第290話 雑兵と見物客
「どうした方がいいのかな? エルミール姉様」
「相手の出方を待ちましょう、エドワール」
鐘の音がけたたましく鳴り響いた後、待ってましたと言わんばかりに、教会の入り口からぞろぞろとシュタルク帝国の兵士たちが三人の前に現れた。
その数は二十人近くにも及ぶ。
対してこちらは僅か三人。数の上では圧倒的に不利な状況に追い込まれる。
しかもレーガーが戦力としてカウント出きるほど優れた力を持っていないともなれば、その戦力差は歴然。客観的に見ると、『比翼連理』の二人に勝ち目はないように見えることだろう。
しかし、双子の姉弟は悲観的にはなっていなかった。むしろ余裕すら窺える態度で相手の出方を探っていた。
元より『比翼連理』は一対一の戦闘より、二対多数の戦闘を得意とする広域殲滅型パーティーだ。自分たちと実力が近しい強者一人を相手にするよりも、それなりの力を持った数多くの敵を相手にすることを得意としている。
そういった背景もあり、双子の姉弟に焦りは然程見られない。どちらかと言えば、戦う予定のないレーガー方が焦燥感に駆られていた。
「エルミール、エドワール……大丈夫なのか?」
この時季の夜は寒い。にもかかわらず、レーガーの額からは大量の汗が吹き出ていた。顔色もかなり青ざめている。
「心配ありませんわ。そこに転がっている門番程度の実力でしたら、何人いようとも相手ではありませんから」
「うん! 僕とエルミール姉様に任せてよっ」
レーガーを安心させるために、柔らかな笑みを見せるエルミール。だがその内心は、余裕こそあるものの楽観視まではしていなかった。
エルミールは目を細め、シュタルク帝国の兵士たちの最奥に位置する男を見つめる。
薄汚れた古着を身に纏い、無精髭を生やす男を。
(……不気味ね。どこか得体の知れない何かを感じるわ。まるで……そう、あの女――フラムのような何かを)
エルミールが感じた『何か』とは、スキルによるものからではない。
Sランク冒険者としての勘。長年、戦いに身を投じて来たからこそ感じたものだった。
最奥にいるあの男は、ただの雑兵ではない。そう彼女の勘は告げていた。
(でもどうやら、今のところは動く気配はなさそうね。どちらかといえば、今から始まろうとしている戦いを見たくてうずうずしてるって感じかしら)
あの男以外の兵士たちは、各々武器を構え、今にもこちらに突撃してきそうな雰囲気を放っている。戦いが始まるのも時間の問題だろうとエルミールは見当をつけていた。
「先生、もしかしたら上手く手加減が出来ないかもしれませんわ。それでもよろしいでしょうか?」
「つまりは、誰も殺さずにこの場を切り抜けることは難しい、そういうことだろうか?」
レーガーはエルミールの言葉の意味を履き違えることはなかった。
「ええ、その通りですわ。少なくとも怪我人は出てしまうかと」
「……わかった。事後処理は私が何とかして見せるとしよう」
シュタルク帝国の兵士に死者が出たともなれば、外交問題に発展しかねない由々しき事態に陥る可能性はあるが、双子の姉弟の命を考えると、背に腹は変えられないとレーガーは割り切る。
「ありがとうございますわ、先生。それと、そろそろ私たちより後ろに下がってください。――来ますわ」
少数ながらも陣形を組み終えたシュタルク帝国の兵士たちは武器を構え、突撃の姿勢を見せていた。
そして、戦いは始まる。
「侵入者を排除せよッ!」
金属の鎧を身に纏ったシュタルクの兵士たちが金属音を鳴らしながら、三人に向かって突撃をかける。
(やはりあの男は動くつもりはないようね。好都合だわ)
エルミールの視線は、シュタルク帝国の雑兵には向けられていない。未だに教会の入り口で立ち尽くし、興味深そうに戦いを見物しようとしている男の動向に注がれていた。
「先生の護衛と後方支援をしてちょうだい、エドワール」
「うん、わかったよ! それと、なるべく殺さない方がいいんだよね? エルミール姉様」
「ええ、そうね。その方が後々面倒事も少なくて済むでしょうし。それじゃ任せたわよ、エドワール」
「うんっ。頑張って、エルミール姉様」
エドワールに片手をひらひらと振ったエルミールは、突撃してくる兵士たちに向かって悠然と歩き始める。
そして、後十秒もしない内に両者は激突するであろう距離で、一度エルミールは立ち止まり、アイテムボックスに手を突っ込んだ。
「さあ、始めましょうか」
コツン、コツン、と金属球が音を鳴らしながらエルミールの周囲に撒き散らされ、地面を転がっていく。
迎え撃つ準備は、これで終いである。
(コースケみたいな目を持っていれば、相手によって力加減が出来るのでしょうけど。……ダメね。無い物ねだりをしたって仕方がないわ。私は私のやり方で戦うだけ。相手の能力がわからない以上、全力を持って叩き潰すのみっ!)
先手必勝とばかりに、エルミールはスキルを発動。
地面に転がっていた金属球は『念動力』によって宙を舞う。
(狙うは手足。ちょっと痛い思いをするけれど、死ぬよりはマシでしょう)
狙いを定め、金属球に『多重加速』を付与する寸前、シュタルク帝国の兵士の一人が叫んだ。
「――盾を構えよ! 持たぬ者は後ろへ回れ!」
一糸乱れぬ動きで、命令通りにすぐさま行動するシュタルク帝国の兵士たち。
大盾を持つ者は五人。盾と盾を隙間なく並べることでエルミールの攻撃に備える。
しかし――
「無駄よ。そんな安物の盾で防げるとでも?」
エルミールは容赦なく『多重加速』を付与した五つの金属球を大盾に向けて放った。
「――ぐぁあぁぁぁぁッ!!」
叫び声と共に血飛沫が舞う。
そして大盾を構えていた五人は、痛みによって大盾をそれぞれ地面に落とした。
「言ったでしょ? 無駄だって」
地面に落ちた大盾には、ぽっかりと穴が空いていた。
理由は説明するまでもない。エルミールの仕業である。
ビー玉サイズしかない小さな金属球だが、その素材は鉄を遥かに上回る硬度を持つミスリル。大量生産が可能の鋳造の鉄製の盾如きでは、『多重加速』が付与されたミスリル製の金属球を防ぐ術など持ち合わせてはいなかった。
苦悶の表情を浮かべ、呻き声を上げる五人の兵士の姿を見たエルミールはホッと一息吐いた。
(……良かったわ。死人は出ていないようね)
大盾で身を隠されたため、盾を貫通した金属球の当たりどころが悪ければ、最悪死人が出てしまうかもしれないと危惧していたが、それも杞憂に終わった。
後は残りの十数人を無力化するだけ。
エルミールは再び金属球を宙に浮かべ、狙いを定める。
だが、攻撃はまだ仕掛けない。相手がエルミールに恐れおののき、踵を返してくれればそれで良しと考えていたからだ。
故にエルミールは、恐怖心を煽る言葉を兵士たちに告げることにした。
「――ふふっ。次は頭を狙おうかしら? それとも心臓? 貴方たちはどちらがお好み?」
「「……」」
答えは返ってこなかった。
だが、ジリジリと摺り足で兵士たちはエルミールとの距離を取っていく。中には恐怖で足がすくんでいる者もいた。
(もう一声といったところかしら。それにしても、歯ごたえのない相手しかいないわね。魔法が一切飛んで来ないことも含めると、雑兵を寄せ集めて体裁だけを整えたようにも思えてくるわ。……あの男を除いて、だけれど)
エルミールの眼中には既に、恐怖で怯える雑兵の姿はなかった。
警戒すべくは、見物を楽しんでいる無精髭の男のみ。
これ以上雑兵に構っている暇はないと判断し、エルミールは最後の一押しを行う。
宙に浮かせた金属球の内の一つに『多重加速』を付与し、兵士たちの指揮を取っていた男に向かってそれを放った。
音速を超えた金属球を避ける術を男は持ち合わせておらず、剣を持っていた右腕は、衝撃と共に血飛沫を上げた。
「グッ――アアァァッ!!」
指揮官の叫び声は、兵士たちが逃げ出す決定打となった。
戦意を保っていられた者は誰一人としていない。
我先に教会の中へ逃げ込もうと、エルミールに背を向けて走り出す兵士たち。
だがそんな状況の中、敗走を認めない者がいた。
それはエルミールではない。
戦闘には参加せず、興味深そうに見物をしていた無精髭を生やした男だった。
「――チッ。逃げ出してんじゃねぇよ、糞が」
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