第310話 わたしと英雄

(近接戦闘に持ち込まれたら、わたしに勝ち目はない)


 ディアは冷静にそう分析した。

 彼女の身体能力は決して低くはない。むしろ魔法戦闘を主体としている者の中では最上位に位置する水準を保有していた。

 だが今回は相手が悪かったと言わざるを得ない。

 マルセルの拳技スキルが英雄級ヒーロースキルだったなら、回避だけに専念すれば幾分か時間を稼ぐことはできただろう。しかし伝説級レジェンドスキルともなれば話は別だ。

 いくらディアの身体能力が高いとは言えど、拳技の伝説級スキル持ちを相手に時間を稼ぐことは難しい。もって数分。下手をしたら数十秒と掛からずに倒されてしまうだろう。

 せめて魔法が普段通りに行使できるのなら、また違った展開になるかもしれないが、今はそんな『もし』を考えている場合ではない。


 前には怪我が治り、万全の状態となったマルセル。後ろには突然体調を崩した紅介が今なお辛そうに荒い呼吸を繰り返しながら動けずにいる。

 ディアを取り巻く今の状況は最悪と言っても過言ではない。

 頼みの綱であるフラムも、未だにシャドウ・スライムと熾烈な戦いを繰り広げている。ともなれば、当分助けは無いと考えなければならない。


(一秒でも長く時間を稼ぐ。……悔しいけど、今のわたしにはそれしかできない。なら――)


 意を決したディアは魔法を行使した。

 使った魔法は水系統魔法に分類される氷の魔法。冷気がディアからマルセルに向かって漂っていき、そして地面は氷で覆われた。


「ほう、私の足を封じてきたか。その判断はなかなかに賢明であるな。見事だ」


 マルセルはディアが地面を凍らせた意図をすぐさま読み取り、余裕を持った態度で称賛の言葉を贈った。


「……」


 ディアは返事をせず、無言のままマルセルに視線を固定する。だが、実際のところは返事をする余裕が無かっただけだった。


 魔法の行使が困難な状況下での無理な中規模魔法の行使によって、ディアの精神力と体力、そして魔力は大きく削られていたのだ。

 その疲労の度合いは、マルセルの右腕を氷の針で貫いた時の比ではない。


(いつもより魔力を多く消費しないと魔法が使えないし、大気中から魔力も取り込めない。このままじゃわたしの魔力が底を尽きるのも時間の問題……)


 地面を凍らせることはマルセルと戦う上での必要経費だと割り切っていたものの、想定以上にゴッソリと魔力が削られてしまったことにディアは若干の焦りを覚える。

 勿論、まだ魔力に余りはある。乱れ狂う魔力の制御に集中力を割かねばならないが、小規模魔法を行使するだけであれば、まだ戦えるだろう。

 しかし、ジリ貧になっていくであろうことは想像に難くない。


(わたしの魔力が尽きるのが先か、それとも時間を稼ぎ切れるか……)


 ディアは自分の感覚からして、前者の可能性の方が高いと感じていた。

 故に一つの決断を下す。

 一切攻撃は仕掛けずに、防御のみに専念する、と。

 魔力の消費量を抑えるための苦肉の策。防戦一方となり、苦戦は免れなくなってしまうが、今は耐えるしかないと決断した。


 返事をしなかったディアにマルセルは憤ることなく言葉を続ける。


「だが、魔法戦に持ち込んだところで私に勝てると考えているのであれば、それは愚かとしか言いようがない。時間を稼ぐことすら、力の一部しか取り戻せていない貴様ではままならないであろうよ――!」


 その言葉が開戦の合図となった。

 マルセルの体内からディアの頭上付近へ魔力が放出されていく様子をディアの眼が鮮明にとらえる。


(――させないっ)


 マルセルの魔法が完成する前にディアは動く。

 それは魔法の発動兆候を視ることができるからこそ可能な芸当だった。

 ディアは一陣の風を巻き起こし、マルセルの魔力を霧散させて魔法の発動を阻害した。


「面白いッ!」


 魔法が発動する前にディアによって打ち消されたことを悟ったマルセルは、一つで駄目なら二つとディアを横から挟み込む形で魔法を複数展開する。

 だが魔力の流れを線で視認出来るディアにとっては、どこから魔法が飛んで来るのかなど一目見ただけで簡単にわかる。無論、魔法の複数展開もお手の物。先と同様の方法でマルセルの魔法を無力化してみせた。


(マルセルの魔法の発動速度は制限を受けてるわたしよりも下。扱える魔法の種類と発動速度の優位を活かして戦うしかない)


 集中力と魔力が持てば時間を稼げる。そうディアは考えた。

 しかし、ディアが徐々に疲弊していく様を見逃すほどマルセルは愚かではない。

 マルセルは嘲笑うかのように、ディアの魔力を枯渇させるため、自身の魔法が打ち消されると理解しつつも、魔法を次々と放ち続ける。


 その効果は覿面だった。

 一分、二分と時間が経つにつれ、明らかにディアの顔色は悪くなっていた。呼吸も乱れ、今や肩で息をしている始末。


「そろそろ終いであるな」


 マルセルはここにきてディアの虚を突く。

 前後左右、そして上空からの攻撃を繰り返していたのはこの瞬間のための布石でもあった。


「――っ!」


 ディアは虚を突かれ、目を見開く。

 魔法の発動兆候はとらえていた。だが、その魔法は今までとは違い、打ち消すことができない位置から放たれた。


 それは地面。

 それもマルセルの足下から氷の下の地中を通ってディアに向かってきていた。

 土系統魔法は地形を操ることに長けた魔法であることは、魔法を扱えるかどうかに問わず常識中の常識だ。だが、再三に渡って下方向以外からの攻撃を執拗に受け続けた結果、ディアは完全にその常識を失念してしまっていた。

 脳のリソースを魔力の制御とマルセルの魔法を打ち消すことだけに割いていなければ、こんなつまらないミスを犯すことはなかっただろう。


 致命的なミス。

 地中を通るマルセルの魔力を風で吹き乱すことはできない。

 魔法の発動起点の位置はディアの真下。効果範囲はその後ろにいる紅介まで巻き込む形になっている。


 魔力の残量からして、ディアにマルセルの魔法を防ぐ手立てはない。

 ならば、取れる選択肢は一つ。その場から離れるしかない。

 しかし疲弊しきっているディアでは自分だけならいざ知らず、紅介を抱えて回避するなど不可能だった。


 迫り来る一瞬の間に、ディアは思考を加速させる。


(残った魔力を全部使いきって地面を固めてもマルセルの魔法は防げないし、ここは避けるしかない。でもこうすけを抱えて避ける体力も時間もない。どうすれば……)


 ディアの脳に一瞬、こうすけの自己再生能力なら死ぬことはない、と冷静な思考が浮かび上がりかけたが、すぐにその考えを頭の中から追い出した。

 いくら紅介が死ぬことはないとはいえ、自分だけが安全圏に逃げるような真似ができようはずがない。それは裏切りにも等しい行為だ。

 一瞬でもそんな浅ましい考えが頭を過ったことに対してディアは酷い罪悪感と猛烈な嫌悪感を抱く。


 死ぬ死なないの問題ではないのだ。

 合理的な思考であるか否かは関係ない。

 ディアにとって『こうすけに嫌われたくない』という想いが何よりも一番重要で大切だった。


 アーテに敗れ、永遠に続くと思っていた孤独の檻に囚われていた自分を、夢の中でも現実でも救ってくれた大切な人。

 ディアの英雄であり、物語の王子様のような存在。それが紅介だった。


(絶対にこうすけを守る。守ってみせるっ。その為なら――)


 ディアは走った。

 マルセルに背中を見せて。

 間に合わないと知りつつも、一縷の望みに賭けて。


 一歩、二歩と足を懸命に動かすディアのすぐ真後ろから先端を鋭く尖らせた土柱が音を立てて迫っていく。


「――こうすけっ!」


 ディアは右足を強く踏み込み、紅介に向かって勢いよく跳んだ。

 その刹那、ディアはをした紅介と視線を交錯させたのであった。

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