勇気と博愛
こんにちは。
何年か前にあった話をします。
その日、あと一か月で三歳になろうかという娘を遊ばせに、屋内の子供広場に連れてきていました。
最初、娘はいろんなおもちゃを手に取って遊んでいたのですが段々動きが鈍くなり、少し疲れているように見えました。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
そう言って娘の手に触れると、ものすごい熱さでした。
うちの娘はよく高熱を出して寝込み、一日寝るとケロッと治るような
娘は自分で着替えができるようになっていて、高熱がある中で一生懸命にパジャマのズボンを穿いていました。
その時、小さな手がぶるぶる震えていました。それはついぞなかったことで、仕事から帰って来たばかりの家人はそれを見て可哀想で胸が痛んだといいます。なのに、私は娘を早く寝かしつけたくてがんばれがんばれと言うだけでした。今思えば、自分を殴りたくなります。
それから、娘を布団に入れ、添い寝して少し歌を歌っていたときのことです。
急に娘が大声で歌い始めました。
新生児のときからよく歌ってやっていた「ゆりかごのうた」でした。
ゆりかごのうたを繰り返し歌いながら、ガタガタと全身を痙攣させていました。
名前を読んでもあらぬ方を見て、焦点が合っていません。
ただ事でないという感じが、鈍い私にも伝わりました。
子どもの熱痙攣は、救急車を読んだり夜間病院に連れて行くほどのことではないと言う人もいますが、娘は熱痙攣を起こしたことは一度もありませんでした。
それに、世間話で聞いた近所のお子さんの熱痙攣の話とは何か違う気がしました。
私は跳ね起きて、風呂に入っていた家人に言いました。
「ねえ、すぐ車出して病院に連れて行って。痙攣してる」
叫びたかったのですが、恐くて小声しか出ませんでした。
家人もすぐに風呂から出て、指定救急病院はすっ飛ばして車で50秒の場所にあった第三次医療機関に直に連れて行きました。
処置室に娘は入れられ、私たちは待合の椅子にずっと座って待っていました。
誰かとのけんかで刺された酔っ払いが血をぼたぼた垂らしながら自力でやってきたとき以外はとても静かでした。
一時間ほど経った頃、私たちは娘がストレッチャーで点滴を受けながら運び出されてくるのを目にしました。
お医者さんに促されて、私たちはその後をおろおろとついていきました。
娘はICUに移され、そこで私たちは詳しい説明を受けました。
診断は、急性脳症。
現在、治療法はないこと。
副作用が出るけれど、大量のステロイドを点滴するステロイドパルス療法くらいしか手立てがないこと。
死ぬのも、障がいが残るのも、治るのも、運を天に任せるしかないこと。
ステロイドパルス療法を施すには家族の了承が必要だったので、本当に藁にもすがる思いでお願いしました。
そして、お医者さんは言いました。
「こういうときに本当に心苦しいのですが、規則なので伺います。もし、お嬢さんが亡くなられたり、脳死状態になられたときは臓器提供に同意していただけますか?」
私は怖くなって家人を見ました。
家人はかなり合理的なものの見方をする人間です。
まさかYESと言うのでは、と思うと、倒れそうでした。
ぬくもりが残る、いやぬくもりが抜けてしまっても、私が産んで、育てた娘から臓器を抜くなんて考えられませんでした。
家人はお医者さんに言いました。
「いいえ、同意はできません」
言った後に私を見て、いいよね?と小声で聞きました。私は涙をぼろぼろこぼしながら何度もうなずきました。
子どものドナーは希少で貴重で、病気で苦しんでいる子どもたちもその親御さんたちも心から待ち望んでいるのはわかっていましたが、どうしても同意はできませんでした。
ステロイドパルスの点滴がはじまりました。
お医者さんや看護師さんが詰所へ戻っていくと、眠っている娘のベッドに家人がつっぷして、声をあげて、泣きはじめました。
「俺がかわりに死ぬのに……かわりに死ぬのに!」
私は、お腹に二人目の娘がいたので、かわりに死ぬとは言えませんでした。
自分が薄情な母親に思えてしょうがなくて、ただ泣いていました。
娘は、脳の細胞が一部壊れたことを示す血中物質の数値が上がりましたが、一か月後にはなんとか熱も下がり障がいも出ずに退院できました。
私たちの親も、友人たちも、同僚も、ご近所さんもみんな祈ってくれました。
本当にありがたいことです。
娘は多くの人に祈られ、果報者です。
幼くして重病を患う子は神様に愛され試練を賜った存在であるということも耳にしますから、きっと娘はそうなのでしょう。
今、彼女はリビングで、宿題に四苦八苦しています。クラスでも成績がいい方で、素直で呑気な子に育っています。私の子とは思えないくらいいい子です。
娘はニュースや政府広報のCMを見て、臓器提供について私に聞いてきます。
私は知っている限りのことを伝えています。
そのことにまつわる人の心の動きもです。
愛する家族がもう目を覚まさないということがわかったとき、臓器を提供すると決断することがどれほど苦しいことか。
もし本人が同意していたとしても、その死と身体の一部の切除を速やかに受け容れることがどれくらい難しいか。
それを乗り越えた方々の勇気ある決断がどれほど尊いか。
そして、もし自身や家族が臓器移植が必要になったら、やはり死に物狂いでドナーが現れるよう祈るだろうという自分の身勝手さも。
これはおそろしい体験があって、私が生々しく感じたことで、多くの方に考えてほしい問題でもあります。
私たちが持ち得なかった勇気と博愛について、私は死ぬまでいろいろと考えると思います。
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