第170話 アリシアの本心

 アリシアが事前にこちらの人数を伝えてくれていたのか、普段通される部屋に比べ、随分と広い部屋に通される。

 部屋の内装も部屋の広さに比例するかのようにグレードが上がっており、壁には絵画やアンティークの剣や盾がいくつも飾られていた。

 部屋の中央にはエドガー国王を含めた計十二人が囲めるサイズの白い石材で作られた長方形のテーブルが設置され、その上座にエドガー国王が座っている。


 アリシアを先頭に次々と部屋の中へと入った後、俺がエドガー国王に挨拶をしようと口を開きかけたタイミングで、ブレイズが俺より先に口を開く。それも片膝をつき、頭を下げながらだ。


「このたびは、ラバール王国の国王陛下であらせられるエドガー・ド・ラバール国王陛下にお目通りが叶い、誠に嬉しく存じます。私の名は――」


 長々とらしくない言葉を使って挨拶を行うブレイズに、つい唖然としてしまう。

 アリシアに対しても頭を下げ、かなりの礼儀を払っていたが、今回はそれを遥かに超えるブレイズの態度に驚きが隠せない。

 そしてそれはブレイズだけではない。『新緑の蕾』のメンバーであるララとレベッカは勿論のこと、ナタリーさんやマリーまでもが同様に跪いていた。

 何もせずにただ立っているのは俺たち『紅』の三人とイグニス、そして王女のアリシアだけ。貴族の令嬢であるリゼットは跪いてこそいないものの、ご令嬢らしく優雅でありつつも美しい姿勢で深々と頭を下げていた。

 そんな周囲の光景を目の当たりにした俺は、ようやく状況を理解する。

 冷静に考えてみれば、誰にでも簡単にわかることだ。

 度々顔を合わせていたため、完全に感覚が麻痺してしまっていたが、エドガー国王は一国の頂点にいる人物。そう気軽に接していい相手ではない。

 ブレイズたちが取った対応こそが本来あるべき姿であることを思い出し、『俺も跪いた方がいいのだろうか』と考え始めた時、長々と未だに挨拶を続けていたブレイズをエドガー国王が止めに入った。


「悪いが時間がない。挨拶はそこまでにして、そろそろ椅子にかけてくれ」


 エドガー国王は身分差を気にして長々と挨拶を交わしている場合ではないと判断したようだ。すぐにでも話し合いが出来るよう席へと促した。




 全員が椅子に座り、話し合いが始まろうとしている中、ナタリーさんとマリーの顔色を見ると、僅かに青ざめているように見える。

 元奴隷で、今はただの一平民である二人からしてみれば、国王と同じテーブルにつくというのは畏れ多く、精神的に辛いものがあるのかもしれない。けれども、二人には申し訳ないが我慢してもらうしかなかった。


「王都の現状について話す前に、まず最初にイグニス殿に礼を告げたい。俺の依頼を受け、そして見事に遂行してくれたことを深く感謝する。本当に助かった。ありがとう」


 テーブルに両手をつき、エドガー国王が深々と頭をイグニスに下げる。

 国王という立場の人間が簡単に頭を下げるという行為は、断じて褒められるものではない。貴族社会の常識に疎い俺にでも、その程度のことはわかる。

 エドガー国王の取った行動に、俺たち『紅』とイグニス以外の全員が驚きの表情を浮かべているのも当然だと言えるだろう。

 そして、当事者であるイグニスはエドガー国王の感謝の言葉に対し、ニコリと笑みを見せる。


「いえ、お気になさらず。大した相手ではありませんでしたし、あの程度のでしたら、いくら数を揃えられようと問題はございません」


 そう口にしたイグニスの視線はエドガー国王に固定されていた。まるで心の中を見透かそうとしているかのように。

 そしてそれはエドガー国王も同じようで、イグニスの両の瞳をしっかりと見つめ返している。


「……やはりそうなのか」


 そう溢したエドガー国王の声はとても小さなものであったが、部屋の中が静まり返っていたこともあり、エドガー国王の近くに座っていた俺の耳にはしっかりとその声が届いた。

 この言葉の意味するところは、イグニスの正体について指しているであろうことは容易に想像がつく。

 何より、イグニスがエドガー国王に自分の正体をあえて教えるかのような言葉を選んでいた。

 何故イグニスがそうしたのかまでは俺にはわからないが、何かしらの意図があってのことだろう。フラムとは違い、イグニスはしっかり者だ。意図せずうっかり、なんてことは考え難い。


 その後、エドガー国王は仕切り直すためか、一度咳払いをしてから別の話題へと移った。


「『紅』は『新緑の蕾』と遠く離れた地で依頼を受けていると聞いていたが、一体いつ王都に戻ってきたんだ? 王都は昨夜から全ての門を封鎖していたこともあって、王都の中に入るためには特別な許可が必要だったはずなんだが」


 何とも答え難い質問が飛んで来る。

 アリシアとリゼットは首を傾げ、不思議そうにしているが、それ以外の者は全員、口を閉ざしてしまう。

 ブレイズたちは口外しないという俺との約束を守るため、ナタリーさんとマリーは屋敷の主である俺の秘密を守るためにエドガー国王の質問に応じずにいてくれているようだ。

 誰もが口を閉ざしたことで、エドガー国王は何かを察したのか、質問を撤回する。


「……何か訳ありのようだな。それなら仕方ない。今の質問には答えなくてもいい。それよりもさっさと本題へと移るぞ。コースケ、俺との面会を希望したとのことだが、理由を聞いていいか?」


 エドガー国王の配慮に感謝しつつ、一度頷いた後、面会を願い出た理由を伝える。


「王都が反王派貴族の軍勢に囲まれているという話を聞き、俺たちに何か手伝えることはないかと思い、アリシアに面会を取りつけてもらいました。イグニスから聞いた話によると、このままでは王都が陥落する可能性が高いとのことだったので」


 イグニスから聞いた情報は間違っていなかったようだ。

 エドガー国王は苦虫を噛み潰したような表情を一瞬見せ、ため息を一つ吐いた後、俺の言葉を肯定した。


「……ああ。このままじゃ確実に王都は陥落する。まだ戦闘こそ始まってはいないが、正直な話、兵力差からいって時間を稼ぐことさえ難しい。ちょうど今頃、イグニス殿が捕らえたマルク公爵家の嫡男を交渉材料とし、兵を退かせるよう交渉を行っているはずだが、まず受け入れられることはないだろうな。ジェレミー・マルクという男はそんな甘い人間じゃない」


 クーデターを企てた男が息子の命を助けるためだけに兵を退かせるなど有り得ないだろう。仮に兵を退いたところで、後々罪人として罰せられるのは確実なのだ。息子一人の命と自身を含めた反王派貴族全員の命では釣り合いが取れるはずがない。

 つまり、明らかに成功する見込みのない交渉をしなければならないほど、王都ひいては王国が追い込まれているということなのだろう。


 王都の危機的な現状を国王本人の口から聞かされたアリシアとリゼットは、まるで魂が抜け落ちたかのように感情のない表情となっていた。

 それもそのはず、もし王都が陥落するようなことがあれば、エドガー国王を始めとする王族は間違いなく亡き者とされ、さらには王都に滞在している王派貴族も無事では済まないだろうことは火を見るより明らかだからだ。


 アリシアとリゼットの顔色を見たエドガー国王の表情も優れないものへと変わっていく。

 そして、エドガー国王は何かを決心したのか、テーブルを両手で強く叩き、椅子から立ち上がった。


「コースケ」


「な……んでしょうか?」


 強い意思を思わせる瞳で見つめられた俺は、僅かに言葉を詰まらせながらも返答した。


「さっき、何か手伝えることはないかと俺に言ってくれたよな。甘えるようで悪いとは思うが、たった一つだけコースケに頼みたいことがある」


 その声音は、国王らしくない普段の親しみやすいものとは違い、真剣で誠実なもの。

 場の空気が、がらりと変わっていくのを感じる。

 俺はエドガー国王の瞳から目を逸らさずにゆっくりと頷いた。


「アリシアとリゼットを連れて王都から脱出してほしい。アリシアさえ無事であれば、アリシアが中心となって王派を纏め上げ、王国を再び立て直せるはずだ。リゼットにはアリシアの心の拠り所になり、補佐をしてもらいたいと考えている。包囲網から脱出するのは困難だとは思うが――」


「――お父様!」


 エドガー国王の言葉を途中で遮り、アリシアが大声を上げたことで、この場にいる全員の視線がアリシアへと集まっていく。


 声を上げたアリシアは拳を強く強く握り締め、大粒の涙を流しながら、再び口を開いた。


「……私は家族を見捨て、王都から逃げるような真似をしたくはありません。……どうして私だけなのですか? 私を……私を一人にしないで……」


 悲痛な叫びだった。

 常に王女として気丈に振る舞おうとしていたアリシアの姿はそこにはもうない。

 家族が殺され、自分だけが生き残る未来を受け入れることが出来ないのだろう。


 そんなアリシアの姿を見た俺は、徐々に胸が締め付けられていく。そして、それと同時に胸の中に熱いものが広がっていくのを感じた。


 何も悩む必要はない。

 俺は自分がしたいことをするだけだ。

 そして何より、俺には俺を助けてくれる大切な仲間がいるのだ。


 アリシアが涙を流し、エドガー国王がその姿を見つめている中、俺は椅子から勢いよく立ち上がり、宣言した。


 ――俺たち『紅』が必ず王都を守ってみせる、と。

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