……確かにそうッスね。先延ばしにしていても、いずれはその時が来てしまう。気持ちを整理する時間が欲しいっていう皆の気持ちも理解はできるッスけど、それだと手遅れになってしまうかもしれない。あはは……なんか色々と難しいッスね、本当に……」
「……悪いが、私には人間関係について助言してやることはできそうもない。……だが、今回の件については思うところがある」
「……思うところ、ッスか。それは裏切り者に見当がついているってことッスかね?」
「……ああ、そうだ。……あくまでも私の推測に過ぎないがな。……結論から言おう。……情報を流せる人間がいるとすれば、リーナを除くと二人だけだろう。……正体、実力共に不明のプリュイと、そして――マルティナだけだ」
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