第391話 正反対

 初日からかなりのハイペースで進めていたダンジョン攻略だったが、十九階層に至った今もペースが衰えることはない。


 アリシア、紅介、ディア、フラムを主軸としたSクラスのダンジョン攻略は二日と経たずに、カイサが目標として掲げた二十階層を目前としていた。

 流石に無茶をし過ぎたのか、多少アリシアからは疲労の色が見え隠れし始めているが、他の三人からは疲労の色は全く見えない。それどころか、三人はアリシアの動きが鈍くなった分を補うかのように更に出力を上げ、軽快な動きで進路上に無数に現れる魔物を次々と駆逐していく。


(……ふっ、笑えてくるな。連携もさることながら、それ以上に個々の能力が卓越している。ここまで来るとSクラスでダンジョン攻略をしているとは言い難い。もはや、あの三人だけで攻略をしているようなものだ)


 実地訓練の監督責任者を務めているカイサは後方から生徒たちの戦いぶりを見守り、そして観察していた。

 ふとした拍子に危機的状況に陥りそうになれば、いつでも戦闘に介入できるよう心構えだけはしていたが、全ては杞憂だったとカイサは思い直す。


 元より『七賢人セブン・ウィザーズ』が三人も参加していることから、危機的状況に陥ることはまずないだろうと見当をつけていたが、『七賢人』の三人が力を全く振るうことなく、ここまで順調に攻略を進めてきたことにカイサは驚きを通り越して苦笑する他なかった。


(入試の時から奴らは只者ではないとは思っていたが、ここまでとは……な。教師という身でありながら、奴らを観ているとどうしても血が滾ってしまう)


 好奇心から闘争心へ。

 カイサは教師としての立場を忘れ、一人の魔法師として『紅』の三人の観察を続けていく――。


――――――――


「右は俺が行くよ。ディアは正面の魔物を、フラムは左を頼む」


「わかった、任せて」


「ふぁ〜ぁ……。面倒だが仕方ない。さっさと終わらせて帰りたいしな」


 淡々としてはいるが、頼もしい返事をするディアと、ダンジョン攻略に飽きたフラムのやる気のない返事を合図に、三人はそれぞれ散っていく。


 十九階層の地形は森林。

 木々の間を駆け抜け、時には跳び渡り、瞬く間に三人の姿は森の中へと消えた。


 疲労の色が濃く現れ始めていたアリシアは他のクラスメイトたちと共にその場に残され、乱れた呼吸を整えながら三人の帰りを待っていると、ふと背中越しから声を掛けられる。


「お疲れ様です、アリシア。喉は渇いてませんか?」


 冷えた水が並々と注がれた金属製のコップを手に持ったカタリーナが、コップを差し出しながらアリシアに労いの言葉を掛ける。


「ありがとうございます、リーナ。ちょうど喉が渇いていたところでした」


「あれだけの長い時間、獅子奮迅の活躍をされていたのですから、喉が渇くのも当然でしょう。それはそうと、アリシアは凄いですね。強力な魔物を前にしても、臆することもなく勇猛果敢に戦い続けるばかりか、倒してしまうのですから。もしかして、魔物との戦いに慣れているのですか?」


 はしたないとは思いつつも、激しく渇いていた喉を潤すためにアリシアは渡された水をカタリーナの話を訊きながら飲み干す。

 魔物との戦いで顔と服は汚れ、黄金色の髪は乱れており、今更礼儀作法を取り繕っても仕方がないと半ば開き直ったが故の行動だ。とはいえども、カタリーナの言葉を聞き漏らし、無視するほどアリシアは無礼ではない。


 潤いを取り戻した唇を動かし、やんわりとカタリーナの褒め言葉を否定する。


「私なんてまだまだです。せんせ――コースケさんに援護をしていただきながら、ただひたすらに剣を振るっていただけに過ぎません。私が魔物との戦いに慣れていたのも、コースケさんたちのお陰ですから」


 謙虚の言葉ではなく、今言った言葉全てがアリシアの本音だった。

 足手まといになるまいと、懸命に、がむしゃらに、無我夢中となって戦っていただけであり、未熟だと感じることこそあるが、自身を凄いと思ったことは一度もなかったのだ。

 事実、アリシアの独力では、十階層を超えた先に現れる魔物との連戦に耐えきることは難しい。紅介のフォローがあったからこそ、ここまで戦い続けてこられたのであった。


 大方の人間であれば、今のアリシアの言葉を『謙虚過ぎる』と評し、褒め称えただろう。

 しかし、カタリーナはアリシアの言葉に対し、否定も肯定もしなかった。

さりげなく話題を逸らしたのである。


「アリシアはあの御三方を評価し、とても信頼しているのですね。それにしても……あの方々は本当に一体どれほどお強いのでしょう?」


 そう――カタリーナは探りを入れたのだ。


  『七賢人』第六席カルロッタの『心眼』をもってしても、何一つとして見通すことができなかった三人の情報を少しでも引き出すために、彼女は今一度踏み込んだのである。

 紅介たちがSクラスに加わった初日にも食事に誘い、似たような質問を投げ掛けたが、その時は曖昧で抽象的な答えしか返ってこなかった。

 だが、カタリーナは諦めることなく再度問い掛けたのである。


 すると、何故かアリシアは小さく笑った。


「……ふふっ、気になりますか?」


「えっ、ええ……」


 探りを入れていることを覚られたのかと思い、カタリーナはほんの僅かに狼狽えた。

 しかし、続くアリシアの言葉に、それが杞憂だったとすぐ気付かされる。


「リーナは学院の首席ですから、気にしてしまうのも無理はありませんね。もしかしたら近い将来、首席を競い合う相手になる可能性だってありますから。……先生方にその気があるとは思えませんが」


 アリシアの最後の一言だけは声があまりにも小さすぎてカタリーナには聞き取れなかったが、疑いの眼差しを向けられなかったことへの安堵で、彼女は聞き返すことをせずに無難な相槌を打つ。


「アリシアの言うとおりです。競争相手が増えることは自身の成長にも繋がるので喜ばしいことなのですが、嬉しい反面、どうしても気にし過ぎてしまうと言いますか、神経質になってしまうと言いますか……」


 どこか演技じみていて、それでいて言い訳じみた自分の言葉にカタリーナは妙な羞恥心と罪悪感を抱く。

 そして彼女は心の中で『反吐が出そうだ』と自嘲した。


「世界でも名高いヴォルヴァ魔法学院の首席に居続けることの難しさは私にはわかりません。理解して差し上げることもできません。ですが――」


 そんなカタリーナとは対照的に、アリシアは度重なる戦闘で汚れた顔を微笑ませ、言葉を続ける。


「一つだけ助言を。烏滸がましいと思うかもしれませんが、もしかしたらリーナのお役に立てるかもしれませんので」


「……助言、ですか?」


「はい。コースケさんたちの強さを知りたいのであれば、リーナも一緒に戦ってみてはどうでしょうか? ちょうど次は二十階層です。見てもわからない強さを知るには良い機会になるとは思いませんか?」


 純粋で、無垢で、素直で、無邪気な笑みを向けながらアリシアはアドバイスを送った。


「……ええ、それは確かに。ありがとうございます、アリシア」


 カタリーナは顔に無理矢理笑みを貼り付ける。


 自分とはあまりにも正反対な眩しすぎるアリシアの笑み。

 その笑みを見て、カタリーナは胸にチクりと小さな痛みを感じたのであった。

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