第17話
しばらくの間身動き一つしなかったフィオはいつしか顔を上げる。
「……ここにはこう書かれていました。『我らが主君の帰還を待つ』と」
虚空を見て、見えない何かをなぞるようにゆっくりと手を動かす。優しく、されど今はなき大切な何かを悼むかのように。
「なにか、手がかりになりそうですか? シドー」
フィオの言葉を皮きりに、その言葉の意味について考えを巡らす。
一見普段のフィオに戻ったようで、本人も意識しているのだろう。たとえそれが、無理をしての事だとしても。
「墓が主君の帰還を待つなんてのは、随分と物騒じゃないか。……死を望む? 主君の? 何か恨みでも……いや、だが助けてもらった恩のある相手に?」
そんなはずはない。
間違いなく当時この村に住む者達はクルツバッハ伯爵に恩を感じていたはずだし、そのお陰で魔女狩りから逃れた。
ここでクルツバッハ伯爵に関わる何かを持って来て、身内という事を証明する? だが、破壊された跡を見る限りでは鍵穴に該当する窪みはない。
そこまで露骨なら、敵もその可能性に気付くはずだ。
それに、もし地下に何かが隠されていたのなら、掘り起こされた跡から既に見つかっていただろう。……ここじゃないのだ。ヒントではあるが、それを解くためのボタンを掛け間違えている。
「ああ、クソ! これだから馬鹿や金持ちは嫌いなんだ。力任せの人海戦術でなんとかなると思ってゴリ押ししやがる。もっと人にも歴史にも敬意を払いやがれっての」
まったくもって、スマートじゃない。
そのくせ、力任せでどうにもならなかったから今更慌てているのだろう。
謎を読み解こうにも、物が壊されているからか情報が足りない。場合によっては言葉だけでなく、装飾や絵などがヒントになっていたりもする事もあるのだが。
何か、鍵が足りていないのだ。
だが、その鍵の可能性が最も高い物はバラバラの破片に成り変わっている。復元するにはかなりの時間を要するだろうし、そんな時間もない。
「……フィオ。この碑文に何か不自然な窪みがあったりだとか、他に伝承の類、或いは村と墓地以外に何か人工物はないか?」
「少なくとも私は知りません。今まで意識していなかったせいもあるかもしれませんが……」
「そうか……」
やはり、先の一文を解く必要がある。
ヒントがそれしかないのなら、仮定に仮定を重ねてでもやるしかない。
「ロード……主君……クルツバッハ伯爵家の紋章は……しかし……」
持ち得る知識を総動員し、この場に必要な物を引っ張りだす。
その中でも今回の件で密接に関わっているのはキリストと魔女、そしてクルツバッハ家だ。その関係性を正しく理解する事が、今回の謎解きで重要な要素となるだろう。
「…………待て、違う。……そうだ、魔女はキリスト教に恨みを抱いた。
であれば御子であるキリストに関連する事?
だが——
「都合良くそれを証明するための物を持ち歩く? クルツバッハ伯爵に関わる物ならまだしも、この村に関わる人間が、キリストに関する物なんて持っていたとは思えない」
まして、キリスト教に関わる人間の持つ物を鍵にするとは尚の事ありえない。
鍵になるような物を持ち歩く。
日常的に持つ物を鍵とするには、あまりにも不適格だ。
十字架だって、当時は個人的で作った物も多い。
数少ない特定の限られた人間が持つからこそ、大切な場所を守る鍵足り得るのだ。
何かが足りない。
やはり、未だピースが欠けている。
「…………ここじゃないな。どこか他の……?」
その時、何かが頭の隅で引っかかった。
違和感がある。と言うよりずっと、ここを見た時から何かが引っ掛かっていた。この壊された石碑は、ヒントではあれども鍵ではない。ならば鍵は別の場所にある。
遠くの場所なら、そこを示すヒントがなければおかしい。
つまりここに、或いは村にあるはずなのだ。
いや、違う。
間違いなく、ここにある。
「――――まさかっ!」
思い当たった瞬間、手当たり次第に墓を見て回る。
一つずつ注意深く見て、違和感の正体を探った。この墓地を見た時に抱いた疑問。墓の様式がバラバラで、あからさまに不自然だった。だが、それら全てがフェイクなのだとしたら。
実際に墓であり、木を隠すための森でありながら、しかし探している木ではないと証明するための差をつけているのだとしたら。
『我らが主君の帰還を待つ』という言葉に従えば、石碑とその周辺の墓を探るだろう。だが、そこを
それは気付いた今だからこそ分かる、あからさまな引っ掛け。つまり、キリストの墓、キリスト教を示す墓が答えに繋がる。そして予想通り、点在したキリスト教様式の墓は四ヶ所。
数百はある墓の中で、存在したのはたった四ヶ所だけなのだ。
それも全てが石碑と同年代の墓で、その四つだけこれみよがしに十字が彫られている。その四つの墓を入念に調べても、何もない。
ならばと更に視点を変える。
脳内で図に起こし、点在していた墓を記入する。それを線で結べば、そこには確かな十字が出来上がった。つまりこの交差点、十字の交わる場所に何かあるのだ!
「分かったぞ! 答えは――」
早歩きでその場に向かい、目印になる墓の位置を目で見て確認し、微調整する。
「――ここだ!」
そこにある墓も、別段珍しい物ではない。
十字など彫られていないし、伯爵家の家紋もない。
だけど、他と同じく同年代の石で出来ており、生没年こそ刻まれていなかったが、確かな名前が刻まれていた。『シャダイ』の名が。
一見すれば、ただの人名だ。
だがこれは全能を表す言葉で、キリストや求める宝にも通じる。
これで、確定したも同然だった。
念の為に墓を調べるが、見た目通り特にこれといったギミックはない。
こういった場合、墓の下に目当ての物がある。
「さて、ここから重労働だな」
墓を掘る際に使用したスコップで、今度はここを掘る。
それから少ししてようやく、ガキンという鈍い音がした。
周りの土をどけた後で出てきたのは、一メートル四方の石で出来た蓋だ。
「……ははっ。見ろ、ビンゴだ!」
「さすがね」
「本当にあったんですね……」
クレアはさして驚いた風もないが、逆にフィオは驚きが表情に出ている。
目を見開いて呆然とした様は、本当に自分の村に秘密があったとは思ってもみなかったという事だろう。
出てきた石の取っ手を掴んで必死に持ち上げると、下へと続く梯子が顔を覗かせる。
だがそれはとっくの昔に腐っており、途中で途切れていた。残った部分でさえ、フィオの体重すら支えきれるとは思えない。
「底はどうかなっと」
持っていた懐中電灯で下を照らすと、床はそう遠くない。
「三メートルちょいってとこか……」
降りられない高さではないし、登れない高さでもない。
それでもすぐに降りる真似はしない。
「…………行かないのですか?」
すぐに行動に移さない俺に、フィオは訝しげに尋ねる。
だが、些細な油断さえ命取りになりうる事を知っている身としては、迂闊な真似など出来ないのだ。
「たまにあるんだよ。入口を狭くしておいて、降りた瞬間に作動する罠がな。だから今、こうして安全な場所から罠の可能性がないかどうか探ってるのさ」
「……え?」
フィオも真顔になって、思わずといった
その気持ちは良く分かるが、本当にそんな手の込んだ性質の悪い罠も中にはあるのだ。
「まあ見た感じ、ここは大丈夫そうだな。とりあえず俺一人で行ってみるから、フィオはここでクレアと待ってろ」
「…………あの。もしよければ、私も行ってみて良いでしょうか?」
「ああ……」
跳び下りようとした所で所在なさげに、遠慮しながら掛けられた声。
それがまるで迷子のようで、思わず承諾してしまった。
さすがに、一度承諾してしまえば危険だからやっぱなしとは言えない。
「ただし、俺が先頭だ。ちゃんと指示は聞けよ?」
「勿論です。ただし、馬鹿な事を言い始めたら言う事を聞きませんのでそのつもりで」
「へいへいっと」
飛び降りた瞬間に身構えるも、判断通り何もない。
その場から懐中電灯で照らし、室内を確認する。部屋は五メートル四方ほどで、あと少し天井が低ければかがまねばならなかっただろう。
そんな中、この部屋で強く目を引いたのは中央にある棺だ。
棺を開けた途端に罠が作動する可能性もなくはないが、見た限り室内にはそれ以外の罠の可能性はなさそうだ。
「フィオ、降りてきていいぞ」
受け止めようと思って見上げれば、そこから覗くのは白く細い足に淡い水色の下着だ。
「…………」
そう言えば、今回は密林などに行くわけではないため、単なる同行者であるフィオの装備にはそれほど気を遣わなかった。だから街中と同じワンピース姿のままだ。
今まで同行者など数えるほどしかいた事がなかったし、何より皆、探索に適した動きやすい格好なのだ。
全員がズボンばかりで、スカートを穿いた者などいなかったから完全に油断していた。
別にロリコンというわけでも、まして子供の下着を見たからといって特別嬉しいわけでもないが、一紳士として大変な申し訳なさを感じる。
……うん、俺は何も見ていない。
そういう事にしておこう。
動揺を悟られないよう不動のまま、何も気付いてません見てませんという体(てい)で手を差し出す――
「…………」
「…………」
「…………変態」
「ちょ、待て、違う! 俺は下心なんて欠片も持ちあわせていない。これは単なる不幸な偶然だ!」
――のだが、この聡い少女はあっさりと勘付いた。
隠すどころか敢えて堂々とその場に佇みながら目を細める。軽蔑したと言わんばかりの、底冷えする視線が突き刺さった。そして直後、
「うがっ!?」
フィオがその場から跳んだ直後、顔面に衝撃が走る。
一瞬だけ近づいた下着だが、その後ブーツが見事に顔の中心へめり込んだ。そしてとん、とフィオが静かな着地を見せた。
「やっぱりロリコンでしたか」
「待て! 今のは
「士道、今のあなたが言っても説得力ないわよ?」
いつの間にか降りてきたクレアまで敵になったようだ。
表情は薄い笑みを湛えているが、目が笑っていない。
背筋が寒くなる類の笑顔だ。
「普通、そういう時は顔を逸らすのが礼儀なのに、まじまじと見てたものね?」
フィオと同じくらいの凍てつく視線だ。
これ以上反論すると、オーバーキルも辞さないくらい何倍にもなって返ってくる予感がする。
認めるわけではないが、さすがのこの二人の本気とやり合えるほど口は達者じゃない。
更には一切の配慮を欠いた容赦ない口撃を受けとめるだけの精神的な強さなど、持ち合わせていなかった。
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