第229話 治癒の聖薬

「それって、もしかして……」


 自慢げにブレイズが見せびらかした薄緑色の液体は、ロンベルさんやエドガー国王から話を聞いていた、教会が販売する予定となっていた『治癒の薬』とやらで間違いないだろう。


「おうよ。多分コースケの想像通りの代物だぜ。昨日いきなり教会からすげぇ良く効く回復薬が販売されるっつう宣伝がされてたからな。その辺の情報に疎そうなコースケでも流石に知ってたか」


 俺が得ていた情報は全く別ルートからの物であったが、わざわざ口にする必要はないと判断し、『治癒の薬』についての話の続きをブレイズに促す。


「その回復薬について、もう少し話を聞かせてもらえないかな? 俺も少し気になってたんだよね」


「おっ? そうか? ……フッ。なら仕方ねぇなぁ。んで、何が聞きたいんだ?」


 質問を投げ掛けようとしたタイミングでレベッカから待ったが掛かる。


「ちょっと待って。さっきからアンタは回復薬回復薬って言ってるけど、まずは正式名称を教えてあげなさいよ」


「ん? 正式名称? そんなもんあったっけか?」


 レベッカは眉間を押さえながら大きなため息を吐く。


「はぁ……呆れた。正式名称は『治癒の聖薬リカバリーポーション』よ」


「そういやそんな名前だった気がするな。まぁ細けぇことはどうでもいいじゃねぇか。そんで、コースケは何が聞きたいんだ?」


「教会で『治癒の聖薬』が販売されてるって話だけど、教会って王都にある一際大きな真っ白い建物だよね? 教会に行ったことがないから、実は俺って教会がどんなものなのか全く知らないんだよ」


 教会が何を信仰しているのか。

 何を目的としているのか。


 俺はそれらがさっぱりわかっていなかったため、そんな質問をしたのだが、ブレイズたち『新緑の蕾』の三人は目を見開いて驚きの表情を隠そうともせずに表に出していた。普段から無表情なララでさえも、だ。


「おいおい……。教会のことを知らないってマジで言ってんのか?」


「えっと……そうだけど?」


 この世界に来てからというもの、教会などの宗教施設に立ち行ったこともなければ信者らしき人に会ったことも、魔武道会で怪我人の治療にあたっていた神官服を着た治癒魔法士以外には会ったこともない。そのため、教会がラバール王国でそこまで浸透しているとは思っていなかった。

 だが、そんな俺の認識はレベッカによって即座に否定される。


「嘘でしょ……?『聖ラ・フィーラ教』を知らないってこと? ラバール王国だけじゃなくて、全世界の半数以上の人々が信仰してる世界最大の宗教よ?」


「レベッカの言うとおり。補足すると、略名は『フィーラ教』」


 レベッカに続き、ララまでもが説明に加わった。


「なるほどね。『聖ラ・フィーラ教』か……」


 名前だけで『聖ラ・フィーラ教』が何を信仰しているのかが手に取るように理解できた。ほぼ確実に僕っ娘意地悪神様こと、ラフィーラのことを信仰しているのだろう。

 ラフィーラを知っている俺からしてみれば、あのラフィーラを信仰するなど正気とは思えない。

 もし『フロディア教』なるものがあるのであれば、確実にそちらを信仰すること間違いなしだ。

 けれども、ディアを倒し封印したアーテなる神様を信仰していないだけマシだとも考えられる。


 俺は以前、ラフィーラが口にしていたことを思い出す。


 ――『僕はアーテとフロディアの戦いから人類を守った神様として、現在に至りこの世界の人間に奉られているんだよ』


 そしてアーテについては、こうも言っていた。


 ――『邪神フロディアと戦い、そして倒したとされ、英雄の様に扱われているんだ』


 思い返してみるとアーテのことはどうあれ、ラフィーラの言っていた言葉に嘘はなかったようだ。

 しかし、ラフィーラの言葉が真実だとなると、やはりディアを教会に近付ける行為は危険極まりないだろう。

 今後はなるべくディアには教会に近寄らせないようにしようと、俺は心の中で決心したのであった。


「驚いたぜ。まさかコースケが教会について何も知らねぇとはな。っつうかコースケは『治癒の聖薬』についての話を聞きたいんじゃなかったのか? だいぶ話が逸れちまってるぞ」


「あ、そうだった。それじゃあもう少し話を聞かせてもらおうかな。その『治癒の聖薬』の値段と回復効果がどの程度なのか教えてほしいんだ」


「回復効果については、まだ一度も使ったことがねぇから正直わからん! けど一応教会の人間が『治癒の聖薬』の実演をしていたところは見たぜ? 数年前に片腕を無くしちまったっつう男に『治癒の聖薬』を使ったところをな」


「それで結果は?」


「――一瞬で治りやがった。光の粒子みてぇなもんが無くなった片腕に集まったかと思いきや、いつの間にかに片腕が生えてたって感じだ。腕が治った男は泣いて大喜びしてたが、あれは演技じゃなかったと思うぜ」


 古傷さえ治せる薬。

 本当にそんな物が存在しうるのだろうかという疑問が脳裏をよぎる。

 治癒系スキルを持ってしても古傷を治すことは至難の業だろう。

 下位のスキルではまず不可能。古傷をも治しうるスキルともなれば、最低でも英雄級ヒーロースキル以上の治癒系スキルが必要になるのではないだろうか。


 俺は隣の席に座るディアの横顔を見つめてから、ディアに疑問を投げ掛けた。


「治癒魔法が使えるディアから見て、この『治癒の聖薬』の効果はどう思う?」


「わたしの魔法でも同じことはできるけど、それを薬にすることはじゃできない。あと、この薬は異常だと思う」


「……異常?」


 効果が信じられないといった意味なのかもしれないが、ディアが口にした『異常』という単語に引っ掛かりを覚える。

 だが、俺の疑問に対する返答はなく、ディアはただただジッと『治癒の聖薬』を見つめていた。


「話を続けてもいいか?」


「あ、ごめん! お願いするよ」


「おう。それで値段についてだが、これも驚きだったぜ。なんとたったの金貨三枚だ。庶民じゃなかなか手が出せない値段かもしれねぇが、俺らみてぇな上級冒険者からしてみればかなり良心的な価格設定だな。金持ちの貴族やそこそこ稼げてる冒険者相手には爆売れするだろうよ」


 金貨三枚。日本円で換算するとおよそ三十万円。

 俺の金銭感覚がおかしくなっているからなのか、安すぎるのではないかと思えてしまう価格設定である。

 何せ、部位欠損すら治すことができるのだ。しかも古傷でさえもだ。

 ブレイズの言うとおり、冒険者であれば間違いなく欲してやまない代物になるだろう。特に治癒系スキルを所持している者が一人もいないパーティーであればなおさらだ。

 俺たち『紅』もディアが治癒魔法を使えるとはいえ、ディアが怪我をした時に治療する手立てがないことから、買えるのであれば買っておきたいと思える代物である。


「冒険者をやってれば怪我はつきものだし、間違いなく売れるだろうね。でも、それほどの効果がありながら金貨三枚か。少し安すぎる気がするけど、本当に採算は取れてるのかな?」


「さぁな。けど、教会は弱者救済っつう崇高な教義を掲げてるし、もしかしたら利益なんて度外視してんじゃねぇか?」


 ブレイズの言葉が正しいと仮定すると、教会の行いは素晴らしいものだと言えよう。

 それにもし採算が取れているのだとしても、『治癒の聖薬』が世の中に出回ることで救われる命は相当数増えるはずだ。

 まさに『治癒の聖薬』は、以前ロンベルさんが言っていた通り、『常識を覆す画期的な代物』と呼べる商品だろう。


「……少しいい? その薬をわたしに見せてほしい」


 突然のことだった。

 ディアは唐突にそんな言葉を口にし、テーブルの上に置かれた『治癒の聖薬』に手を伸ばした。


「別に構わねぇが、くれぐれも落とさないでくれよ?」


「うん、わかってる」


 短い言葉を返したディアは、ガラス製のフラスコを手に取り、薄緑色の液体をまじまじと観察していく。

 そして観察が終わったのか、手に持ったフラスコをテーブルの上に戻した後、ディアは僅かに険しい表情を浮かべ、隣に座る俺にしか聞こえない程の小さな声でこう告げた。


『こんなものは絶対に存在しちゃいけない』――と。

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