第244話 入国者リスト

 ラバール王国王都プロスペリテからノイトラール法国に、紅介たちより一足先に到着したホラーツ率いる輸送部隊は、荷馬車に載せた大量の貨幣を輸送する任務を無事完遂した後、長旅の疲れを癒すべく、すぐさま解散となった。

 そんな中、最も地位が高いホラーツは輸送部隊を代表し、教会のとある一室で報告を行っていた。


 そこは一本の蝋燭の灯りしかない薄暗く狭い部屋。華美な装飾品などは一切飾られていない。そんな質素な部屋にあるのは二脚の椅子と小さなテーブルのみ。テーブルの上には湯気が立ち上るハーブティーが注がれたティーカップが二つ用意されていた。


「ご苦労だったな、ホラーツ司教。積み荷の方は無事であるか?」


「勿論でございます、ライマン枢機卿」


 ホラーツが報告を行っている人物の名は、マヌエル・ライマン。

 ノイトラール法国では教皇に次ぐ枢機卿という地位に就く権力者の一人である。

 聖ラ・フィーラ教では、全世界で枢機卿の地位は二席しかなく、その内の一席に座る者こそがマヌエル・ライマンという男だった。

 教皇に次ぐ地位である枢機卿でありながら、年齢は四十三と若い。さらにその肉体は、神に仕える聖職者とは思えぬほど鍛えられており、体格が判別しにくい聖ラ・フィーラ教の白い正装を身に纏っていても、鍛え上げられた肉体は隠しきれないほどであった。


 巌のような分厚い肉体に、彫りの深い顔立ち。それらを持ち合わせているライマンは、ホラーツの返答に太い眉を僅かにピクリと動かした。


「――報告はそれだけであるか?」


 威圧感が込められた低く野太いライマンの声に、ホラーツは身を縮ませてしまう。

 心臓を直に鷲掴みされたかのような感覚がホラーツに襲いかかる。もしここで言葉を一つでも間違えてしまえば、命の灯火は容易く吹き消されてしまうだろうと恐怖すら抱いていたほどだ。


「ひ、一つご報告が」


 恐怖と緊張で上手く舌が回らないホラーツに対し、ライマンは表情一つ変えずに淡々と言葉を返す。


「申してみよ」


「ハッ。輸送中に何者かに付けられていた可能性がございます」


 ホラーツの口調は普段のものとはガラリと変わっていた。無論、自身より上の地位に就くライマンと会話をしていることも理由の一つではあったが、それよりもライマンの機嫌を損ねるわけにはいかないといった強い思いから口調を変えていたのだった。


「その根拠は」


 そう問われたホラーツは、ノイトラール法国までの道中で発生した原因不明の出来事を懇切丁寧に語っていく。

 野営時に魔物の気配が周囲一帯の森から一切無かったことや、フォレスト・スコーピオンの消失、そして魔物との遭遇率の異常な低さなどを事細かに説明した。


「どうりで予定より随分と早く到着したわけであるか」


「はい。ノイトラール法国まで残り一週間といった頃からは、一切魔物と遭遇することはありませんでしたので、こうして早く到着した次第でございます」


「理解した。――して、ホラーツ司教よ」

 

 重圧がさらにホラーツにのし掛かっていく。息苦しさすら覚えるほどの重圧だ。


「は、はい」


「状況証拠からして、其方らが尾行されていたのはまず間違いないであろう。そうは思わぬか?」


「私もライマン枢機卿と同様に考えて――」


 そうホラーツが口にした瞬間、ハーブティーが注がれてあったティーカップが激しい音立てて砕け散った。

 陶器のティーカップを握力だけで砕いたのは当然ながらライマンである。


「ほう。この私と同じ考えを持っていたにもかかわらず、尾行していた者を処分しなかったのはどういう了見であるか答えよ」


「――ッ!!」


 ライマンから強烈な怒気が放たれる。声や表情に変化こそなかったものの、ホラーツに向けられたゴミを見るような眼差しは明確に怒りの感情が含まれていた。

 そんな眼差しを真正面から受け止めてしまったホラーツが恐怖のあまり身体を強ばらせてしまっても仕方がなかったと言えよう。


「答えぬつもりであるか?」


 更に追い討ちを掛けるかのように、ライマンはホラーツに圧を掛ける。


「め、滅相もございませんッ! 無論、私も尾行者を処分しようと部隊を広範囲に展開し、捜索させました! ですが、それでも発見には至らず……」


 徐々にホラーツの語気は弱まっていってしまう。

 尾行者を見つける努力はしたつもりだ。だが、結果が出ていない以上、目の前にいるライマンは自分を許さないだろうと悟ったのである。


「尾行されていたにもかかわらず、おめおめと法国に帰って来たと申すか」


「……」


 下手な言い訳は許されない。自己弁明をしてしまえば、その瞬間に自分は殺されると思ったからこそ、ホラーツはあえて沈黙を選択した。

 そしてその選択が、奇跡的にホラーツの命を繋ぎ止める。


「ほう、言い逃れはせぬか。ホラーツ司教よ、其方に一度だけ機会を与える。尾行者を突き止め、必ずや仕留めてみせよ。ノイトラール法国は――いや、我ら聖ラ・フィーラ教はネズミの侵入を許すわけにはいかぬ。言っている意味はわかるな?」


「無論、承知しております。必ずやネズミを駆除致します故、報告をどうかお待ち下さい」


 ここで気を抜くわけにはいくまい、と背筋を伸ばして凛々しい表情を取り繕いながらライマンを見つめる。


「ならば良い。其方に神の御加護があらんことを」


「感謝致します。神に祈りを」


 神に祈りを捧げ、それを合図にその場は解散となった。

 ホラーツはすぐさまネズミを駆除すべく、ライマンに深々と頭を下げた後、部屋から退出した。


 狭く薄暗い部屋に一人残されたライマンは椅子の背もたれに身体を預け、大きなため息を吐いた。


「……此度は完全に私の失態であるな。次からは輸送部隊の人員に探知系スキルを持つ者をさらに補充すべきか。しかし、ホラーツが率いる輸送部隊を尾行した者は何者だ? ラバール王国の手の者と考えるのが妥当かもしれぬが……」


 声に出しながら思考を纏めるライマンだったが、結局答えが出ることはなかった。

 だが、ただ一つわかったことがある。それは、ホラーツの目を掻い潜れるほどの実力を尾行者が持っているということだ。

 ホラーツの実力はライマンには遠く及ばないものの、決して弱いわけではない。並大抵の冒険者ではホラーツに手も足も出ないということも十分ライマンは理解していた。

 だからこそライマンは警戒を怠るような真似はしない。

 ライマンは薄暗い部屋を出ると即座に部下を呼び寄せ、教会の警戒レベルを高めるよう指示を出したのであった。


――――――――――――


 ホラーツは焦っていた。

 このままでは築き上げてきた地位も己の命も消え失せてしまう、と。

 尾行者に半ば気付いておきながら、無視をするという選択肢を選んでしまった己を殴りつけたい衝動に駆られるほどの焦燥感と怒りを胸に秘め、早足で国境警備隊がいる駐屯地へと向かった。


「失礼させていただきますよ」


「「――ホ、ホラーツ様!?」」


 駐屯地へ到着したホラーツは駐屯地の入り口を警備する者たちに手早く挨拶を済ませて建物の中へと入った。胸に秘めた気持ちをひた隠しながら。

 そして、駐屯地に入ったホラーツは迷うことなく警備隊長のいる部屋に到着すると、焦燥感からかノックを忘れて扉のノブを捻った。


「ホ、ホラーツ司教、どうかなさいましたか? どうぞお座り下さい」


 ノックを忘れたホラーツを咎めることは警備隊長ごときには出来なかった。そのため警備隊長はホラーツを空いた椅子へと座るように促すだけに留めた。

 だがホラーツはその誘いを断り、駐屯地を訪ねた理由を告げる。


「いえ、結構。それより今すぐ貴方に頼みたいことがあるのです」


「頼み事ですか? 私に一体何を……」


「手間はかけさせません。今日入国した者のリストを貸していただきたいだけですから。少し調べたいことがあるので」


「入国者リストですか? 東西南北全ての国門で入国者の記録を取っていますが、どの門の入国者リストが必要でしょうか?」


「――全てです」


「全て……ですか? 現時点でも数千人もの入国者が――」


「構いません。それで、貸していただけるのですか?」


 断れる雰囲気はそこにはない。ホラーツの有無を言わせぬ物言いに、警備隊長は首を縦に振るしかなかった。


「しょ、少々お待ち下さい。各門から入国者リストを取り寄せて参りますので」


「迅速な対応、感謝致します」




 その後、入国者リストを手に入れたホラーツは部下をフル動員し、輸送部隊が入国した前後に入国した者の名を全て書き出していったのだった。

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