第20話 エグゼ・エミリオン

 空港から帰ってきて、手荷物はほとんどないものの、歩きつかれたのもあった公人きみひとは、いつもとは違う喫茶店にいた。

 普段からずっと、喫茶SnowLightを使っているわけでもない。たまには知り合いのいない喫茶店で落ち着きたい時もあるし、そもそも相手を気遣うような間柄でもない。


 ――だからだろう。

 やあと、いつものように彼女がやってきて、対面に腰を下ろしたのは。


「イギリスの屋敷はどうだい?」

「ん? いや、居住に問題はないし、置き場のない魔術書の類があるだけだ」

「有効利用できてるなら、何よりだ。さて、まずはコレをあげよう」

 それは、雪芽ゆきめに渡したものと同じ、ガラスの立方体の中に、ひし形の宝石が入っているような形をした、二センチ四方の箱だ。

「なんだこれ」

「ぼくが持っていた、ナイフを扱う戦闘技術の結晶さ。かつて青葉や狼牙ろうがに渡したものと同じだから、一晩もすれば知識だけは得られるぜ。ただし、こいつはあくまでも、技術だ。エミリオンがやろうとすれば、必ず齟齬そごがでる。ちゃんと馴染ませるんだよ」

「……受け取らない、という選択肢はあるか?」

「ないね」

「だろうよ」

 吐息を落として、それを右手で受け取れば、溶けるようにして消えた。

「ありがたく受け取っておく」

「うん、それでいい。代わり――というのはなんだか、ぼくとしては好ましくはないんだけど、頼みがあってさ」

「おう、なんでも」

「人形を一つ、手配して欲しい」

「それは構わないが、理由がないと作れないな」

「うん。……うん? ちょっと待ってくれ」

「なんだ?」

「理由を話すのは当然だけれど、いやねエミリオン、人形だよ? ぼくがあえて補足するのも変な感じだな、これは。そこらに売ってる人形じゃなくてね?」

人形師パペットブリードが作った素体だろ?」

「そうだけど……うん?」

「いや、お前知らないのか? 芹沢せりざわにいるぞ、人形師。しかも完全マエストロの称号を持ってる偏屈な野郎が。よく双海ふたみと口喧嘩してる」

「へえ、それは初耳だ。そうか、二つ返事だったから、どれほどの難易度か改めてぼくが説明する必要があると、そう思ったけれど、なるほどね」

「理由は? 人形師が納得できるか?」

「たぶんね。今、ぼくの存在は不安定だ」

「来た時の感じから、それは気付いた。つーか……東京がああなった時点で、消失するはずだったんだろ」

「雪芽がちょっと無茶をしてね」

「ふうん……あいつ、そういうとこあるよな」

「まったくだ。けれど、まあぼくはいずれ消えるよ。消えるけれど――残念ながら、誰かが巻き込まれる。その誰かっていうのも、青葉には言わなかったけれど、おそらくを持った誰かだ」

「何故そう言える?」

「君と出逢った時にぼくの口から出たからさ」

 最初の時に。

 と、そう言ったから。

「けれど巻き込むだけじゃ、申し訳ない。そこでだ、寝狐ねこの応用をしようと考えている」

「肉体を失っても生きている状態か」

「そう。だからぼくは、帰れる道筋を作りたい――が、そのためには前提条件がいるんだ。君は存在律レゾンを知っているかい?」

「人間を含めたあらゆる存在に、世界が名付けた番号みたいなものだ。複製はできず、同一のものは存在しない」

「そして、番号は管理されている。一応、ぼくにも存在律はあってね、そのぶんを人形に与えたいんだ。それは、現実世界において、存在を消されたその誰かが、戻るための空白を用意することになる」

「なるほど? 空席を一つ作っておいて、そこに戻れるよう手配するわけだ」

「その認識は合ってるよ。たぶん、ぼくが消えてから、次の世界崩壊――まあ、次も小規模で済むとは思うけど、その時には戻れるだろう」

「流れはわかったが、人形はどうする」

「この説明で、人形師は理解できるから、完成したものは保管庫に置いておけばそれでいいよ。そうすればいずれ、生命を得る。存在律っていうのは、まあ、そういうものだからね」

「お前の存在律レゾンだから、人形もまた声明を持った人間になる」

「うん。……それもまた、申し訳ないけれどね」

「選ぶのは当事者だ」

「わかってるよ」

 それでも、考えてしまうのだ。

「結局、ぼくは利用した。彼らの代償そのものを、強引に押し付けられた魔法師としての負担――狼牙は、旅を続けることを強要され、雪芽は記録を義務付けられ、青葉はただ、その時を待ち続けるしかない」

「知ってる。青葉が言ってたな、本来ならそれは押し付けられただけだったが、お前がそれを価値にしたと」

「青葉は良い言葉を選びすぎだぜ。だってその価値を、本人は受け取っちゃいない」

 青葉はその魔法そのものを、理解はできただろう。

 狼牙は旅をする以外のことも、ある程度はできるようになった。

 雪芽は記すことを自動化することで、誤魔化しを得た。

 けれどそんなもの、副次的なものでしかない。もっと言えば、彼女が手を貸さなくても、いつかだろう。

 だったら?

 彼女はその価値を、本来は行動に対する価値として発生する対価を、――利用したのだ。

 歯車を止めるために。

「で、実際にはどうなんだ?」

「歯車は、止まったよ。けれど、君ならどうする?」

「どうする? 止まった部分を外して、新しく作るか、ほかの部分だけで回すだろうな」

「だから、次はある」

鷺ノ宮さぎのみやだな」

「どれくらい引き延ばせるかは、わからない。わからないけれどエミリオン、君が命を落とした時、くさびとして打ち込んだ君の刃物が壊れる」

 壊れれば。

 歯車は回りだす。

「その時は、――すぐではないにせよ、完全に世界は崩壊するだろうね」

「延命措置は必要だ。いずれ解決方法も思い浮かぶ」

「今よりは、マシになるだろうね。そうあって欲しいと願うよ」

「俺も、それを願う。……まあ、願うしかないが」

「はは、君たちはもうぼくが使ったようなものだからね、どうにかしてくれと言うのはお門違いってやつさ」

「悔いはあるぜ? 俺はまだ、法則を切断する刃物を造れてない……」

「いやエミリオン、それは当然だろう? 三十年を費やしたって、そいつは早いぜ。むしろ二番目を完成させて、三番目に着手している時点で、君の速度はちょっとおかしいよ」

「そうか? まあ、そうかもな……」

 いずれにせよ。

 造ることは変わらないが、――間に合わなかったのだ。

「ま、それはいいとして、その手荷物はなんだ」

「どうしようか困っている資産さ。野雨内に屋敷の建築もしててね」

「――あれか」

 かなりの広い敷地面積に、基礎を打っていたのを見たことがある。

「俺が受け取ってもどうしようもねえだろ」

「だから、君から誰かに渡してくれと、そう頼むつもりだったんだ」

「……時間、まだあるのか?」

「うん、まだ多少はね」

鷺ノ宮さぎのみや経由で、ジニーから連絡がきた。〝世界〟を背負ったのは、鈴ノ宮すずのみやの娘だ」

「へえ……ああうん、覚えてるよ。確か鷺ノ宮の娘とそう変わらない子だったね。ふうん……」

「おそらく気付いていると言っていた」

「というと?」

「鈴ノ宮って家名が、東京の件でどう利用されて、終えたのかを」

「なるほどねえ。うん、じゃあ、どうだいエミリオン、ちょっと逢いに行ってみないかい?」

「いいぜ。鈴ノ宮の邸宅にいないことを祈りながらな」

「はは、まったくだ」

「――最後だ、そして最期だネイムレス」

「うん?」

「せめて俺くらいには、お前が誰かに渡した、かつての名前を教えろ」

「……ははは、今のぼくにとってはまさしく、他人の名前でしかないし、どうしたって自分のものとは感じられないんだけど、まあ、しょうがないか」

 席を立ち、彼女は。

 どこか仕方なさそうな笑いを浮かべて。

「ぼくの名前はね――」

 彼女は言う。

 だから。

「そうか」

 ただ一言、用意しておいた言葉を、公人は口にした。



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