第199話 募る苛立ち
「うーん……。少しまずいかもしれないなぁ。まさか、僕のとっておきの
ルッツの視線の先には地贋竜と一対一で戦う仮面の男――トムの姿があった。
トムと地贋竜の戦いは一方的にトムが地贋竜を機動力で翻弄し、ダメージを与え続けている。
既に地贋竜の四本の足は大量に血を流しており、このまま地贋竜とトムの戦いを遠くから観察していれば、確実に地贋竜は倒されてしまうだろうとルッツは見当をつけていた。
「ルッツよ。このままでは……」
武に疎いジェレミー・マルク公爵でさえも、例えルッツが溢した独り言を聞いていなかったとしても、今の状況が非常に好ましくないものであると一目でわかるほど、地贋竜は追い込まれていた。
全てを瞬時に石化させるブレスはトムに当たることはなく、足を上げて踏みつけようと試みるも、トムの人間離れした移動速度によって容易く回避されるだけ。
最早、地贋竜の巨体は足枷にしかなっていない。
首や足から流れ出す地贋竜の赤黒い血液は、北の戦場の大地に小さな血の池を作り出すほど流れ続けている有り様。
この内乱に全てを賭けているジェレミーからしてみれば、今の状況を黙って見ていることなど到底できはしない。
しかし、そんなジェレミーの心配そうな声色をした問いかけは、ルッツには届いてはいなかった。正しくは『聞き流した』といった方が正確かもしれない。
ルッツは思考の海へと沈んでいたこともあり、ジェレミーの相手をしている暇はなかったのだ。
(地贋竜の強固な防御力を超える攻撃力をトムは持っているようだけど、流石に深傷は負わせられないみたいだね。でも、トムの行動はどこか変だ。浅い傷しか与えられないんだったら、普通は同じ箇所を集中的に攻撃しようと考えるはず。僕だったら絶対そうするし……。浅い傷を増やすことで何かトムにメリットが? それとも、多く血を流させることで出血死を狙っている?)
憶測の域は出ないが、何かしらの狙いがトムにはあるのだとルッツは考えた。
では、その狙いとは何なのか――それを知るために、ルッツは目を皿にして地贋竜とトムとの戦いの観察を続ける。
しかし、数分間程度観察を続けていたが、これといった成果は得られない。
今もなお、トムはひたすらに地贋竜の足に纏わりつき、見慣れぬ形状の紅色の剣らしき武器で攻撃を続けるのみ。
(成果はなし、だね。僕の考えすぎだったのかな? ……そういえばトムの最初の攻撃で、地贋竜の首から信じられないほど出血してたけど、あれは一体何だったんだろう? いくら首に傷を負わせたからといって、あそこまで出血するなんて考え難いし……。考えられるとしたら、血を大量に流させるようなスキルを所持している? だとしたら、トムのおかしな行動にも納得がいくね。傷口を沢山作って大量出血を狙う。うん。敵ながら悪くない策だ。確証はないけど、的外れってことはないだろうね)
ルッツは、ほぼ満点に近い解答を導き出す。
そして、自分の中で納得のいく解答を得たと共に、ルッツの視線の先でトムが不自然な行動を取ろうとしている瞬間を目撃する。
それはまさに、『
(何かやばそうだ。やらせはしないよ)
明らかに不自然な行動。
必ずその不自然な行動には意味があると踏んだルッツは、それを阻止すべく、あるスキルを発動した。
――
この『不可視の風刃』の能力はその名の通り、目に見えない風の刃を生み出し、放つ。ただそれだけである。
しかも通常の風系統スキルとは違い、汎用性がこのスキルにはない。
例えば、竜巻を発生させたり、紅介が使う『暴風結界』のようにスキルを応用して使用することも不可能。
あくまでも『不可視の風刃』は、不可視化させた風の刃を放つことに特化したスキルであった。
一見、伝説級スキルにしては些か能力が低いスキルのように思えるが、そうではない。
一点に特化されている分『不可視の風刃』の攻撃を見抜くことは如何なる伝説級スキルでも不可能。加えて、副次効果として命中率に補正がかかるため、的確に遠距離から攻撃を当てることも可能となっている。
この『不可視の風刃』こそが、ルッツの切り札とも呼べるスキルだった。
そして、ルッツが放った『不可視の風刃』は、トムの伸ばした左手を見事に切り裂き、撥ね飛ばすことに成功した。
「ははッ! 油断したみたいだね」
してやった、と笑い声を上げるルッツだったが、笑い声は長くは続かなかった。
まばたきを数度している内にトムの失った左手は何事もなかったかのように、そこにあったからだ。
「……は?」
理解が及ばない出来事に呆然としてしまうルッツ。
遠目からだが、確かに左手を撥ね飛ばしたはず。にもかかわらず、未だにトムの左手は健在なのだ。驚くのも無理はない。
驚きのあまり、呆然としていたルッツだったが、次第に驚きの感情は怒りの感情へと変化していった。
(本当に、本当に僕を苛立たせてくれるね。一度で駄目なら、もう一度その手を消し飛ばしてやる)
ルッツは苛立ちを募らせつつ、再度『不可視の風刃』を発動し、トムの左手を狙う。が、トムはそれを半歩横へと移動して回避し、地贋竜を盾に身を隠した。
(むかつく! むかつく! むかつく!)
声にこそ出さなかったが、ルッツの怒りは頂点に達していた。
次に姿を見せたその時には必ず、と決意を胸にし、トムが姿を現すその時を待つ。
そしてついに、その時がやってくる。
だが、先ほどまでとは違い、姿を見せたトムは球体状の防御膜のようなものを張っていた。
(防御系のスキルか。でも関係ないね。今度こそ――)
これで三度目となる『不可視の風刃』を、ルッツはトムの左手を狙い、放つ。
執拗に左手だけを狙うのはルッツの意地だった。
頭部を狙えばトムを殺せると頭の隅では思いながらも、プライドがそれを許さなかったのだ。
狙い通り『不可視の風刃』はトムの左手に直撃する。
しかし、左手を消し飛ばすには至らなかった。
「……もうやめだ。あいつは絶対に殺す。ヨルク、ハンス」
「「――はっ」」
ルッツの呼び掛けに応じたのは直属の部下である、顔を黒い布で覆い隠したヨルクとハンス。
両者共にシュタルク帝国の諜報員であり、ルッツの忠実なる部下である。
ヨルクはダガーを、ハンスはハルバードを持ち、ルッツの次の言葉を待つ。
「あいつを――トムを殺りに行くよ。準備はいいかい?」
「問題ありません」
「いつでも行けます」
「うん。良い返事だね。それじゃあ行こう――っとその前に、マルク公爵に話があるんだった」
「私に? 何の用だ?」
蚊帳の外になりつつあったジェレミーに、ルッツは用件を伝える。
「事後承諾になっちゃったけど、僕たちはマルク公爵の護衛から一旦離れさせてもらうよ。地贋竜の攻撃に巻き込まれないように気をつけておいてほしいな」
「問題はない。護衛は別の者に任せる。むしろトムを仕留めてくれるのであれば、私としては願ったり叶ったりだ」
ジェレミーのこの言葉は虚勢などではなく、嘘偽りのない本心であった。
地贋竜とトムとの戦いを見させられたことで、ジェレミーの持つ私兵では到底太刀打ち出来ないと悟ったからだ。
(化け物の相手は化け物に任せるのが一番だ。私はルッツたちがトムの相手をしている間に軍をまとめ上げ、再攻撃に備えるとしよう)
ジェレミーの野望は未だに潰えてはいない。
形勢は完全に不利となってしまったが、ルッツたちがトムを倒しさえすれば、まだまだ戦えるはずだと自らを鼓舞する。
「よし。それじゃあ今度こそ出発だ。必ず殺すよ。必ず――だ」
その後、シュタルク帝国の諜報員である三人はトムに向かって駆け出したのであった。
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