第177話 バランド辺境伯領の事情
パスカル・バランド辺境伯はフラムの忠告という名の脅迫を耳にした後、危険であることを承知の上で、乗っていた馬の足を動かし、フラムと普通に会話出来る位置まで移動した。勿論、最も信頼厚き護衛を十名ほど引き連れて、だ。
「投降しろだと? 戯言を抜かしおって。投降して私に何のメリットがあると言うのだ」
バランドが投降を選択する理由など一切ない。投降したとしても、その先には確実に粛清が待っているからだ。
フラムに、そして王家に勝利しなければ、その先に待つのは死のみ。例えフラムの言葉通り投降し、臣下の命が救われようが、バランド自身が救われないのであれば何の意味もない。
そして、未だに戦意を失っていない千人ほどの臣下たちも、己の忠誠を捧げているバランドが死ぬ未来など望んではいなかった。
既に戦意を失った者たちとは違い、フラムと対峙する千人は急場凌ぎで集められた兵士ではなく、普段からバランドに仕えている兵士のみで構成されている。
バランドのために戦い、バランドのために命を散らすことに躊躇いを持つ者など誰一人していない、忠誠厚き集団であった。
「メリットは提示したつもりだったのだが、理解出来なかったのか? 貴様が投降すれば、貴様を慕う兵たちの命が救われるといっているのだ。それは十分なメリットにはならないのか?」
そう口にしつつ、フラムはバランドの表情ではなく、周囲の兵士たちに視線を向けていた。
(……ふむ。私の言葉で兵たちの士気が少しは下がるかと思ったが、存外この男は慕われているようだな)
主君であるバランドが投降すれば、最低限でもフラムには殺される心配が無くなるにもかかわらず、兵士たちはフラムに臆することなく憎悪と怒りを込めて睨み続けていた。
「話にならんな。ここで私が白旗を上げることを望む者はこの中にはおらん。死する覚悟すらも持って我らは王都へと来たのだからな」
「何故そうまでして戦う必要があるのだ? 一体貴様は何を望んでいる?」
バランドとその臣下たちの強い想いと意思にフラムは大きな疑問を抱き、自然とそう口にしていた。
その質問を耳にしたバランドは一瞬悲痛な表情を見せると、すぐさま感情を窺わせないよう表情を取り繕う。
「其方はバランド家の領地がどこにあるかは知っているか?」
フラムは首を左右に振り、『知らない』とバランドに伝える。
「……そうか。ならば、其方にはわからんだろうな。我らが苦しみ続けて来た過去を持つことを」
バランドはそれだけを告げると、踵を返し、再び軍団の最後尾へと戻っていく。
バランド辺境伯領はシュタルク帝国と隣接している。
ここ数年こそシュタルク帝国が戦争を仕掛けて来ることはなかったが、それ以前は違ったのだ。
宣戦布告をせず、シュタルク帝国がラバール王国に侵攻してくる度、真っ先に剣を交えなければならなかったのはバランド辺境伯とその領民だった。
シュタルク帝国に対する王国の盾として戦わされたバランド辺境伯領の歴史を紐解くと、それは凄惨と言わざるを得ないもので、数多の兵が、民が、ラバール王国を守るため、無惨に殺されていった過去を持つ。
そんな過去を持っているからこそ、バランド辺境伯とその領民はラバール王国の盾となることに嫌気が差し、ラバール王家に反旗を翻すことに決めたのだ。
しかし、だからといってシュタルク帝国に寝返るという選択肢はなかった。理由は至極単純なもので、シュタルク帝国に殺されてきた歴史を持つが故に、その恨みは計り知れないものになっていたからだ。
結果、バランドが選んだのはジェレミー・マルクに手を貸すことだった。
反王派閥を立ち上げたジェレミーに手を貸し、その対価として、バランドはジェレミーが玉座を手に入れた際には、バランドとその領民を安全な土地に移住させることを確約させていた。
目的を達するためにジェレミーがシュタルク帝国に様々な協力を得ていたことに関しては業腹ではあったが、今では目的を達するための一つの手段として何とか割り切っている。
バランドがジェレミーに手を貸した経緯をここにいる千人もの兵たちが知っていたからこそ、フラムの言葉に惑わされ、士気を下げる者は誰一人としていなかったのだが、バランドたちにそんな経緯があったことをフラムは知る由もない。
フラムは後方へと下がっていくバランドの背に向けて、最終通告を行う。
「――本当にいいのだな? 私は甘くはないぞ」
バランドはフラムの言葉で振り返ることはなかった。
最後尾へと戻ったバランドは声を張り上げ、兵を鼓舞する。
「我らの勝利は目前である! 仮面の女を倒し、王都を陥落させよ!」
「「うぉぉぉぉぉ!!」」
高々とそれぞれが持つ武器を掲げ、兵たちは地を揺らすほどの雄叫びを上げて、バランドの言葉に応じる。
そして――戦いの火蓋が切られた。
真っ先に攻撃を仕掛けたのはバランド軍の先頭に立つ三人の精鋭であった。剣を、槍を、斧を構え、フラムに突貫していく。
槍を持つ者がフラムの真正面から長いリーチを活かし、鋭い突きを繰り出し、その槍撃に呼応するように左右から剣と斧を持った二人がフラムを両断せんとばかりに全力で武器を頭上から振り下ろす。
――だが、フラムには通用しなかった。
まるで身体が金剛石で出来ているかのように、槍はフラムの身体に突き刺さることなく、甲高い音と共に弾かれる。そして、剣と斧を高々と掲げた二人は鎧を纏っていたにもかかわらず、がら空きとなっていた胴体にぽっかりと拳大の穴をあけられ、地に伏した。
両手が赤く血に染まるが、フラムは一切動じることなく、そのままの勢いで槍を持った者の首を手刀で切り飛ばす。
戦闘が始まってから僅か十秒ほどで、三人の命が散る。
しかし、バランド軍の兵たちは臆せずに次々とフラムに襲いかかっていく。
三人で駄目なら五人で。それでも駄目なら十人で、と徐々に人数を増やし、多種多様な攻撃を仕掛けていくが、その悉くをフラムは防ぎ、返り討ちにしていった。
死体が百ほど地面に転がる。
それほどまでの死者を生み出したが、フラムに傷一つ負わせることが出来ていなかった。
「化……物……が……っ」
そう言葉を残し、また一人、命を散らす。
いくら倒しても倒しても立ち向かってくる数多の敵にフラムは辟易していた。
(……本当に嫌になるぞ。何故勝てないと知りながらも立ち向かってくるのだ。……ふむ。これ以上は無駄だろうな)
フラムはここまでの戦いで、武器を使わずに素手のみで全ての敵を相手にし、殺してきた。しかも、残忍な殺し方で敵に恐怖を抱かせるように、だ。
敵の心を折り、無駄に死者を増やさないようフラムなりに配慮した結果、そうしていたのだが、全く効果が見込めないと判断を下し、方針を転換する。
――心が折れないのであれば、立ち向かえない状況を作り出そう、と。
そう決断し、即座にフラムは行動に移る。
取り囲んでいた者を回し蹴りで全て吹き飛ばし、周囲数メートルに自分以外誰もいない空間を生み出す。
そして、フラムは自身を煉獄の炎で大きく包み込み、誰も近づけない状況を作り出した。
フラムを中心に戦場の空気が徐々に熱されていく。
炎の温度を段階的に上昇させたことで、フラムを再度取り囲もうとしていた者は熱波でやられないよう後ずさる。
そんな中、蛮勇を振るった一人の愚か者が熱波を無視し、フラムに斬りかかろうと煉獄の炎の中に飛び込み、一瞬で灰となって消え失せた。
「見ての通り、この炎は触れたモノを全て燃やし尽くす。死にたくなければ、私に近づくな」
フラムは声を張り上げ、周囲にいる者に警告を発した。
全てを燃やし尽くすこの炎は、一般的な火系統スキルが進化したものではなく、完全に別種のスキルである。
そのスキルの名は――
使用者が許可したモノ以外の全てを灰塵と帰す効果を持つ『灰塵煉炎』は、フラムが生まれながらにして所持していた完全固有のスキルであった。
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