第349話 声明

 カタリーナ王女から入学試験の概要を訊き、光明が見えてきたことで浮かれ気分となっていた俺の心は、エステル王妃の次の一言で奈落の底へと落とされる。


「そういえばエドガー国王陛下はノイトラール法国の声明をお聞きしましたか? 法皇が変わり、シュタルク帝国の属国になると」


「……なんだと? いつの間にそのような声明が――」


 ――ガタンッ。


 俺は立場を忘れ、思わず椅子から立ち上がってしまっていた。

 驚きのあまり、周囲の視線が俺に集まっていることにさえ気付くことなく、ただ呆然と立ち尽くす。


「ん……? コースケ、どうかしたか?」


「あ、いえ……。失礼……致しました……」


 エドガー国王から声を掛けられたことで、ようやく我を取り戻した俺は、大きく後ろにずれてしまっていた椅子を手繰り寄せて座り直す。


「マギア王国にその声明が届いたのが約三週間前でしたので、もしかしたら陛下が王都から出立なされた際に入れ違いになってしまったのかもしれません。私から端的に声明の内容をご説明させていただきますと、今日からおよそ二ヶ月前、ノイトラール法国で小規模な内乱が発生し、内乱に乗じて法皇が死去……暗殺されたようです。内乱の首謀者であったマヌエル・ライマン枢機卿はボーゼ・レーガー枢機卿の指揮の下に捕らえられ、すぐさま処刑。そして空席となった法皇の座には内乱鎮圧の立役者となったボーゼ・レーガー枢機卿がそのまま就くことになったとの内容でした」


「内乱、か。……他人事のようには思えないな。ノイトラール法国の状況は理解した。だが何故突然シュタルク帝国の属国に?」


「声明文には記載されていませんでしたが、どうやらノイトラール法国は長年に渡ってシュタルク帝国に莫大な借金をしていたようです。おそらく返す目処が立たなくなり、属国化を自ら望み出たのかと」


 ――どうしてこうなったのか。

 そんな想いが俺の心の中で渦巻いていく。


 声明文と俺が実際に目の当たりにした事実との齟齬があまりにも大きい。

 レーガー枢機卿の指揮の下、ライマンを捕らえたという部分は頷ける。レーガー枢機卿が俺たち『紅』の暗躍を表沙汰にしないよう配慮してくれたのだと。

 しかし、法皇の死去、そして属国化の話は到底理解できるものではない。


 俺たちが地下空間でライマンことマルセルと戦っていた最中、レーガー枢機卿とSランク冒険者パーティー『比翼連理』の双子の弟エドワールは法皇を救うべく動き、安全な場所へ避難させたと言っていたはずだ。


 だが現実は違った。法皇は暗殺されたと言う。

 病死ならまだ納得がいっただろう。俺たちがノイトラール法国に向かう以前から法皇は意識不明になっていたと訊いていたからだ。

 しかし暗殺されたとなれば、話は別。

 いつ、どこで、誰に、といった疑問がどうしても付きまとってくる。


 そして何よりも納得がいかないのが、属国化の件だ。

 レーガー枢機卿はノイトラール法国がシュタルク帝国に侵食されてしまうのではないかと憂慮していた。大派閥を築いたライマン派の信者の多くがシュタルク帝国出身の人間ばかりで、信仰心を本当に持ち合わせているのかと疑っていたはずだ。

 言うなれば、レーガー枢機卿とシュタルク帝国出身の信者は犬猿の仲……敵対しているのだと俺は思っていた。いや、勝手にそう思い込んでいただけなのかもしれない。

 多額の借金がレーガー枢機卿にそう判断させたのか。或いは最初から――。


 俺が頭を悩ませている間に、エドガー国王とエステル王妃の話は続いていく。


「世界最大の信者数を抱える聖ラ・フィーラ教の総本山がシュタルク帝国の手に落ちたのか。……厄介極まりないな」


「ええ、マギア王国も大変憂えております。もしノイトラール法国を手中に収めたシュタルク帝国が侵略戦争を仕掛けてきたら、と。祖国と己が信ずる神を天秤にかける者が現れることは明白。聖ラ・フィーラ教のためにマギア王国を売る者がいつ現れてもおかしくはありません」


「同感だ。聖ラ・フィーラ教の影響力は計り知れない。当然ラバール王国にも数多くの信者がいる。そう考えると、利権という柵に囚われている貴族の方が余程扱いやすいかもしれないな」


 三者三様、多少考えの違いはあるかもしれないが、共通してノイトラール法国の行く末を憂慮していたのであった。




 迎賓館での会談を終えた翌日、マギア王国王都ヴィンテルを目指し、エドガー国王率いるラバール王国一団とエステル王妃率いるマギア王国の一団がそれぞれ国旗を掲げながら、港町ヴァッテンを後にした。


 大陸の北部一帯に領土を持つマギア王国だが、王都の位置は大陸北部の中でもかなり西寄りにあるらしく、港町ヴァッテンから王都ヴィンテルまではおおよそ五日の道程とのこと。


 今日も今日とて、灰色の曇り空からは雪が舞い降りている。

 一面銀色の世界……とまではいかないが、至るところに雪が積もっている様子が馬車の中からでも窺える。

 だが、石畳が綺麗に敷き詰められた真っ直ぐと伸びている道幅の広い街道だけは様相が違った。


「……不思議な光景ですね。枯れかけた草木の上には雪が積もっているのに、道には雪が積もっていないなんて。それに寒さも全く感じません。魔法研究国家の異名は伊達ではないということなのでしょうか」


 馬車の窓を開けて外の景色を眺めていたアリシアが好奇心を顕にしながらセレストさんに話し掛ける。


「訊いた話によりますと、街道に雪が積もらないよう石畳に細工がしてあるようです。石畳が熱を放つことで雪を溶かし、その副次効果で街道を行く者までもを暖める。つまりは街道全体が一種の魔道具となっているのです。アリシア様が仰る通り、魔法研究国家の異名は伊達ではありません」


「魔法研究の粋が街道にまで及んでいるなんて凄いですね。入学が叶ったらの話ですが、学院生活がより一層楽しみになってきました」


 向上心の高いアリシアのことだ。一秒でも早く学院で最先端の魔法技術に触れ、学びたいと思っているに違いない。

 自身のため、そして何よりラバール王国のために。


 マギア王国の技術力の高さを熱く語り合う二人の間にディアが不思議そうな表情を浮かべながら参加する。


「わたしにはあんまり凄さ? がわからないんだけど、そんなに凄いことなの? 火の魔法を込めた魔石を埋め込んでるだけだと思ってた」


「少しわかりにくいかもしれませんが、本当に凄いことなのですよ。短く、かつ一時的な物ならラバール王国でもお金を湯水の如く注ぎ込めば似たような道を作ることはできるでしょう。ですが、これほどの規模となると難しいと言わざるを得ません。特に魔石の交換寿命と魔石への魔力供給、この二つの問題を解決する術が私には見当もつきません。付け加えると――」


 ディアの質問がアリシアに火をつけてしまったようだ。アリシアが今までに見たことがないほど饒舌になっている。

 疑問を投げ掛けたディアもアリシアの変わりように目をぱちくりとさせていた。


「――と、いうことなのです」


「……う、うん。なんとなくだけど、凄いことだけはわかった気がする」


 興奮さめやらぬといった雰囲気のアリシアに対し、若干引き気味のディア。

 ディアの引きつった笑みを見て、ようやく冷静さを取り戻したアリシアが恥ずかしそうにしながら反省の色を浮かべる。


「……少々取り乱してしまいました。申し訳ありません。必ずや入学試験に合格し、一つでも多くの知識を得なければと気がはやってしまいました。ディア先生なら必ず合格できると信じていますが、お互いに頑張りましょう」


「うん、わたしは実技試験を頑張るつもり。こーすけは?」


「俺も同じく実技試験一本で頑張ろうかと。たぶんフラムも同じなんじゃないかな?」


 突如ディアから話を振られた俺は、今は同じ馬車にはいないフラムの気持ちも代弁しておくことにした。


「そういえば……フラム先生はどちらに?」


「ああ、フラムなら例の三人組と同じ馬車に乗ってるよ。あの三人組を抑えられるのはフラムくらいだし」


 フラムは水竜王ウォーター・ロードの一人娘であるプリュイとその従者たちの面倒を見るため、別の馬車に乗っていた。




 この時の俺は知らなかった。

 時同じくして、フラムの独断によってプリュイと協力関係を結ぶことになろうとは。

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