第303話 命の価値
「相容れない考えを持つ貴方に興味を持たれても嬉しくない。わたしと貴方は敵――」
明確に拒絶と敵意を示そうとしたディアに対し、ライマンは間髪いれずに口を挟んだ。
「そう結論を急くでない。其方は人の命を何よりも重んじているのであろう? 故に『
ディアは険しい眼差しと表情を崩すことなく、慎重に首を縦に振る。
「であるならば志は私と同じだ。私も人の命は尊いものだと考えている。決して軽んじても蔑ろにもしておらぬ」
「……何を言っているの? 現に貴方は治癒魔法師の命を奪い、
「いいや、違わぬよ。確かに其方の言う通り、私は『治癒の聖薬』を作るにあたり、罪なき治癒魔法師の命を奪った。ドルミール草の濃縮液を投与することで治癒魔法師の魔力の増幅・暴走を促し、治癒系統スキルの抽出を容易にするために必要な行為であったからな。これに関しては言い逃れはせぬ。だがそれは必要な経費だ。強いて其方と私の違いを挙げるとするならば、大局的な視点で物事を見ているかどうかの小さな違いしかあるまい。大を救うために小を切り捨てられるかどうかの違いだ。其方は知らぬであろうが、治癒魔法師一人から『治癒の聖薬』を一体いくつ作れると思う? 個人差こそあれど、平均してその数は五千にも及ぶ。つまり、治癒魔法師がたった一人犠牲になるだけで五千もの人々を救済することが出来るのだよ。手足を失い不自由している者、魔物に襲われ生死をさ迷う者、事故、災害、戦争……挙げれば切りがないが、そのどれもが『治癒の聖薬』さえあれば救える命が出てくるであろう。無論、大きな力を持つ治癒魔法師がその場にいれば、『治癒の聖薬』が無くとも救える命かもしれぬ。しかし、大怪我を負ってしまい生死をさ迷う中、大きな力を持つ治癒魔法師が近くにいることなど稀だ。そのような偶然は奇跡と言っても過言ではあるまいよ。その点、『治癒の聖薬』は偶然も奇跡も待つ必要がない。望む必要もない。必要なものはたった一つ。それは――金だ。金さえ払えば誰でも購入することが出来る。今はまだ、需要と供給が釣り合っておらぬがな。だが、其方が私に力を貸せば、近い将来それも改善されよう。私一人に依存しない生産体制が整えば、生産量を増やすことは可能になるからな」
ライマンはそこで言葉を一度切り、ディアへ向けていた眼差しをより一層鋭いものへと変えた。
そして……
「其方に問おう――私の配下へ加わらぬか? 人を救いたいという其方の望み、この私が叶えよう。命を尊ぶ其方なら、『治癒の聖薬』の存在が如何に多くの人々の命を救うか理解出来るであろうよ」
耳触りの良い言葉を並び立てているが、ライマンの考え方は歪だ。
少なくとも俺はライマンの話を聞いてそう感じ、そう思った。
罪もなく、本来死ぬべき運命に無かった人を犠牲とするやり方は絶対に間違っている。
もしかしたら志願し、自ら『治癒の聖薬』の材料になることを望む人もいるかもしれない。自分の命を捧げることで、他人の命を救えるならば、と。それが親しい人のためともなれば、なおのこと志願者が出てきても何らおかしくはない。
俺だって似たような考え方をしているという自覚がある。
もし仮に親しい人の命が危機に晒されようものなら、その人を救おうと懸命に足掻くだろう。身体を、そして命を張るだろう。
だが、それでも俺はライマンの考えを否定し、嫌悪した。
身体や命は張る。
けれども俺は自分の命を簡単に諦め、簡単に差し出すことはない。
助けようとした結果、命を落とすことはあるかもしれないが、最初から命を諦めて差し出すことと、足掻きに足掻いた結果、命を落とすとでは全く意味合いが異なると俺は思っているからだ。
何よりそのやり方では、救われた人が本当の意味で救われることはない。
親しい人の命の代わりに自分が助かれば、その人は一生重荷を背負って生きていくことになってしまう。例え命を繋ぎ止めようと、辛い想いを抱き続けることになるだろうことは想像に難くない。
果たしてそれは、本当の意味で救われたと言えるだろうか。
俺はそうは思わない。
どちらも結果としては、救われた人は辛い想いをするかもしれないが、過程が違う。最初から命を代償に捧げるのと、共に生きよう助けようと足掻いた結果では、雲泥の差があると俺は思っている。
だからこそ犠牲を前提とした救いなど、俺は断じて認めることは出来ない。
そのような環境が存在すること自体、認めることは出来ない。
しかし、ライマンの考えに賛同する者が少なからず存在しうるだろうことを否定出来ないのも、また確かだ。多くの命を、怪我人を救える可能性がある以上、少ない犠牲を許容する者は現れるだろう。
赤の他人の命であれば、然して心が痛まない。自分の命や親しい人の命を優先しようと考える者は多い。
それが人という生き物だ。
テレビや新聞、インターネットでもいい。それらで自分と関わり合いのない人の訃報を知ったとしても、心の底から心を痛める人が少ないことにどこか似ているかもしれない。
ましてや現状は『治癒の聖薬』が治癒魔法師の犠牲の上で生産されていることを知っている者が皆無に等しいともなれば、『治癒の聖薬』を使うことに躊躇う者はいないだろう。むしろ供給が止まれば不満を漏らす者が大多数現れることは火を見るより明かだ。
それでも俺の意思は変わらない。曲がらない。
そしてそれはディアも同じだった。
「やっぱり貴方とわたしは違うよ。多くの命が助かることは良いことだとは思う。でも……誰かの犠牲の上で成り立つ物に価値なんてない」
「……綺麗事であるな。全てを救うことなど神にも出来はしない。多少の犠牲で多くの命を救うことが出来るのだ。何故それで良しとしない」
ライマンの瞳から急速に熱が失われていく。今となっては、つまらないものを見ているかのように白けた目をしていた。
「ううん、それも違う。わたしは全てを救えるとも、救おうとも思ってない。わたしが救えるのは、自分の手が届くところだけだってわかってる」
「その考え方は偽善……いや、悪そのものだ。何故救える可能性がある命を無視する。そればかりか私の邪魔までしようとは。貴様らが行おうとしていることは、将来芽吹くかもしれぬ命を摘み取る行為にも等しい」
辛辣な言葉が吐き捨てられる。
俺から言わせてみれば、現在進行形で命を刈り取っているお前に言われたくない。そんな気持ちでいっぱいだった。
頭に血が上っていくのが自分でもわかる。
これ以上の対話は無意味。むしろ悪影響ですらあると思っている。
そんな中、ディアは冷静に言葉を返していく。
「嘘を吐いている貴方にどう思われようが構わない。でも、これだけは言わせて。――人の命に上も下もない。自分の命の価値も在り方も全部その人が決めるべきで、他の誰かが勝手に決めていいことじゃない。例えそれが多くの命を救うためだとしても」
ディアの神威はラフィーラから貰ったペンダントで抑えられているばかりか、そもそも俺には感じることが出来ないものだ。
にもかかわらず、俺はディアの姿から神々しい何かを感じた。
その何かを言葉で言い表すことは難しい。
しかし一つだけ言えることがあった。
それは、普段の可愛らしくおっとりとしたディアの面影はそこにはないということ。
だからといって、恐ろしいとも、寂しいとも、悲しいとも思わない。
あるのは少しの驚きだけだった。
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