第380話 一位を賭けて

 グラウンドで向かい合うアリシアとスヴェン。

 緊張で僅かながらに呼吸に乱れが生じているアリシアに対し、スヴェンは飄々とした態度でアリシアに話し掛ける。


「まさかアリシア様と戦う栄誉を授かれるとは思ってもいませんでしたよ。しかもこの戦いの勝者が一位突破を手にするという最高の舞台。楽しまなければ損になります」


 虚勢なのか、はたまた本心からの言葉なのか、アリシアにはわからない。だが少なくとも、スヴェンはこれまで何度もクラス替え試験を経験してきているのだ。アリシアよりも場慣れしていることには違いない。


「楽しむ、ですか。申し訳ありませんが、私には楽しむつもりはありません。絶対に勝たなければなりませんので」


 自分一人だけがAクラスに残されるわけにはいかない。

 アリシアの目から見て、紅介、ディア、フラムの三人は確実にSクラス入りを果たす。三人の実力の底は未だにわからないが、アリシアには絶対的な確信があった。


 ともなれば、アリシア自身もSクラス入りを果たさなければならない。

 護衛の観点からしても、学院生活をより良いものにするためにも、ここで足を引っ張るわけにはいかないという確固たる思いがアリシアにはあったのだ。


「それは残念ですね」


 言葉とは裏腹に、スヴェンは口許に笑みを湛えながら、鞘から剣を抜く。

 形状こそ違えど、両者共に武器は片手剣。学院から借り受けたなまくらの剣だが、条件は互いに同じ。武器の性能差で勝敗を分かつことはない。


 両者が指定の位置まで離れ、試合の準備が整う。

 安全装置の役割を担う腕輪を着用し、後は審判役の教師の合図を待つだけとなった。


 深呼吸を数度繰り返し、アリシアはスヴェンに鋭い眼差しを向ける。

 緊張してないと言えば嘘になるが、心身共にほぼ万全の状態をアリシアは保っていた。


 そして――試合開始の合図が出される。


「――始めっ!」


 試合開始直後の両者の距離は二十メートル。

 剣ではなく、魔法の間合いということもあり、アリシアはすぐさま魔法を警戒する。


(あの人の得意魔法は水系統魔法のはず。私が持つ魔法との相性はあまり良くありませんが、この距離なら当たりはしません)


 アリシアはそれまで行われたスヴェンの試合全てを穴の開くほど観戦し、スヴェンの戦闘スタイルや能力などの情報を徹底的に頭の中に叩き込んでいたのだ。


 観戦してわかったことは二つ。

 スヴェンは三試合全てで水系統魔法だけを使用していたこと。そして、剣の腕は自分と互角か少し下であるということだった。


 勿論、手の内を隠しているであろうことは頭の片隅に置いておかなければならないことをアリシアは重々承知している。

 一瞬の油断が命取りとなってしまうのだ。相手は自分より格上だと思いながら、アリシアはこの戦いに臨んでいた。

 だが、油断とは別として、剣の腕だけならば負ける気がしていないのも事実。

 実は腕がかなり立つにもかかわらず、わざと下手に見せている可能性を完全には排除しきれないが、アリシアは自分の眼に確かな自信を持っていた。

 並々ならぬ鍛練を積み重ねてきた剣に関することならば、自分の眼を誤魔化すことはできない、と。


 そして、剣の腕に対する認識はスヴェンも同じような考えをもっていた。


 互いに睨み合いを続けて牽制し合う中、スヴェンは頭を巡らす。


(純粋な剣の腕では僕の勝ち目は薄いでしょうね。ですが……魔法を絡めれば話は別です)


 先に動いたのはスヴェンだった。

 小手調べとばかりに、極限まで冷えた小さな水球を三つ作り出し、アリシアに向けて高速で放つ。

 当たればローブが水を吸い、動きを鈍らせることができ、更には体温を下げて体力を奪うこともできると考えての様子見程度の魔法だ。

 この水球に対してアリシアがどう対処してみせるのか。そういった意味合いも含まれていた。


 ここでアリシアが取れる選択肢は限られている。

 回避するか、魔法で打ち消すかのほぼ二択だけだ。

 しかし、スヴェンが放った水球はその速度もさることながら、アリシアの逃げ道を無くすように直線上に三方向に放たれたため、アリシアの身体能力では回避は極めて難しい――かのように思われた。が、アリシアはスヴェンの想像を上回った動きを見せる。


「――当たりません」


 その言葉と共にアリシアは風系統魔法を発動。

 両足を風で纏わせ、靴の裏から空気を噴射することで高速移動を可能とさせたのである。

 アリシアはこの魔法を『風の靴エア・ブーツ』と名付けているのだが、この『風の靴』には致命的な弱点があった。

 緻密な魔法の制御能力が必要とされるため、アリシアの現在の魔法制御能力だと高速移動は二歩までが限界だったのだ。それ以上の移動となると、途端に魔法の制御に失敗してしまい、あらぬ方向に飛んでいってしまうという恐れがある諸刃の剣でもあった。

 だが、一瞬の移動だけに限定すれば、この『風の靴』はかなり有効な魔法であることには変わりない。三歩以上の高速移動ができないことを悟られなければ尚良しといったところだ。


 実はこの魔法……『風の靴』なのだが、ディアはこれまで冒険や旅の途中の移動で度々使用していたのだった。魔法制御能力に長けているため、アリシアと違って歩数制限もなく、だ。

 紅介とフラムよりも身体能力が劣るが故に、誰にも言うことなく(わざわざ言う必要がないと思っていた)、極自然に使用していたのである。

 この時点では、その事実をディア以外は誰も知らない――。



 当然のことながら、アリシアは弱点を簡単に悟らせるような真似はしない。

 最初の一歩だけで水球の軌道線上から大きく逸れることでそれを回避。その後は『風の靴』を一度切り、再度睨み合いの状況に持ち込んだのである。


 これまでの三試合で一度も見せたことがなかったアリシアの高速移動を目にし、スヴェンは素直に心の中で感嘆の声を漏らす。


(……素晴らしい。魔法の制御能力も素晴らしいですが、魔法に振り回されないバランス感覚、体幹の強さには目を見張るものがあります。僕が風系統魔法を使えたとしても到底真似できそうにありませんね。本当に面白い)


 睨み合いを続ける最中、スヴェンは口角を上げる。

 一筋縄ではいかない相手。だが、それが楽しくて仕方がなかったのだ。最早、スヴェンの頭の中にはSクラス入りのことはない。今、この時を楽しむことだけに集中していた。


 小手調べはこれで終わり。次の瞬間から本格的な戦いが始まる。


 スヴェンは四元素魔法の中で己が最も得意とする水系統魔法を使い、数百にも及ぶ氷の針をアリシアの頭上に展開した。

 鋭く尖った十センチほどの氷の針が指し示す先は当然のことながらアリシアだ。


(先ほどは避けられてしまいましたが、これなら如何しますか?)


 いくらフットワークに自信を持っているアリシアであろうとも、数百もの氷の針を回避することは不可能。どこに逃げようが氷の針がアリシアを逃がすことはない。


 絶対必中の魔法。

 この魔法に対抗するには並々ならぬ防御能力を持っているか、或いはこの魔法を上回る魔法を行使する他ない。

 並の――いや、高位の魔法師でも防ぎきることが困難な圧倒的物量がアリシアに迫ろうとしていた。


「僕を楽しませて下さいね」


 その言葉を合図に、空中に浮かんでいた氷の針はアリシアに向かって加速し、その身を傷つけんと放たれた。


 戦いを楽しみたい。だが、若干の期待こそしているものの、この魔法を防ぐ術をアリシアが持っているとはスヴェンは思っていなかった。


(……終わりでしょうね)


 スヴェンは内心でそう思いながら、氷の針の行き先を見届ける。

 視線の先では、陽光を反射した砕けた氷がキラキラと光輝き、アリシアの姿を完全に覆い隠していた。


 そんな中、スヴェンは目の前の光景に違和感を抱く。

 光輝く砕けた氷の破片が不規則に風に流され、繭状にアリシアの姿を包み隠していたことに――。

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