第85話 祭囃子の音色
夏休みの昼下がり、天気にも恵まれた雲一つない晴天の下で太鼓や笛による祭囃子の音音が鳴り響く。
今日は市内にある神社で夏祭りが行われているのだ。参道は出店からの活気に満ちた呼び声やりんご飴やイカ焼きなど食欲をそそる匂いに誘われて、浴衣姿の子ども達や孫を連れた老夫婦達で賑わっていた。
鳥居の近くでは肩出しのトップスにショートパンツを合わせた動きやすいラフな出で立ちの玲菜がいた。誰かを待っているのか、少しでも手持ち無沙汰を紛らわすようにスマートフォンを弄って時間を潰しているようだ。
「お待たせー、玲菜ちゃん」
「おっ、来た来た」
程なくして玲菜に声がかけられる。
自分に駆け寄ってくる足音に気づいて顔を上げれば、そこには涼やかでカジュアルな服装の美奈がいた。夏祭りに負けぬ明るく華やかな笑みを浮かべて、こちらに向かってくる美奈に玲菜も感化されたように微笑を浮かべながら彼女を迎える
「いやぁっそれにしても暑いよねー……。溶けちゃいそうだよ」
「36℃だっけ。正直、帰りたくなってきた……。美奈も水分補給はちゃんとするんだよ?」
今日はまさに夏らしい炎天下の猛暑日。
ここ最近のニュースでは熱中症患者の話題をよく聞くほどだ。
じりじりと照りつく日光はまさにうだるような暑さでなにもしていなくてもじんわりと汗が浮かんでくる。汗を拭いながら、せめて少しでも気を紛らわせようとパタパタと団扇代わりにハンカチを振っている美奈を気遣い、玲菜もけだるそうに力のない声で水分補給をするように注意すると、美奈ははーい、と子供のように答えていた。
「そう言えば未希ちゃんは?」
「さあ? そろそろ来るんじゃない?」
ふと美奈は賑う周囲を見渡しながら、この場にはいない未希について尋ねる。
今日、美奈と玲菜がこの夏祭りに訪れたのは、未希に誘われたからだ。
集合時間を過ぎたにも拘らず、そんな当人がいない為、夏祭りの会場を前に待ちかねている状況だ。玲菜も未希にはまだ会っていない為、首を傾げながらも彼女に連絡しようと手に持ったスマートフォンを起動しようとした時であった。
「ごっめーん、おまたせーっ!!」
その時であった。
聞き覚えのある特徴的な舌足らずな声が聞こえてくる。
どうやら未希が到着したようだ。
二人は声の方向に顔を向ければ、慌てて来たようで僅かに汗をかきながら色鮮やかで華やかな浴衣姿の未希が手を振りながら、こちらに向かってきていた。
「未希ちゃん、浴衣なんだね。すっごい可愛いよっ」
「えへへ、綺麗に着ようとしたら手間取っちゃって……」
合流してきた未希の可愛らしい浴衣姿についつい頬が緩んでしまうのを感じながら美奈はハンカチで汗ばんだ未希の頬をふわっと優しく当て込むように拭う。
汗を拭ったばかりだと言うのに美奈に褒められたこともあってか、ほんのりと頬を赤らめながら未希は照れ臭そうにはにかんでいた。
合流してからの会話もそこそこに美奈達は漸く賑う参道に足を踏み入れる。
社前では、祭囃子の音色に乗って勇壮に舞い踊る三匹の獅子舞が祭礼として行われ、観客の目を引くほどの華やかさを見せるなか、立ち並ぶ多くの出店に美奈達も会話を弾ませて祭りを楽しんでいた。
「あっ、クマちゃん当たった!」
「良かったね未希ちゃん。私はお菓子だったよ」
特に美奈達の中で一番、夏祭りを楽しんでいたのは未希であった。
購入したお面を頭の横につけては、今もくじ引きをして小さな熊のぬいぐるみを当てており喜んでいた。店主からぬいぐるみを受け取りながら、一緒にくじを引いた美奈に嬉しそうに報告している未希のその幼い子供のような無邪気な姿に何となく未希に付き合ってくじを引いた美奈も癒されているようで和んでいた。
「玲菜ちゃんはやらないの?」
「くじはねぇ……。正直、なに当たるかも分からないし、この中から欲しいものは自分で買うかな」
くじ引き屋台の店主と和気藹々と会話をしている未希の後姿を見ながら、美奈は後ろで見ていた玲菜に尋ねる。玲菜は出店の食べ物は食べてはいるものの未希とは違い、あまりくじ引きや型抜きには一切、目をくれていないのだ。
美奈の問いかけに玲菜は娯楽型の出店には大した興味は惹かれないのか、くじ引きの景品を見て微妙そうに首を傾げていた。
「未希の反応を見る分には悪くないんだけどね。私、どっちかって言うとゲームは後ろから見てるタイプだし」
「あー……確かに未希ちゃんは見てて、飽きないもんね」
例え自分でやらなくとも、率先して様々な出店を楽しんでいる未希の姿を見る分にはそれで満足らしい。
未希は言ってしまえば、何事に対しても純粋で見るものによってコロコロと反応が変わる。確かにそんな未希の姿は一緒にいて、飽きることはなく玲菜の言葉に美奈はうんうんと頷いていた。美奈と玲菜がそんな話に気づかず、店主との話を終えた未希はそのまま二人を連れて、別の射的の屋台へ移る。
「ふふん、ひゃっぱつひゃくちゅーだよっ!」
美奈と玲菜が後ろで見守るなか、コルク銃を受け取った未希は自信ありげに鼻を鳴らしながら、景品を見渡して肩越しにコルク銃を担いで構え始める。
「私、射的で景品を当てても倒せたことないんだよね」
「あー……未希はそれ以前にね……」
ふと射的の屋台を前に美奈は自身の思い出を苦笑交じりに話すと、玲菜は頬を引き攣らせながら、射的に興じている未希の後姿を見やる。
「みゃあああぁぁぁぁぁっっ!!!?」
「掠りもしないんだよね」
「も、もう一回! あのキレイな並びをフッ飛ばしてやるんだよ!」
未希が放ったコルクは悉く彼女が狙う景品が外れて、見当違いの方向に飛んで行ってしまっている。
あまりの状況に頭を抱えて、悲鳴をあげている未希の後姿を見て、やはりこうなったかと何とも言えない微妙そうな顔で苦笑していた。
そんな玲菜を他所に一発も当たらなかった状況に引くに引き下がれないのか、悔しそうに陳列された景品を見やりながら近くの店主に追加のコルク弾を頼んでいた。
「止めときなって。どうせ今年も惨敗するだけだよ?」
「射的もくじも夏祭りぐらいでしかやらないんだよ! そんな機会をみすみす逃すなんて夏祭りをぐろーしてるんだよっ!!」
「この夏祭りガチ勢は……」
結果は分かりきっているのか、玲菜は引き下がろうとしない未希に呆れながら窘めようとするのだが、未希はコルク銃を胸に抱いてブンブンとツインテールを揺らしながら首を横に振り、玲菜の注意を受け付けようとしない。
負けず嫌いと言うべきか、あまりの未希の姿を前に流石の玲菜も嘆息せざるえなかった。
鼻息を激しくして息巻く未希を他所に新たに客の一人が店主に声をかけて、コルク銃を受け取ると瞬く間に狙った景品を落としたではないか。
「啓基君、やりましたっ」
「やっぱり凄いね、綾乃は……」
店主から獲得した景品を受け取ったのは綾乃であった。
清純かつ涼やかな印象を受けるワンピース姿の綾乃は後ろで様子を見ていた啓基に穏やかながら溢れる高揚さが表れた微笑を見せている。そんな一輪の花のような美しく可憐な綾乃が弓道部に所属しているのもあって、ただただ難なく景品を獲得したことに純粋に感心していた。
「って、綾乃ちゃんにケーキ!?」
「あれ、美奈達も来てたんだ」
人混みの中、カップル特有の甘い空間を形成しつつある啓基と綾乃に漸く気づいた美奈は声を上げる。
今の美奈の声で啓基達も気づいたのだろう、まさかこの場で美奈達と出くわすとは思っていなかった啓基は急なこともあり、驚いていた。
「確かに二人はここに来てても不思議じゃないよね」
「夏祭りデートかぁ」
啓基と綾乃の二人組に玲菜も二人が無自覚に出すたっぷりのクリームが乗った洋菓子のような甘々な雰囲気に当てられて、やれやれと言わんばかりに肩を竦めているとその隣で美奈も自分と沙耶のことでも考えていたのか、どこか羨ましそうに恍惚として我を忘れていた。
「ところで美奈さん」
すると綾乃はそんなうっとりと惚けている美奈にズイッと詰め寄る。
あまりに突然の綾乃の行動にうぇ?と間の抜けた声を出している美奈の両手を掴むと……。
「二人で遊びに行くと約束した筈ですけど、いつになったら予定が空きそうですか?」
「え……? あっ」
「私、社交辞令のつもりで言ったわけじゃないんですよ? まさか忘れてたとか……」
綾乃の問いかけに、記憶を遡らせる美奈は啓基と和葉に料理を教えたあの日のことを思い出す。
確かにあの日、綾乃とそのような約束をした記憶がある。
あの後、海へ行ったり、沙耶のことがあったりと完全に頭の中から抜け落ちていたのだ。決して暑さのせいではないダラダラとした汗を流す美奈に穏やかな口調に反して目が笑っていない綾乃は顔を近づける。
「あははっ、い、嫌だな……。わ、忘れるなんて──」
「嘘は嫌いですよ」
「ごめんなさい……」
そんな綾乃から精一杯、目どころか顔を逸らしながら上擦った声を上げる美奈だが、スパッとした綾乃の物言いに瞬時に萎縮しながら素直に謝っていた。
「こ、今度の空いてる時に必ず! そ、そうだ! 綾乃ちゃん、この日はどうでしょうか!?」
「この日は……」
これ以上、下手に綾乃を刺激しないようにと自身のスマートフォンのスケジュールを開いて、日にちを決めようとする美奈だが緊張のあまり最後は畏まっていた。
「これで美奈さんと遊ぶことが出来るんですね。楽しみです」
結局、今この瞬間に美奈と綾乃は二人で遊びに行く日にちを決めた。
頬に手を押さえて、その日を楽しみにしている綾乃に美奈はプルプルと薄ら涙目で震えている。しかしこればっかりは何とも言えないため、啓基と玲菜は二人のやり取りに苦笑する以外できなかった。
・・・
「うぇぇっ……今年も負けたんだよ……」
「はいはい、未希は今度から輪投げ辺りにしておこうねー」
啓基達との会話もそこそこに別れた美奈達は日差しの少ない大樹の下に移動して休憩をしていた。
綾乃とは対照的に結局、景品を獲得できなかった未希は購入した鮮やかなイチゴシロップがかかったカキ氷を両手に持って、射的の成果に悔しそうに唸っていた。玲菜からしてみれば毎年のことなのか、非常に慣れた様子で唸っている未希の頭を撫でていた。
「そう言えば、美奈は良かったの?」
「なにが?」
「いや葉山君達を見てて思ったんだけど、沙耶と来なくて良かったのかなって」
未希を慰めつつ、ふと玲菜は隣で涼んでいる美奈に尋ねる。
いきなりのことで何のことか聞き返す美奈に玲菜は沙耶の名を出したのだ。
啓基達を見て、惚けている姿から疑問に思ったのだろう。
最も美奈は別の日に沙耶と夏祭りを周る約束をしているのだが。
「……ん、大丈夫。沙耶ちゃんとはまた改めて来る予定だし」
その旨を話す美奈の表情にどこか陰が差す。
それはやはりハッキリと沙耶の名前を出されたこともあって、先日の沙耶の件も一緒に思い出したからであろう。
「……なにかあった?」
「……ちょっとね。私はどうすれば良いのかなって」
そんな美奈の変化を見逃さず彼女を気遣う玲菜に美奈は簡単に話して良いのかも分からず、困ったような笑みを浮かべて、誤魔化そうとしていた。
「別に全部じゃなくても良いから話してみれば?」
「えっ?」
「美奈のことだから沙耶に会っても、そんな顔しちゃうでしょ? なら話せる事だけ話して、その分、相談に乗るよ」
すると玲菜は大樹に身を預けながら美奈に提案する。
沙耶の名前を出しただけでこの反応だったのだ。
少なくともいざ沙耶と夏祭りを巡ったところで顔に出やすい美奈のことだ、微妙な空気になるのは目に見えている。ならば少しでも彼女の肩の荷を降ろそうと玲菜は彼女なりに相談役を買って出ようとしているのだ。
それは玲菜だけではない。
話を聞いていたのだろう、未希も玲菜の隣からひょっこり顔を出して大丈夫だと言わんばかりに微笑んでいた。心から胸を張って親友と言える二人が親身になってくれているのだ。考えるように目線を伏せていた美奈もやがて意を決したように顔をあげ、玲菜達に頷くのであった。
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