第302話 逸材

「答えるつもりも、教える義理もない」


 俺は毅然とした態度で応じた。

 戦いは避けられない。避けるつもりもない。

 戦いを避け、大人しくお縄につくよう説得を試みるのであればまだしも、先頭に立つ男の悪びれた様子のない態度からして、説得に応じることはないだろう。ともなれば、戦うことは必至。無意味にこちらの情報を話す必要性は皆無である。


「で、あろうな。して、貴様らは何をしにここに来た。レーガーにでも泣きつかれたのか?」


 今のところ、男から戦意はあまり感じられない。戦いよりも、俺たちへの興味が上回っているように思える。


「……」


 口を噤んだ俺に代わり、言葉を返したのはディアだった。


「わたしは、人の命を蔑ろにした悪薬ポーションの存在が許せない。だから、もう二度とあんな物を作らせないためにここに来た」


 確固たる意思と覇気を感じさせる真剣な表情でディアはそう答えていた。


「ほう。その口振りからして、貴様らはこの地下研究所に侵入する前から『治癒の聖薬リカバリーポーション』が何から作られているのか、気付いていたようであるな」


「……治癒魔法師の命、そして魔力」


 ディアの回答を聞き、男の眉が僅かに動く。


「どうやら製法が流失したわけではないのだな。その回答は限りなく正解に近いが、完璧ではない。『治癒の聖薬』に必要な物は、魔力――そして治癒系統スキルである。治癒魔法師が死に至るのは、あくまでもスキルを抽出する上での過程に過ぎぬ」


 製法の一部を漏らした男の言葉に動揺を示したのは俺たちではなく、男に守られるよう後ろに立つ者たちだった。


「ラ、ライマン様……何故このような者たちに秘事を……」


「この事が漏れれば、我らは……」


 ひそひそと声を上げる彼らとの距離は二十メートルあるが、しっかりと俺の耳は彼らの会話をとらえていた。


 会話から察するに、やはりと言うべきか先頭に立つ男こそが『治癒の聖薬』を開発者であり、聖ラ・フィーラ教に二席しかない枢機卿の座にいる者――マヌエル・ライマンその人であった。


 こう言ってはあれだが、存在感、威圧感ともに、レーガー枢機卿とは比較にならないものを持っている。

 率直に同じ枢機卿とは到底思えない、というのが俺の感想だ。

 無論、俺が知る限りの思想や道徳心などの内面の部分ではレーガー枢機卿に軍配が上がるが、どちらを敵に回したくないかと問われれば、それは間違いなくライマンだろう。聖ラ・フィーラ教内でライマンが幅を利かせているというのも頷ける話である。


 ライマンは徐々に騒ぎ立て始めた者たちの声を無視し、視線をディアに固定したまま命令を下す。その声は苛立ちからか、刺々しいものであった。


「いつまで私の後ろで隠れているつもりだ。先に告げたよう行動せよ」


「は、はい……」「ご武運を」「我らが不甲斐ないばかりに……申し訳ございません」


 統一感のない様々な返事の声が上がる。

 そして、ライマンの後ろにいた者たちは一斉に駆け出した。否、逃げ出したと表現した方が正しいかもしれない。

 走る速度も方向もバラバラ。先頭を走る者でさえもその足運びは鍛え上げられた人間のそれではなく、素人それだった。

 にもかかわらず、唐突な逃亡劇を見せられ、つい俺は呆気に取られてしまっていた。


「主よ、奴らはどうやら逃げ出したようだが、追った方がいいのかー?」


 心底興味がなさそうなフラムののんびりとした声によって、俺はふと我に返る。

 そして冷静な判断力を取り戻した俺は、それぞれが逃げ出した方向と、あまり当てにならない『気配完知』から、彼らが逃げ出した先は大聖堂へと繋がる隠し通路だと予想し、フラムに向けて首を左右に振った。


「たぶんその必要はないかな。出入口は封鎖してあるし、それに……」


 イグニスが何とかしてくれるだろう。

 そう口にはしなかったものの、フラムには俺の考えが伝わったようだ。フラムは深く頷き、笑みを浮かべていた。


「うむ、奴に丸投げしておけば上手くやってくれると思うぞ。それに私としても雑魚を相手にするよりも、そいつの方が楽しませてくれそうだしな」


 獰猛な笑みを見せるフラムは、そのままライマンに鋭い眼差しを向ける。しかしライマンはフラムを一瞥するに留め、ディアとの会話に興じるつもりのようだ。


「これで邪魔者は消えた。話を戻そうではないか」


 そう切り出したライマンの表情は変わらず無表情のままだったが、その瞳だけは怪しく、そして熱く輝いていた。声も僅ながらに愉しげなものに感じられる。

 対してディアは警戒心を顕にしていた。


「どうして……」


 その『どうして』という言葉には複数の意味が込められているように聞こえた。

 どうして『治癒の聖薬』について必要以上に語ろうとするのか。

 どうして自分に興味を示しているのか。

 どうして戦う素振りを、戦意を見せないのか、と。


 そんなディアの複雑な問いに対して、ライマンはここに来て初めて表情を変え、小さく笑みを見せた。


「どうして、か。その問いに正しい言葉を返せるかはわからぬが、私が貴様に――いや、其方に多くを語ろうとしているのは、興味を持ったからに他ならぬ。其方に、そして其方の眼にな」


――――――――――――――――


 ライマンの眼中には、絹のように滑らかな美しい銀色の髪を持つ少女しか映っていなかった。

 紅く見たことのない形状をした剣を持つ少年にも、竜族であると思われる女にもライマンは興味を持つことはない。


 確かに戦闘能力だけを切り取れば、竜族であろう女にも価値はある。しかし、ライマンが欲してやまないのは戦力ではなかった。

 ライマンが欲するものは、『治癒の聖薬』を本当の意味で完成させるためのピースだ。

 現状『治癒の聖薬』は、ライマンを抜きにして生産することは不可能。故にライマンは一日のスケジュールの大半を『治癒の聖薬』の生産に当てなければならなくなっていた。ライマンの仕事は他にも数多く残されているにもかかわらず、だ。


 だからこそ『治癒の聖薬』の完成を急がなければならなかった。


 ――ライマンがいなくとも生産可能な『治癒の聖薬』の完成を。


 そのためには、緻密な魔力制御能力を持つ存在が必須であった。ライマンの能力によって、治癒魔法師から抽出された治癒系統スキル以外の不純物を取り除くことが可能な逸材が。


 そしてライマンが白羽の矢を立てたのが、銀色の髪を持つ少女だった。

 『治癒の聖薬』の材料をほぼ見抜いた類い稀な眼。

 ライマンの支配下にある地下研究所での魔法の行使。

 どちらを取ってもライマンがディアに興味を示す理由には十分だった。


 『治癒の聖薬』の材料を見抜くには、そこに込められた魔力の性質を視認する能力が必要不可欠。毒性の有無や真贋を見極める程度のスキルでは材料を見抜くことなど到底出来はしない能力である。

 ライマンが持つ膨大な知識の中でも、魔力そのものを視認することが出来るようになるスキルは極めて少なく、そのどれもが伝説級レジェンドのスキル。しかもそれらのスキルは、数ある伝説級スキルの中でも極めて稀有なスキルだった。

 そんなスキルを所持している可能性がある少女が目の前にいるのだ。ライマンが興味を示さずにはいられなかったのも無理はない。


 もし仮にそのようなスキルを少女が所持していなかったとしても、ライマンとしてはそれはそれで構わないとも考えていた。

 無論、あるに越したことはない。所持していれば将来的に『治癒の聖薬』の検査官として役立てるのだから。


 しかしそれよりも重要なのは、ライマンの支配下に置かれ、魔力制御が不可能に近い状況の中、魔法の行使を可能とさせた緻密な魔力制御能力。

 ライマンが支配する地下研究所で魔法を行使することが出来る能力を少女が持っていることはリアルタイム映像を投射する魔道具を通じて確認済み。

 正確には、少女が魔法行使の補助をしていたところをライマンはその眼で確認したのだが、行使も補助も小差に過ぎない。いずれにせよ卓越した魔力制御能力が必要であり、少女はその能力を確実に持っている。

 ライマンの手を煩わせない『治癒の聖薬』を完成させるためにも、是が非でも手に入れたい人材だった。


(配下に引き入れるのは難しいかもしれぬ。だが諦めるにはまだ早い。最悪自我を奪い、傀儡にしたとしてもそれなりに役に立つであろう)


 ライマンは知らない。気付かない。

 ――欲する少女が『フロディア』であることを。

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