第274話 捏造された歴史

 ――神々の戦いとその結末。


 そう老大司教が口にした瞬間、俺の隣に座っていたディアの身体がほんの僅かにだが、強ばりを見せる。

 しかしディアに俯く様子はなく、真剣な眼差しを真っ直ぐと老大司教へと向けていた。

 そんなディアの様子を横目で見ていた俺は、不安や恐怖を抱いているであろうディアに声を掛けるべきか否かと悩む。

 だが、時間は俺を待ってはくれなかった。


 老大司教は抱えていた分厚い本を手に取り、頁を何枚か捲っていく。そして目的の頁に辿り着いたのか、老大司教は一度本から目を離すと、参加者一人ひとりの様子をじっくりと確認し、口を開いた。


「今から皆に語るのは、聖ラ・フィーラ教に伝わる遥か太古の人類の物語。これは決して創作などではない。正真正銘人類の――いや、この世界の歴史そのものである」


 たったそれだけの言葉で、ただでさえ重苦しかった聖堂内の雰囲気が、さらにもう一段階重くなっていく印象を俺は受ける。おそらく参加者の多くが場の空気に呑まれ始めてしまっているからだろう。


「人という種族が誕生して間もない時代、この世界は三柱の神々によって徹底的に管理されていたという。その当時は、人もエルフもドワーフも自由気ままに暮らし、争いのない完全なる平和がそこにはあったと伝えられている」


 老大司教はそこで一度言葉を切り、何故か朗らかな笑みを浮かべる。そして表情はそのままに、参加者へ向けて言葉を投げ掛けた。


「争いのない世界など、果たして本当にあったのかと疑っている者もいるであろう?」


 最後列の席に座っていたこともあり、参加者の内の数人が恐る恐るといった様子で軽く頷いている姿が目に入ってくる。

 そして、その頷く姿に満足したかのように老大司教も頷き返す。


「だが、確かにあったのだよ。理由はいくつかあると考えられている。人口が極めて少なく、土地を奪い合う必要がなかったため、神々によって徹底的に管理された豊かな大地が人類に多くの恵みをもたらせていたため、などとな。無論、文明が然程発達していなかったことも大きいだろう」


 老大司教は開いていただけの本をわざとらしくパタンと大きな音を立てて閉じる。その行為の意味するところは参加者の注目を引き付けるためにあるのだろう。

 つまり、ここから先に話す内容が最も重要なものだと暗示しているのかもしれない。


「しかし、そんな平穏な時代は突如として終わりを迎えることになった。――神フロディアの悪意によって」


 ドクンッと胸が大きな音を立てる。

 その老大司教の言葉を聞いた瞬間、俺の頭は怒りの感情に支配され、我を忘れそうになるほど熱くなっていく。

 拳を強く握り締め、奥歯を強く食いしばっていなければ、俺は大声で叫んでいただろう。


『そうじゃない! その歴史は捏造されている!』と。


 耐え難い怒りによって震える俺の拳は、突然小さく柔らかな手のひらにそっと優しく包み込まれた。


「こうすけ、ありがとう。でもわたしは大丈夫だよ」


 俺の拳を包み込み、耳元でそう小さく囁いたのはディアだった。


「……ディア」


 ディアは今どんな思いをしているのだろうか。

 どんな表情を仮面の下の素顔は浮かべているのだろうか。

 それがわからない自分がもどかしくて仕方がない。


 そんな俺の考えを見透かしたかのような言葉がディアの口から紡がれる。


「心配しないで。今のわたしにはこうすけがいる。フラムがいる。家に帰ればイグニスもナタリーもマリーだっている。わたしはもう独りじゃない。だから平気だよ」


 ディアは俺に心配はさせまいと無理をして気丈に振る舞っているわけではない。何故か不思議とそう思える説得力がその言葉にはあった。


 俺はディアと手を重ねたまま、老大司教の話に耳を傾ける。

 しかし、上手く話を聞き取れるかどうかは不確か。

 何故なら、どうしようもないほどに心臓がバクバクと音を立ててうるさいからだ。それに加えて顔が熱い。今にも汗が額から滴り落ちてくるのではないかと思えるほどだ。

 俺は誰にも(特にディアに)悟られないよう深呼吸を繰り返しつつ、老大司教に視線を向けた。


「悪意を内に秘めた神フロディアは地上に顕現し、そして世界に混沌をもたらせるため、神の力である二つのものを創造した。その二つとは魔物とスキルである。今現在では当たり前に存在しているものであるが、当時は違う。突如として魔物という脅威が現れ、知らぬ間に不可思議な力を得た人類。その結果、神フロディアの思惑通り世界は混沌に陥ってしまった。力に溺れた者は暴力を振うようになり、魔物に土地を奪われた者たちは、魔物がいない安住の地を得るために争い始める始末。それからというもの、人類は戦争を繰り返す生き物に変貌してしまった。だが、神フロディアはそれだけで満足することはなかった。自身が持つ強大な力を振るうことで、世界に更なる混沌をもたらそうとしたのである。しかし神々がこの世界を、我々人類をお見捨てするようなことはなかった。神フロディアの悪行を見過ごすことは出来ないと判断されたであろう二柱の神々は、神フロディアの悪行をお止めになるため、動いて下さったのだ。そして神フロディアと矛を交えた神こそが英雄神と現代まで言い伝えられているアーテ様である。だが、そんなアーテ様でも神フロディアとの戦いは苦戦を強いられ、熾烈を極めたという。ぶつかり合った力の余波によって緑豊かであった大地は荒れ果て、海からは大波が押し寄せた。当然、神々の力の前では我ら人類など矮小で無力な存在でしかない。人類は戦いの余波で死に逝く定めだと思われた。だが、そうはならなかった。何故なら、我ら聖ラ・フィーラ教の主神であらせられるラ・フィーラ様が人類を守護して下さったからである。ラ・フィーラ様が人類を守護し、アーテ様が邪に堕ちた神フロディアと戦う。その結果、アーテ様が見事に勝利を収め、邪神となったフロディアを封印なされたのだ。しかし、熾烈を極めた戦いを勝利した代償は決して小さなものではなかった。邪神フロディアとの戦いでアーテ様は神の力を全て失い、永久の眠りにつかれてしまったのだ。加えて荒れ果てた大地は、人が生きることが出来る環境ではなくなってしまったという。今を生きる私たちでは計り知れない絶望がそこにはあっただろう。だが、慈愛に満ちた我らが主神ラ・フィーラ様は、またしても人類に救いの手を差し伸べて下さったのである! 荒れ果てた大地を元の緑豊かな大地へと戻し、そして天上へと帰られた。そして今も我ら人類を天上から見守って下さっている。故に我ら聖ラ・フィーラ教は、人類をお救い下さったラ・フィーラ様へのご恩を必ずや後世へと伝えていかなければならないと考えている。日夜祈りを捧げる――」

 

 その後の話は、ラフィーラへ感謝の気持ちを示す必要性があること、そして聖ラ・フィーラ教の存在意義を長々と説明していくだけで、興味をひかれる話は何一つとしてなかった。

 元々俺たちの興味の対象は、捏造された歴史がどのように捏造されているのかにあったため、興味を持てなくても当然だと言えるだろう。


 それにしても、残酷なほどに歴史が捏造されているとつくづく思わされる話だった。

 大まかな話の流れは以前ラフィーラから聞かされていたため、内容自体はすんなり頭の中に入っていったが、事実と伝承がこうまで真逆であると、どうしても疑問を抱いてしまう。


 何故真実の歴史がここまでねじ曲げられ、伝承されてしまっているのか、と。


 無論、答えはわかりきっている。

 アーテの仕業に他ならないだろうということが。


 しかし、ここまで完璧に歴史が捏造されている事実に、底知れぬ不気味さを俺は感じたのであった。

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