第49話 新しい弟ができた。いや、やってきた

 実際にゼーレが、学園や日本に馴染み始めたのは、美里みさととの出逢いからだ。

「食事は三食、肉と野菜とバランスよく。食べ物に好き嫌いは?」

「そんなものが出るほど食べていねえよ」

「そうだった……!」

 そういう会話をしていれば、どういうことだよと、笑いながら声をかけてくる人もいて、ゼーレも話す相手がそれなりに増えた。

 そして、美里がお家訪問をした時は、本当に何もない、しかも高級の部類に入るマンションのリビングで、がっくりと崩れ落ちていた。

「もったいない……!」

「掃除はしてる」

「そういうことじゃなくてね!? というか、本当なら必要なものが揃ってるはずなんだけどね!」

「……その必要が、俺にはよくわかんねえ」

「うん慣れた。あーもう……で、どうするゼーレ」

「なにがだ?」

「今のままで、ゼーレは生活できてるでしょ? このままで良いってのも、ゼーレの判断だと思うけど」

「見た目から作った方が良いだろうな」

「外側から入れば、自然と使うようにはなると思う」

「なら頼む。どうせ俺はよくわからん」

「どのラインにする? わからんなりに」

「あー、じゃあお前が暮らせるラインで頼む」

 意味深だなあと思いながら、吐息を一つ。そんな意図がないことはわかるが、極力反応しないように顔を上げる。

「えっと」

「なんだ?」

「……じゃあ、自室とリビングね? 部屋がいくつもあるけど、自室はどこにする?」

「自室……つまり、拠点か」

「生活のベースね」

「なるほどな。ちなみにお前の自室はどうなっている?」

「うちは実家だし、親もいるからあれだけど、自室には勉強をするために必要な机と、本棚と、ベッド、それからメインで使っている端末かな。それと着替えの服なんかも」

「服……」

「えっと、もしかして服もない?」

 制服のないVV-iP学園だが、ゼーレはほとんどスーツで過ごしている。以前、どうしてと聞いたら、そういうものだと聞かされたらしい。

「スーツ一式が三着くらいはあるが、基本的には下着だけで過ごしているな」

「ああうん、国外の人はそういうのあるよね」

「そうじゃないのか?」

「日本人は寝間着もあるし、そもそも下着姿では、あんまりうろつかないよ」

「……そんなものか」

「じゃあ次ね? 率直に言うけど、お金の問題がある。というか、ここのマンション、結構高い部類なのよね……」

 わかりやすいかどうかはともかく、実は上の方の階には今もなお、椿つばき青葉あおばが暮らしているし、かつてエミリオンが過ごしていたマンションなのである。二人はもちろん知らないが。

「ちょっと待て」

 ゼーレは携帯端末を取り出すと、タッチパネル形式のそれを耳に当てた。

「――よう、親父。生活感を出すために、家具? とかいうのを、揃えようとして、同級生に頼んでる。……あ? 女だよ、そこが重要か? ……そういうのはまた今度でいいだろ。資金の問題だ、おう、おう……ん、わかった」

 男の通話は、ほとんど用件だけで済むんだなあと思いながら聞いていれば、やはりすぐ通話を切られて。

「高いものを選び続けなければ、生活費には困らんくらいには、俺の口座に金が入ってるそうだ」

「そうだ、って……」

「基本的にカードしか使わないし、俺は金銭感覚が曖昧だ」

「そうだった、そうでした、はい、忘れてました。食事にも困らないし、趣味もないんじゃ、そもそもお金なんて使わないか」

「最低限で済むから、意識もしてない。ちょっと待ってろ、先月の明細があったはずだ……」

 何故かごみ入れを探り出した時には、文句や注意より先に額を押さえた美里だったが、実際に迷彩を見せられたら、座りこんでから、ごつんと壁に額をぶつけた。

「……奇行が多いな?」

「うっさい。目の前が暗くなったの」

 共通通貨単位のラミルだったが、日本円に換算すると、おおよそ四千万あったからだ。ちなみに現状だと、だいたい十分の一くらいがラミルになる。

「マンション買えるじゃん……」

「親父の金だ」

「そーだけど。まあいいや、ええと、どうしようかな。大きくは二つね」

「おう」

「通販で一式頼んで、来るのを待つ。もう一つは家具専門店に行って、自分で見て買う」

「俺なら後者だ」

「じゃあ行こう」

「ん」

 おそらく、まともな買い物はこれが初めてだった。専門店に行き、運搬まで店側に頼んで、さらには設置もしてくれる。

 サービスが良すぎだと、裏を疑っていたら、美里は呆れていたが。


 三ヶ月も生活していれば、家具の利便性にも慣れる。慣れていいのかと、そんな葛藤かっとうもあったが、それはさておき。

 どういうわけか、空き部屋が美里の部屋になっていて、普段とは違って泊まっていった日のことだ。


 家具を揃えたゼーレが読む本は、料理関係が多くなった。

 そもそも共通言語イングリッシュしかわからないゼーレでも、料理のレシピを学習していくうちに、日本語がだんだん読めてくる。手順や調味料などの共通点を見つけ、そこから学習を始めたのだ。

 何故か、夕食は美里と一緒に食べるのだが、繰り返されれば恒例になる。

 その日は泊まっていったので、朝食もゼーレが作った。パンとサラダを使った簡単なものを食べ終えて、さて学園へ、というその段階で。


 がちゃりと、玄関が開いた。


「――俺だ」

 第一声に対し、ゼーレは警戒を解いた。

「親父か」

「おう」

 何かをずるずると引きずってリビングに顔を見せたベルは、その荷物を空いているソファへ放り投げた。

「そろそろ五ヶ月目か? 問題は?」

「手伝ってもらってる、特にねえよ」

「だろうな。美里みさと、俺がベルだ」

「え、あ、はい」

「適当にしとけ、気にしない」

「ああうん、なんか、こんな若いとは思わなかったから」

「ほぼ同い年くらいなもんだ。本題は後にするとして――お前、電子戦関係は本気でやってんのか?」

「……というと?」

「仕事にするつもりか」

「ううん、それも選択肢のうちにはしてる。大学に進学してから、本格的に考えるつもり」

「どの程度だ?」

「ええと」

「お前、ここから一般領海グローバルネットにアクセスしただろ」

「なんかまずかった?」

「対策してねえから筒抜けなんだよ。独自ラインを構築してないから、アクセスした瞬間から網にかかってる」

「え、え、なにそれ!?」

「当たり前の方法だ、セキュリティの外側へ意識を向けろ。A級ライセンスは?」

「まだ……」

「まずはそこだ」

「まずは?」

「電子戦公式爵位が最低ラインだろ。選択肢なんて、多けりゃ多いほどいい」

「う、ぬ、本腰を入れるのかあ……」

「――AI」

 ベルはそう言いながらキッチン側のカウンターに背中を預けて、煙草に火を点ける。その動作だけで、勝手に換気扇が回り始めた。

『はい、主人様』

「最近はどうだ、忙しいか?」

『いえ、時間は余っています。れい様の来訪もありませんので』

「じゃあしばらく、美里に電子戦の基礎を教えてやれ」

『わかりました。モニターしていたので問題ありません』

「ん。――さて、ゼーレ。本題だ」

「この荷物か」

 立ったまま視線を落とせば、ソファに意識を失ったまま転がる少年がいる。

「お前の弟だ」

「あ?」

「スラムで仕事をした時に拾った。いわゆる下っ端だな、しかも使い捨て。本人は、なんてことを考えてるらしい。なんなら、お前の技術を教えてやれよ」

「殺しの技術なんか、教えてどうする」

「それもお前が教えてやれ。だがそれでもと意気込むなら、俺に連絡を入れろ」

「俺の就職はまだ先延ばしか……」

「仕事をして金が欲しいなら、そいつの世話で充分だろ」

「それだけ面倒ってことじゃねえか」

「わかってるならいい。――質問は?」

「はい」

「なんだ美里、言ってみろ」

「仕事歴とかを調べたんだけど」

「ああ、それな? お前は調べたつもりでいるが、うちのAIが調査に気付いて、ゼーレにも俺が許可を出してたから、それとなくお前に教えただけだぜ」

「――はい?」

「だから、調べたつもりで、俺の方から開示した情報だって話だ」

「う、うそぉ……」

「嘘言ってどうする。で、なんだ?」

「何を目指してるんだろうって」

「あ?」

「早足とも思えるランク上げって、本来は成立しないのに、それができるだけの実力もあって、その先にあるものはなんだろうって思ったから」

野雨のざめの管理狩人は未だ不在だろ、とりあえずそこに座るためにはランクBにはなっとかなきゃな。正式な弟子もいるし、隠居生活も悪くねえ。そのくらいの理由で充分だろ」

「あんたに弟子?」

「おう、そのうち接触があるだろ、挨拶はその時にしとけ。――じゃ、俺は行く。何かあるならまた連絡しろ」

「それはいいが、親父も来る時は連絡くらいしろよ」

「面倒なことを言うな。――ああ、そうだ、もう一つ。戦闘訓練がしたいなら、鈴ノ宮すずのみやに……美里が連絡した方がいいだろうな。俺の名前を出して場所を借りろ」

「はあい。まあ私だよね……」

「じゃあな、死ぬなよ」

「おう、親父もな」

 ベルが出ていってから、片付けをしようと立ち上がった美里は、どういうわけか煙草の吸殻が落ちていないことに気付く。換気扇も止まっていて、匂いもない――。

「で、起きてんだろ」

「……おう」

 言いながら、やや長い前髪を振って少年は上半身を起こした。

「随分と落ち着いたもんだな? 俺の知ってるガキは、まず睨みつけて、小さいプライドを守るみてえに、突っかかってきたもんだぜ?」

「そりゃあんた、ベルを前にして、そんな牙は折れるだろ……俺の所属してた組織、構成人数は二百を越えてたんだぜ? それが一晩? 冗談じゃねえよ」

「諦めたのか」

「それ以外の方法があるかよ」

「親父に何か説明は受けたか?」

「好きにしながら、学園へ行けって」

「ああ、じゃあ書類も後日か。俺はゼーレだ」

「私は美里みさとね」

「ネミエラだ」

「――殺し屋になりてえのか」

「あんたは……いや、ベルが親父なら、じゃあ、あんたは兄貴か」

「そうかもな」

「そっちは姉貴? ――まあいいや。俺はずっと下っ端で、嫌ってほど実力不足は思い知った。殺し屋にでもなりゃ安泰だとも思ってる」

「安泰が望みなら、誰かを守れるくらい鍛えて、それを仕事にするな」

「兄貴は殺しをしてたことがあるのか?」

「……少なくとも、殺し屋なんてのは長生きできん。百人いたら、一つ目の仕事で九十人は死ぬ。二度目の仕事で生き残れるのは二人だ」

「生き残れたやつの二人は、センスがあったのか?」

「――違うな。センスがあるやつは二度目で死ぬ。残れたのは、幸運ラッキーだったやつだ」

「なんだよそれ……」

暗殺代行者キルスペシャリストのタチバナじゃあるまいし、現実なんてそんなもんだ。場所の確保もできたし、やりたいなら教えてやる。俺もそろそろ薬が抜けたし、女を守るくらいはできねえとな」

「……姉貴を?」

「それ以外に誰がいるんだ」

「いや、あのう、そういうの照れるんだけど……?」

「クッソ羨ましいぜ」

「ああそう」

 そういう感情も当たり前なんだなと、ゼーレは頷くにとどめた。

「……ん? つまりネミエラも、ここで暮らすのか」

「そう言われてるけど」

「空き部屋だな。美里、あー……家具、ネミエラも連れてった方がいいのかこれは」

「うんまあ、親ぼくも兼ねて、一緒に行こうか。ネミエラは日本、初めてでしょ?」

「もちろんだ」

「……言っておくが、喧嘩を売ってトラブルを起こすなよ。ここは日本だ、今までの常識はいらん」

「売られなきゃ買わねえよ。それが致命傷になるって、ベル――親父も笑いながら言ってたし、マジなんだろ」

「らしいな。じゃあ行くか」

「金は?」

「親父から貰ってる」

 だが、こいつにはあまり渡さない方が良さそうだと、そう考えるくらいにはゼーレも生活に馴染んできた。


 鈴花すずはなの子。


 ベルが拾い、各地に散った人材は、そう呼ばれるようになる。

 その始まりはきっと、この三人だ。



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