第51話 今度は妹がやってきた

 無事に、と言うべきか、ゼーレは大学部へ進学し、美里は卒業して本格的に電子戦で生計を立てることになり――本当の意味で無事に、ネミエラは高等部への進学を果たした。

 そんな頃だ、またベルがやってきたのは。

「いるか?」

「おう、親父か」

 見慣れたわけではない。ないが、一人の少女を連れていた。

 見た限りでも日本人、やや小柄だとは思うが、それだけで。

「夕食の仕込みをしてる最中だ、追加した方がいいか」

「こいつのぶんをな」

「ん……また拾ってきたのか」

「おいおいゼーレ、今度は事情が違うぞ」

 リビングまでやってきて、少女を座らせてすぐ、ベルはこちらに近づいて煙草に火を点けた。

「ネミエラと同い年、高等部にもう入ってる。大阪の商社をやってた親が不祥事で殺されてな」

「親父の仕事か?」

「まさか、そんな仕事じゃ欠伸が出る。俺にもいろいろと繋がりがあってな、どうせ死んだことになるコイツなら、俺が拾っても良い」

「確かに、俺らとは違うか」

「元からこっちの生活には慣れてるし、それ自体は延長で良い。そう手はかからんだろ」

「そうか」

「で? こっちはどうだ?」

「少し前に連絡しただろう」

「お前の連絡ってのは、進学していいのかどうかの確認だけだろうが」

「心配でもしてるってか?」

「はは、そりゃまあ、してねえよ。人間はどう心配したって、死ぬ時は死ぬ」

「それもそうか。いや、上手くやってる。美里みさとが一緒に住むようになったし、ネミエラも落ち着いた。同じことを繰り返す毎日も、退屈だとは思わねえな」

「そうか」

 成長したもんだと、そう言おうとしたが、部屋が開く音がして、ネミエラがこちらに気付いた。

「親父!」

「おう」

「親父助けてくれ! 勉強したくねえ!」

「ああ?」

「理解力はあるんだが、基礎がねえから、学園の勉強について行けないんだ。じっとしてられねえから、いつまで経っても追いつかない。いっそ箱詰めにでもしてやればいいかもな」

「兄貴、俺は今から逃走の準備を始めた方がいいのか?」

「お前は……」

「ん? あれ? そっちのは?」

「妹だ」

「マジで!?」

「親を亡くしたばっかで、一人だったから拾った。日本人だし、お前らとは事情が違うぜ」

「へえ、そうなのか。どうでもいいけど、妹はいいな。ははは、よろしく――」

 いつものよう。

 気楽な様子で、座った彼女の肩を叩こうとしたネミエラは、半分ほど手を伸ばした時点で、ぴたりと動きを止めた。


 確かに――雰囲気が、違う。

 どこか拒絶しているようだし、警戒もあるが、それはかつてネミエラがやっていたこととは比べられないほど、言ってはなんだがお粗末なものだった。同じ学園の友人を思えば、似たようなものかと納得もできよう。

 だから、それが切欠だ。


 ――違うと、感じられたから。


「……? なんやの」

「――悪い、便所」

 叩こうとしていた手を口に当て、やや速足に便所へ。音は聞こえなかったが、しばらくして出て来たネミエラは、ふらふらと自室へ戻ってしまった。

「ほんまに、なんやの?」

「なるほどな。成長したのはネミエラもか。ゼーレの時はどうした?」

「俺には美里がいたからな……」

 ゼーレもさすがに、苦笑いだ。

「ベル、ちょう、うちなんもしてへんよね?」

「お前が悪いわけじゃない。ゼーレ、説明してやれ」

「その前に、名前は?」

「うち? うちはあや乃や」

「そうか。最初に言っておく、説明はするが全て事実だ。しかしこの日本においては珍しいことだろうから、できるだけ想像しろ。俺やネミエラが親父に拾われる前までいたところは、治安が悪くてな。俺は誰かを殺すための商品として育てられ、ネミエラはスラムの下っ端だ」

「……は?」

「そんな俺らが日本の生活に馴染むと、まあ天国みたいに感じるわけだが――ふとした切欠で、そんな過去を思い出す。道を歩いていても屍体は転がってねえし、生き残るために固く誓い合った相手が裏切ることもない。三日ぶりの食事が乾いたパンだけならまだしも、そのパンを奪われることもなければ――奪う必要もない、そんな生活がここにある」

「……」

 ぽかんと、口を開けたまま固まったあや乃を見て、昔の話だとゼーレは少し笑った。

「だがな、俺もネミエラも、そういう生活をしていたのは確かで、忘れたわけじゃない。だから、こっちの生活に馴染んだ時、ふいに、お前みたいなのと――当たり前と、違う自分を強く自覚する。友人と話をしていて笑っている時、あるいは、誰かに触れようとして、本当に触れていいのかと、疑問を抱いた時」

 まるで誰かを、汚してしまうかのような錯覚を抱く。

「本当にこれでいいのか? ――そう考えた瞬間、便所で胃の中が空っぽになるまで吐く。当たり前の、天国みたいな生活をしていたはずなのに、それがどうしようもなく不釣り合いに感じで、気持ち悪くなるんだ。ネミエラの事情だから、お前は気にしなくてもいい」

「あほ、そんなん言われたら気にするやろ……」

「そんなものか。――美里」

「んー、あ、ベルさん、いらっしゃい。ランクBおめでとう」

「おう」

「ええと、――あ、新しい子だ。私は美里、よろしく」

「あやや」

「……うん? どっかで聞いたような」

「昨日の大阪、夫婦殺害。二〇三八フタマルサンハチ

「ああ、あれの娘だっけ。事情はだいたいわかった。どのくらい身分は隠すの?」

「手回しはしたから、同姓同名の別人だな」

「そっか。じゃあゼーレやネミエラと一緒ね」

「なにが一緒なん?」

「これから先は、あや乃が決めて、責任を負いながら生きれば良いってこと。家族だから、こっちも責任は負うけどね」

「馬鹿、家族なら責任を負うのは拾った俺だろうが」

「そう? ゼーレ、こう言ってるけど?」

「親父に迷惑をかけるくらいなら、自決した方がマシだ」

「そうかい。ま、ネミエラも丸くなったようだし、そこらはお前の成果だろ。――さて、俺はもう行くが、ゼーレ」

「なんだ?」

「お前は、傭兵の残党を拾ってきたら、困るか?」

「傭兵か。……まあ、苦労はするだろう」

「じゃあ拾ってくるか」

「おい、敵意はねえが、上手くやれるとは思わないぜ?」

「それでいい。お前には美里もいるし、弟も妹もいる。一人で抱えこまなきゃ、どうとでもなるさ。困ったら俺に相談しろ、しばらくはあや乃の世話。頼んだぞ」

「おう……」

 頼んだ、と言われれば。

 さすがにゼーレも、嫌だとは言えない。それは恩があるだけでなく、したくないという気持ちが強いからだ。

 ベルは相変わらず、煙草一本分くらいしか滞在しないが、それはいいとして。

「あや乃はどうする」

「どうって、うちに選択権はあらへんやろ」

「……?」

「あーうん、そうね、あるけど選べないね」

「あるんか?」

「あるだろう。嫌ならここを飛び出せばいいし、恨みがあるなら殺せばいい」

「ええって、簡単に言うやんなあ……」

「そうじゃなく、ネミエラもそうだけど、ゼーレも言ってるの。常識が違うから。これでもだいぶ、こっちに馴染みはしたんだけどね」

「自分の命くらい、自分で使おうと思えるようにはなった。家族ごっこに付き合えとは言わない、そこは好きにしろ。ただ否定はするな。きっとネミエラはむきになる」

「せやな」

「空き部屋は二つしかないから、どっちかを選べ。今日……は、もう時間も遅いから、明日にでも買い出しに行く。今日は美里の部屋だ」

「うん、セミダブルだし一緒に寝れるでしょ。本当に空き部屋だから、二十畳はあるけど、欲しいものある?」

「なんでもええんか?」

「常識の範疇ならね。ただし、許可を出すのはゼーレだから」

「小遣いは月に一万円。アルバイトの許可はまだ出してない。弁当が欲しいなら前日に言え。家具は一通り揃えていい。それ以外に欲しいものは、応相談だ」

「携帯端末と据え置き端末は最低限、欲しい」

「ああうん、それは私が手配しとくよ。自分の名義でいいよね?」

「可能なんか……?」

「うん、大丈夫よ、任せておいて。んー……資産運用でもするの?」

「落ち着いたらそれも考えとる。商人は昔から情報第一や、まずはそこやろ」

「学業を疎かにしないように。高等部卒業は大前提よ」

「……せやな。そっちはどないや?」

「姉さんでもいいよ」

「ああうん、まあ、せやったら、おねえ?」

「うん。私は高等部を卒業して、電子戦関係の仕事してる。B級は取ったから、今は電子戦A級ライセンスの取得と、爵位への挑戦準備がメインかな」

「じゃあ、うちにおるんか」

「だいたいいるよ」

「したら、お兄はどないや?」

「俺か? 大学のIT関連だな。美里のやってることを、少しはわかるようになるだろ。メインは家事だけどな……」

「……そういう関係なん?」

「んー、まあそうかな? うん、そうね。あと、私はベルさんに拾われたわけじゃないから。どっちかっていうと、ゼーレに頼まれたから好きでやってるの」

「そうなんか」

「お陰で、私もちょっと影響受けてるし。親がいなくなったことに同情はしないけど、よくあることだって思うくらい」

「よくあることとはちゃうやろ」

「そうでもないよ? 世界的に見れば、それなりに多いし、ちゃんと親がいる狩人ハンターなんて方が珍しいから」

「お姉はどないや?」

「うちは両親とも健在よ。通訳や空港の受付とか、いろいろ各地を移動してるみたいだけど。ま、あんまり気にしないの。親なんかいなくたって、生活できるから」

「金はかかるやろ」

「ベルさんにそれ言うと笑うよ?」

「親父の金銭感覚はおかしいからな……こんな楽な仕事に三千万円も出す間抜けがいたと、笑っていたから話を聞いたら、軍人が五十人は死ぬような仕事だった」

「ほんまか……」

「だが管理は俺だ。説得したいのなら、美里を落とせ」

「なんでお姉なん?」

「俺はまだよくわからん……」

「ああ、そないな理由なんね」

「これでも常識を覚えた方だが、それほど幅広い知識を得たわけではねえからな」

「どんくらいや」

「おおよそ一年だな」

「その前の話、聞いてもええ?」

「ん……料理ができるまで、時間がある。退屈な話だけどな」

「ゼーレ、配慮してね? あや乃は今まで、一般人だったんだから」

「……? それは、お前よりもか?」

「私よりも」

「また難しいことを言う。……そういえば、子供兵器の話も通じなかったな」

「うん。――でも、知っておいて損はないから、ちゃんとあや乃にも教えておくこと」

「そうだなあ。……妹になるなら、教えておくか。もう昔の話に感じるんだが――それは、美里のお陰か。あや乃、うちじゃ美里にだけは逆らわない方がいいぞ」

「そんなことないけどなあ……」

 親がいなくなるまでは、あや乃は学園付属寮で共同生活をしていた。里帰りのタイミングで両親を失ったことで、自分まで標的ターゲットにされた事実も、ベルから聞いている。

 どんな人物なのかは、まだよくわからないが、少なくとも友好的なのは確かで。

 死んだ人間を追う馬鹿は任せろと、そう言っていたベルの言葉も、まだ信じられないけれど。

 ここで生活する以上の選択を、あや乃は見つけられないでいる。だから、せめてそれまでは。

 まずはここに馴染んで、新しい生活を始めよう。



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