第43話 九つの目を持つ赤色の魔術品
野雨の市街を走るうちに、イヅナは運転のコツを掴んでいた。
「感覚は、さすがだな」
「そうっスね。キツネさんはとにかく、理屈じゃないんすよ。だから俺も理屈や計算を捨てて、今は術式もなしに感覚のみでやってるっス」
「それが正解だな。俺やアブは
「いやあ、基本はほとんど、フェイ先輩が見てくれてるっスよ」
「あいつ、基礎を教えるの上手いだろ」
「そうなんすよ、まったく。
「だがあいつは、そこまでだ。それで充分だと思ってるふしもある――それ以外の状況では、法式を使って誤魔化すくせにな」
「そこらへんが、フェイ先輩の弱さっスか。あとはコンシス先輩にいたずらの方法を中心に教わって、残りはアブ先輩が経験させてくれる感じっス」
「上手くやってるわけか。問題は?」
「電子戦の腕試しにはベル先輩を頼れって言われたんすけど」
「あー……」
おそらく、エルムから渡されたレインという名の電子生命体の存在を、アブは捕まえたのだろう。好き勝手させているし、電子戦公式爵位は一番上に位置しているので、隠しきれるとも思っていないのだが。
あまりにも相手が悪すぎるだろう――と思うのは、ベルが現在の所有者だからか。
「ま、いい。ほどよい相手を探してやる」
「うっス」
そこだと言って、家の裏側に回って駐車する。車から降りて、玄関のほうへ。
「ここ、どこっスか?」
「脳内地図を参照してるだろ」
「またそうやって見透かしたことを言うんすから……まあ、してたっスけど」
「
「あー、それ、確かベル先輩が指示したとか何とか……」
「誰かに聞いたのか」
「アブ先輩が愚痴ってたんすよ。極端な動きは閃きだが、それが本人のものとは限らない、とか」
「なるほどな。ただ、実際には勘違いだ。そういう画策をしていたから、俺が手を貸して範囲を広げた。俺自身、鈴ノ宮には初期の頃に金を融通してもらってたからな。それなりに繋がりもある」
「金の融通って、なんかベル先輩のイメージにないっス」
「施設を出たばかり、これから横流しの仕事をしようって時に、手持ちがなしじゃベースも作れない。俺は野雨で動くと決めていたからな、初動を早くするためには借りるのが手っ取り早い」
「ああ、じゃあもう返したんすね」
「手元に資産があれば、増やす方法はいくらでもある。俺らの仕事は命を賭ける代わりに、そのぶんの金を得られるからな」
「命の代金なんて、考えたくないっスねえ……」
「笑いながら言ってんじゃねえよ」
「あははは」
事実ここは、元から鈴ノ宮の物件ではない。どちらかといえば
玄関を叩くと、侍女が出迎えた。二人はそのまま奥の書斎へ通される。
「あの、先輩」
「ん?」
「なにしに来たんすか?」
「ああ、目的か。そろそろ空洞の左目にも、中身を入れてやろうと思ってな」
その部屋は、壁という壁には天井まで本棚があり、そのほとんどが埋められている。脚立が置いてあるほどの高さから考えても数千冊はありそうな部屋の中、床に本を並べつつテーブルに腰を下ろして読み耽る男が一人いた。
無精髭に加えて市販の鋏で適当に切ったとしか思えない髪形。シャツとズボンの上に長い白衣を引っ掛けただけのシンプル過ぎる衣服もずぼらさを増長させながらも、どうしてか不潔な感じが一切無い。近づけばシャンプーの香りすら感じるほどの清潔感を持ちながらも、読み終えた本を律儀にも床に積んでテーブルに戻り新しい本を開く――どこかちぐはぐな格好と動作に、イヅナはただ厄介だなと思った。
「来たぞウェル」
言葉に、魔術師であるウェル・ラァウ・ウィルは反応する。
「……ん? おお、ああ、えっと……ベル、か?」
「他の誰に見える」
「子供が二人も迷い込んだのか……と、そうか、ベルか。確か義眼の……」
「おい、おいウェル、いいから本を置け。思考を俺に関連する筋に繋げろ」
「わかった、わかったから少し待て……僕は今、別の……」
すとんと再び本に視線が落ちた所でもう一度叩く。すぐに本を取り上げて横に閉じて置くと、更にベルは叩いた。
「繋がったか?」
「……ああ、うん、大丈夫だ。今は
「ウェル……その没頭すると他が見えなくなるの、どうにかしろ」
「僕の性格は、直らないよ……ええと、二人だ。そうだベル、そっちは、――新しい使用人とかいうオチじゃ、無いよな」
「イヅナだ」
「どもっス」
無難に、ぺこりと挨拶をするが、焦点は合っているようだが、見ていないように感じた。というか、イヅナはここで術式を作動させて、細かい調べてやろう、という気にならない。深みに足を踏み入れてしまうような気がするからだ。
「そうか。……そうか、何で僕は呼んだんだっけ……いやまずは義眼だ、義眼だ」
ふらふらと頭を揺らしながらぼやけた焦点を移動させていたウェルは、義眼という言葉を連発しつつ足をぶらぶら動かし――やがて、ベルが頭をまた叩くのを切欠にして床に下りると、腕を組んだ。
「よし、繋がった。義眼だベル――ところでベルはまだ来ていないのか? あいつの義眼なんだから本人がいないと」
「おい研究馬鹿、誰と今まで話してたと思ってる」
「馬鹿にするな、繋がったと言っただろう。ちゃんとベルと……ん? なんだベル、いるじゃないか」
「お前な……」
「で、そっちのは誰だ?」
「イヅナだ」
「……ど、どもっス」
先ほどと同じやり取りを繰り返す。どうやら本格的に――いや、研究者らしいといえばらしいが。
「そうだ僕が呼んだんだ。で、ベルの準備はいいのか?」
「いつでも」
「なら済ませよう、僕も……いや、僕はべつにいいか。しかし今何かをしていた気がするのだが――」
「気のせいだ」
「うん、そんな気もする。しかし――ええと、イヅナか、うん、なるほど、なかなか面白い手を使うんだなベルは。いや否定ではないよ、間違いではないとは言わないけれど、それが正解とも言えないからこその、一手だ」
そうとも、なんて言いながらウェルは片手をイヅナへ向け、避けよう、なんて意識が生まれないような隙間を縫って、その手が肩に触れた。
「方法は多くある。だが、認識されない事象は事象として成立しないことを逆手に取り、強い認識力を持つ者の存在を認めながらも、その人物が記録できない状況そのものを作り上げることで、認識を誤魔化す、あるいは逸らす。それがごくごく僅かな時間であってもそれは――違和としてすら、残らない」
触れられていることに気付いたイヅナが一歩下がれば、ウェルの手が一冊の魔術書を持っており――それが、己の躰から引き抜かれたという事実を認識したイヅナは、驚いたように目を丸くして、そのまま落とされる本を、両手で慌てて受け取った。
「済ませよう。
「これだ」
「ふうん……僕の術式に混ぜるのには、問題なさそうだ」
そうして、ウェルはテーブルの上の木箱を開けた。中には白い布に包まれた、紅色の、宝石のような何かがあって――。
「ベル、〝認識の錠〟を外せ」
「もうやった」
「うん、それでは〝
無数の術陣が、宝石を中心にして展開する。円形のそれは、宝石を一回り大きくするほど無数に重なり、ふわりと浮かぶと、その球形はベルの眼帯の上から、ずるりと、吸い込まれるようにして潜り込んだ。
左目を失って得た空白領域、それ以上の情報が脳内に詰まる。圧縮言語を利用しても、かなりの要領を食うが――それでも、空白の全てを埋め尽くすほどではなかった。元より空白を多く持っている性質が功を奏したかたちだ。
〝瞳〟を開けば、一気に九つの異なった視界が広がり、そこに己の視界が重なって、軽い酩酊を覚える。そこまで確認したベルは、瞳を閉じて――物理的にではない――やると、眼帯を外し、前髪を下ろして隠した。
「うん、生きているな」
「この程度で狂ったりはしない――おい、イヅナ」
「え、おおう、ういっス!」
「本を戻さないと、今のお前じゃ術式は一切使えないから、とっととやれ」
「はあ……そう言われても」
「難しいことじゃない。形跡を辿った限り、己の中で読むことはできていたのだから、それが本来の形で実体化したところで、大した差はないだろう。ただし、魔術書を使って術式を使っているような半人前では、その程度のことで術式が使えなくなるのはやむを得ないが、しかし、己の一部だったものを取り出されたのだから、それを元の位置に収納するだけのことだろう。僕だって、取り出した本は元の場所に――……うん」
「戻せよ」
「いや、位置はきちんと把握しているのだから、そこは些末な問題だ。そう言っているのに、どういうわけかガーネは怒る。よくわからん」
「お前の事情なんか知るか」
あれこれと迷っていたが、しばらくすると、イヅナは魔術書をどうにか、己の中に戻せたようだった。
「
「お前の古巣だろう」
「百年も前の話をしても、仕方ないだろう。サバを読んでも、だいたいそれくらいだ。一通り目を通したが、なに、なかなか良い着眼点をしていると思ったものだ。ただし、いかんせん実用性に欠ける。誰かが読むことを前提にしながらも、それを魔術書という形態で書いた意図そのものは否定しないが……ああ、思い出した。鏡面限界だ、そうだ、思い出した。そこから形而上に繋がる何かがあるのではと――」
そうとも、なんて言いながら再び本を開いたウェルを置き、二人は外へ。もちろん、侍女には一声かけておいた。
「あー……」
「なんだ?」
「いや、いろいろと疲れたんすけど、とりあえず、あの人は放置でいいんすか?」
「ああ、今の住居へは空輸になるが、侍女が頭を叩いて気絶させる算段でもしているはずだ。気にするな」
乱暴だ、とは思ったが、しかし、それはかなり良い手だとも思った。
「と、一応言っておくが、俺の左目を探るなよ」
「それ、
「さすがに知ってるか」
「
その魔術品は、九つの特性を持つ。元来は単一の特性にしか適合できないはずの、それ故に魔術品と呼ばれる理屈を完全に覆した作品の一つ。
それは、分析、封印、解法、解放、構築、拡大、減少、凝縮、呼応、因果の九つを担う。いや、扱うというべきか。
魔術分析、魔力封印、魔術解法、魔力解放、魔術構築、魔術拡大、魔力現象、魔力凝縮、魔力呼応、魔術因果――いずれにせよ、そのただ一つでも使用したのならば街一つが消し飛ぶほどの威力を持つとされる。また使用者には相応の負荷がかかることになり、扱えば死ぬとすら――言われている。
作成方法は、簡単だ。
一つの特性を持つ九人を集めて、その瞳を一つにしただけだから。
つまり今のベルは、十人分の視点を持つことになる。とてもじゃないが耐えられるわけもなく、だから、閉じているのだ。
――いや。
使うことはそれほど難しくはないと、ベルは直感的に道筋を立てているが、そこまで話してやる必要はない。
「そうだ。だから、探るとたぶん、お前の許容量を一気に越えて脳が壊死、すぐに廃人だ」
「こわっ!」
「安全装置は作っておけって話だ。それがきちんと作動するかどうかまで、俺は把握してない」
「うっス……」
二人は再び、車に乗る。
「しかし、対価とか必要なかったんすか?」
「わかっただろ」
「げ……あー、駄目だ、やっぱベル先輩相手じゃ誤魔化せないか。いやまあ、目の代わりにするってメリットは先輩のもので、相手にしてみれば先輩に預けるってことが、そもそもメリットになったんじゃないかとは、思ったんすけどね。ただ――」
「ただ?」
「ベル先輩を怖いと、そう思うのは」
果たして、どちらだろうかと、そう思ったのだ。
「このために目を潰したのか、それとも目を失ったから、こうしたのか――どっちなんすかねえ」
ベルは、苦笑するだけで答えなかった。
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