第52話 ナタリーとマリー

「お待たせ致しました。購入していただいた二人の準備が終わりましたので、これで全ての手続きは完了です」


 応接室に二人を連れて入ってきた商人にそう言われ、二人は遠慮がちな足取りで俺たち三人の方へと近付いてくる。


「あ、あの――」


 少女の母親が口を開こうとしたところで俺が待ったをかけた。


「自己紹介は家に行ってからにしませんか? ここでは落ち着かないと思いますし」


 俺はなるべく優しい口調で少女の母親にそう語りかける。そして母親の後ろに隠れていた少女に近寄り、目線の高さを同じにしてから頭を撫でる。


「はい。わかりました」


 母親の返事を聞き、俺たちは屋敷へと戻ったのだった。




 屋敷の前に着くと、それまで母親の後ろに隠れていた少女が屋敷を見て、初めて声を出す。


「すごいです……お嬢様が住む、お家みたいです」


「ここが今日から住むお家だよ」


 俺は少女にそう教えてあげたのだが、やはりまだ恐怖があるのか、母親の後ろに隠れてしまう。


「すみません!」


 その少女の態度に母親は声を大にして俺へと謝罪し、頭を何度も下げてくる。


「気にしないで下さい。それよりも早く中に入りましょうか」


 そして屋敷の中に入ると、一階にある応接室に入り、全員を椅子に座らせた。


「それじゃあ最初に皆で自己紹介をしよう。俺はコースケ」


「わたしはディア」


「私はフラムだ」


 簡単に俺たち三人は名前だけを告げ、自己紹介を済ませる。そして次に自己紹介をしたのは少女の母親だ。


「私の名前はナタリーと申します。私たち親子を買っていただき、本当にありがとうございます」


 少女の母親であるナタリーさんは長い茶髪を持った二十代後半の女性で、素朴だが整った容姿をしている。


「……」


 次の自己紹介の順番は少女なのだが、口を閉じたまま黙ってしまう。

 その少女の様子にナタリーさんは焦りを見せながら、俺たちへと謝罪をする。


「申し訳ございません! マリー、しっかりとご主人様たちにご挨拶をして?」


 ナタリーさんの焦りが少女にも伝わったのか、恐る恐るといった様子で自己紹介を始めた。


「……マリーです」


 マリーは母親のナタリーさんと同じ色の髪を持ったショートカットの十歳にも満たないであろう少女。容姿も母親譲りなのかとても可愛らしい顔立ちをしている。


 俺はマリーをリラックスさせるために何かないかと考え、良いものがあることを思い出す。


「マリーって言う名前なんだね。マリー、良いものをあげるよ」


 そう言って俺が擬似アイテムボックスから取り出したのは、以前に大量に購入したリンゴとカスタードクリームが入ったパイだ。

 やはり、子供を手懐けるにはお菓子が一番だと考えたのだった。


「……これは何です?」


「これは甘くて美味しいお菓子だよ。食べてみて?」


 マリーの警戒心を解くように優しく微笑みながら、食べるように促す。

 それに対してマリーは本当に食べてもいいのかと視線で俺に訴えかけてきたので、頷いてあげる。

 パイを両手で掴み、子供には少し大きなサイズのパイを目いっぱい口を開け、パイ生地のサクっとした音が静かな部屋に響く。


「甘くて美味しいです!」


 そのお菓子の美味しさにマリーはようやく初めての笑顔を見せてくれたのだった。


「せっかくだし皆で食べようか。ナイフとフォークが無いけど、素手で食べちゃおう」


「わたしもマリーが食べてるとこを見てたら食べたくなった」


「私もだぞ。このお菓子はいくら食べても飽きない」


 俺はパイを全員分取り出し、テーブルの上に並べる。もちろんナタリーさんの分もだ。


「ご主人様、私の分は気になさらないで下さい」


「どうぞ食べてください。まだまだ沢山ありますので」


 するとパイを食べ終わったマリーが物欲しそうな顔でこちらを見ていることに気付いた。


「マリーはもう一個食べる?」


「食べたいです!」


 マリーはすっかりと警戒心がなくなり、元気一杯に返事をしてくれる。その表情を見て俺は嬉しくなってしまう。


 二人を連れて帰ってきて良かった。マリーに笑顔が戻っただけで何だか報われた気がするな。


「あんまり食べすぎると太っちゃうから気を付けてね」


 俺はそんなマリーに軽い冗談を交えながら笑顔を向けたのだった。




 全員がパイを食べ終わり、今は紅茶を入れてゆっくりとしている。

 ちなみにティーカップは屋敷に元々置かれていた物を使い、茶葉は以前に三人で王都を散策している時に購入していたものだ。マリーには紅茶は苦すぎる様だったので砂糖をたっぷりと入れてあげた。


 そんなゆっくりとした雰囲気の中、口を開いたのはナタリーさんだった。


「つかぬ事をお聞きしますが、ご主人様は貴族の方なのでしょうか? ディア様とフラム様は奥方でいらっしゃいますか?」


「――ブッ!!」


 突然の質問に、俺は飲んでいた紅茶を吹き出してしまう。


「こうすけ汚い」


「主よ、流石に慌てすぎだぞ」


「ごめん。ちょっといきなりの事で驚いた」


 俺はテーブルを拭きながら皆に謝りながらそう答える。


「えっと……」


 そんな俺の姿を見ていたナタリーさんは困惑した様子だ。


「ナタリーさんの質問に答えますね。俺は貴族ではないですよ。それと二人は奥さんでもないです」


「そうだったのですね。勘違いをしてしまい申し訳ございません」


「そんな謝らなくても平気ですよ。それで俺たちは冒険者なんです。二人は仲間で一緒にパーティーを組んで活動しています」


「冒険者でこの様な大きな屋敷をお持ちになるなんて……それでご主人様――」


 年上の人にご主人様呼ばわりされるのは違和感を覚えたため、一旦ナタリーさんの話を遮り、話題を呼び方についてに変える。


「ナタリーさん、ご主人様はやめません? 柄じゃないですし」


「ですが、私たち親子は奴隷です」


「それは違います。ですよ」


「……え?」


 俺の言葉が理解できなかったのだろう。驚きの言葉の後にナタリーさんは困惑した表情を見せた。


「だって奴隷紋がないじゃないですか。そして俺たち三人はナタリーさんとマリーを今後奴隷として扱うつもりはありません。ただ、二人にはここで働いて欲しいと思ってるんです」


「私とマリーが奴隷じゃない……?」


「そうです。奴隷としてではなく、俺たち三人の使用人としてここで働いてもらえませんか?」


 俺は右手を差し出し、ナタリーさんに働いてもらうようにお願いする。

 ナタリーさんは俺の右手を数秒間見つめた後に、少し緊張をした面持ちでゆっくりと右手を伸ばす。そして俺の手を握ったのだった。


「これから私たち親子をよろしくお願い致します」


 その顔は憑き物が落ちたかの様に晴々とした表情をしていて、そして瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた――。




「それではこれから皆様の事はどのようにお呼びすれば?」


「呼び捨てで良いですよ。気軽にコースケとでも呼んでもらえれば」


「わたしもディアでいいよ」


「私の事はフラム様と――」


 フラムがそんな事を言い出した瞬間に俺とディアはジト目でフラムを見つめる。


「冗談だぞ! そんな目で私を見ないでくれ! 私もフラムで良いぞ」


「流石に使用人として働かせてもらうのに呼び捨てでは……」


 ナタリーさんがそんな風に頭を悩ませていると、マリーが突然発言をした。


「コースケお兄ちゃん、ディアお姉ちゃん、フラムお姉ちゃんです!」


 お兄ちゃんか……。少し照れるけど良いかもしれないな。


 俺には兄弟がいなかったため、お兄ちゃんと呼ばれたことは人生で一度もない。


「マリーはそれでいいよ。二人はどう?」


「ディアお姉ちゃん……。わたしはとても良いと思う」


 ディアはかなり嬉しそうだ。口元が緩んでいる。


「フラムお姉ちゃんか。悪くないぞ」


 フラムも満更ではなさそうである。


「じゃあマリーはそれで決まりだ。次はナタリーさんの番ですね」


「そうは言われても難しいです……。ご主人様がダメとなると、コースケ様、ディア様、フラム様とお呼びするのはどうでしょうか?」


「ダメですね」「嫌」「良いと思うぞ」


「「……」」


 フラムの発言にまたも俺とディアはジト目をした。


「だからその目はやめてくれ!」


「それなら一体どうすればいいんでしょうか……」


 ナタリーさんはもうお手上げといった状態になる。やはりまだ心のどこかで俺たちに購入されたという引け目を感じているのだろう。


「ナタリーさんは俺たちの中で一番年上なんですから、様付けはダメですよ」


 実際はディアとフラムの方が圧倒的に年上なのだが、この際無視する。


「では皆様で決めてください。私には無理です」


 そう来たか。自分でこう呼んで欲しい、と言うのはそれはそれで恥ずかしいなぁ。けど仕方ないか。


「わかりました。俺の事はコースケ君、ディアとフラムはちゃん付けでお願いします」


「コースケ君、ディアちゃん、フラムちゃんですか?」


「はい。二人はそれでもいい?」


「いいよ」


「私をフラムちゃんと呼ぶのか? 別に構わないが、生まれてこのかた初めて呼ばれるぞ」


 フラムちゃん呼びは俺からすれば確かに違和感が凄いが、フラムの年齢を知らないナタリーさんからすれば、それほど抵抗はないだろう。


「じゃあ決まりで。ナタリーさんもそれでお願いしますね。後はそんな畏まった口調は止めてください。普通に話してもらえればいいですから」


「口調をいきなり変えるのは難しいですが、徐々になら……」


「それでいいですよ。自分のペースでお願いしますね」


「私からも一つお願いがあります。私に対して丁寧な口調はやめてもらえませんか? コースケさ――君が私の雇い主になるのにそれではおかしいですから」


 確かにそうかもしれないな。それに皆仲良くしたいと思っているにナタリーさんだけ除け者になるような態度はやめた方がいいか。


「わかったよ。これでいいかな?」


「はい。改めまして、これからよろしくお願いしますね」


「よし、自己紹介と名前の呼び方は決まった事だし、次はお給料の事と住む部屋を決めよう」


 俺がそう言うとナタリーさんから待ったがかかる。


「ちょっと待って下さい。お給料ですか?」


「え? そうだけど?」


「コースケ君は私たち親子に使用人として働いてもらいたいとは言ってましたが、奴隷であった私たちを購入する時にお金を払っていましたよね?」


「払ったけど、それはあくまで商人に払ったのであって、二人にはお金を払ってないから給料はもちろん支払うよ」


「それはいくらなんでも貰えません」


 うーん。困ったな。俺は二人を奴隷として連れてきたわけではないんだけど、上手く伝わってないのかな?


「さっきも言ったけど、奴隷としてじゃなくて使用人として働いて欲しいんだ。これは譲れないよ」


「ですが――」


 このままではいくら経っても平行線のままになってしまう。本位ではないがこの際仕方がないと思いながらこう告げた。


「それじゃあ、奴隷を買った者として最初で最後の命令をする。しっかりと給料を受け取って欲しい」


「それはズルいです……。でもわかりました。ありがたく頂戴します」


「うん。じゃあ給料の事なんだけど、どれくらいが相場なんだろう?」


「私たちが住んでいた小さな街では一ヶ月で稼ぐことのできる金額は銀貨50枚程度でした」


 銀貨50枚ってことは月に5万円くらいか。でもここは王都だし、銀貨50枚ではあまりにも少なすぎるよな。


「ありがとう、参考になった。それじゃあ二人合わせて月に金貨2枚でいいかな?」


「……え?」


 あれ? 反応があんまり良くない。二人で金貨2枚は少なかったかな。


「足りないか。それなら――」


「いえ! 違います! 逆ですよ逆! いくらなんでも多すぎます!」


 そっちだったか。でも王都の物価は高いし、これくらいないとなぁ。


「じゃあ金貨2枚で決定で。余るようだったら貯金すればいいと思うし」


「……わかりました」


 渋々といった様子でナタリーさんは承諾する。これで給料の話は済み、後は部屋を決めるだけとなった。


「次は二人の部屋を決めよう。俺たち三人は二階の部屋を使ってるんだけど、二人は希望ある?」


 すると、マリーが元気よく意見を述べる。


「それだったらお母さんと同じ部屋がいいです!」


「私もマリーと同じ部屋をお願いしたいです。まだマリーは一人では眠れないので」


「お母さん!」


 マリーはそのことを恥ずかしいと思っているのか、耳を赤くしながらナタリーさんに抗議していた。


「じゃあ二人は同じ部屋を使うということで。いつかマリーが一人で寝られるようになったらその時に考えようか」


「コースケお兄ちゃんまで!」


 マリーの抗議の声は他の皆の笑い声でかき消されたのだった。




 その後、二人の部屋は一階の一室に決まり、そろそろ日も暮れ始める。


「それでコースケ君。私たちの仕事はなんでしょう?」


「基本的には俺たち三人は料理ができないから、料理をお願い。後は掃除かな。流石に一日で全ての部屋を掃除なんてできないから一週間で屋敷を掃除するようなペースでやってもらえれば。マリーはお母さんを手伝ってあげてね」


「わかったです!」


 マリーは語尾に『です』を付ければ敬語になると思っているようで、度々おかしな話し方になっている。ナタリーさん曰く、いくら言っても直らないとのことだ。


「取り敢えず今日は材料も何もないから夜は皆で外食にしよう。後ナタリーさんにはこれを」


 そう言って手渡したのはお金の入った財布だった。


「これは?」


「ナタリーさんとマリーは着替えとか持ってないだろうし、これで必要な物を買ってね。一応金貨が10枚入ってるけど、足りなかったら言ってくれればまた渡すよ」


「コースケ君、いくらなんでも金銭感覚がおかしいですよ……。金貨1枚でもお釣が来ます」


「それじゃあ余ったお金は契約金と言うことで。それともう一つこれも渡しとくよ」


「これにもお金が入ってますけど、これは?」


「これは食材とかこの家に足りないものを買うためのお金。これは遠慮なく使って欲しい。無くなったら必ず教えてね」


「わかりました。このお金はしっかりと管理します」


 この時の俺は、ナタリーさんとマリーに後ろめたさを、罪悪感を、胸に抱き続けていた。

 俺は二人からの信用と信頼を金で買ったのだから――。


 その日は高級レストランで美味しい料理を食べながら新しい家族を迎え入れるようにお祝いをしたのだった。


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