第80話 思わぬ来客
時刻は夜の7時を過ぎたところだ。
窓には夜の暗がりを灯すような店舗や街頭の明かりが見えてくる。ここはポートシティ新二郷の全従業員共通の休憩所。主に休憩時間を迎えたポートシティ新二郷で働く従業員達の憩いの場として使用されている。室内には飲み物やアイスクリームの自動販売機が設置されており、好きに見られる37インチの薄型テレビも置かれ、他にも食事をとれるようにと手洗い場やポッド、電子レンジの類も完備されていて中々、心地の良い時間が過ごせる。
「んぅー……やっぱりポップコーンは美味しいねー」
眠ったり、食事を取ったりと思い思いの休憩時間を休憩所で過ごす従業員達の中に美奈と未希の姿もあった。二人とも制服の上に上着を羽織った状態で向かい合ってテーブルに座っている真ん中には桶のようなサイズの入れ物に入ったキャラメルポップコーンがあり、照りのある飴色にコーティングされたポップコーンを食べては、堪らないと言った様子で美奈は頬を綻ばせている。
「やはりキャラメルこそ至高なのだよ」
「塩やフレーバータイプも良いけど、やっぱり一番頼むのはキャラメルかなー」
キャラメルポップコーンを食べて、幸せそうにしている美奈の様子を見ながら未希は腕を組んでフフン、と自慢げに鼻を鳴らしながらしたり顔を浮かべる。このキャラメルポップコーンは未希が用意してきたものだ。と言うのもこれは未希がアルバイトとして働いている映画館で販売しているポップコーンであり、入れ物には映画館のロゴが入っている。美奈と未希は休憩時間が重なる時間があった為、作り立てのポップコーンをわざわざ買って来てくれたのだ。
「玲菜ちゃんも勿体ないよねー。折角の作り立てなのにさー」
「こればっかりはねぇ……。今も働いてるし」
ポイっと指先で摘まんだポップコーンを食べながら未希はこの場にいない玲菜について話す。
実は美奈と同じく玲菜も今日、ポートシティ新二郷におり、シャルロットコーヒーで働いているのだ。
口に含んだ作り立てのポップコーンにはまだ熱があり、甘いキャラメルの味を引き立たせて、ついつい指を伸ばしてしまうほどの魅力がある。これが食べられないのはもったいないと言うものだろう。こうして美奈と未希が休憩時間が重なっているのも全くの偶然なのだ。こればかりは仕方がない事なので、諦めるしかない。
「そうだ。これ残りは美奈ちゃんにあげるから、玲菜ちゃんにも食べさせてあげてよ」
「分かった。玲菜ちゃんも喜ぶと思うよ」
なんとか玲奈にも食べさせられないかとうーんと頭を捻る未希。
だがその答えはすぐに導き出せたようで、美奈の方にポップコーンを押し進めながら、持ち帰り用の蓋と一緒に渡す。未希の玲奈への気遣いに笑みを浮かべた美奈はポップコーンの容器を蓋でかっちりと閉める。
「じゃあレイトショーの時間も近いし、そろそろ行くね」
「うん、頑張って」
時刻の針はもう夜の8時近くを指し示そうとしている。
映画館もそろそろその日最後の上映回であるレイトショーの時間が迫っていた。それに合わせて休憩時間も終わりなのか、未希は席を立つと互いに軽く手を振り合いながら休憩室を後にする。
残された美奈は特にする事もなく、椅子にもたれて軽く身体を伸ばす。
自分に残された休憩時間も後僅かになってしまった。そろそろ自分もシャルロットコーヒーに戻らねばならないだろう。休憩時間の為に自動販売機で買った残り少ないジュースを飲み干して、ごみ箱に捨てると未希に渡されたポップコーンを抱えながら程なくして美奈も休憩室を出て行く。
・・・
「夏休みだからって朝から晩までガキ共ばっかり来やがる……」
シャルロットコーヒーに戻って来た美奈が聞いたのは、そんな事を口走る嘉穂であった。
いつもの気怠そうな雰囲気はとうに消え去り、額に青筋を浮かべ据わった目で譫言のように仕込みをしながら呟いていた。
「ウチはスマイル0円なんてやっちゃいねえんだよ……。他所行け他所……」
休憩終わりにタイムカードを押し終え、デシャップに戻って来た美奈はブツブツと呪詛の言葉を吐き出すように禍々しいオーラを醸し出しながらサンドイッチに使用するキュウリを仕込んでいる嘉穂の後ろ姿を見ながら玲菜に声をかける。
「荒んでるね……」
「土日とか忙し過ぎて仕込みに手が回らなくて、何だかんだでかなり遅くまでいるらしいからね」
とはいえ夏休み中の社員の激務は周知のことなのだろう。
店じまいをして、仕込みを終えたところでまだ売り上げなど社員としての事務仕事は残っている。しかももっと言うのならばここは複合施設であるポートシティに出店しているのだ。
当然、ポートシティで買い物や遊んできた客達は流れてくる。混雑率が他のシャルロットコーヒーよりも多く、その分、ミス防止に気を配らねばらならず、それでも防げなかったクレームなどで嘉穂などの社員は肉体的にも精神的にも疲労しているのは仕方ない事だろう。
まさに触らぬ神に祟りなしとばかりに今の嘉穂を見ながら、激務で苦労している彼女を労いの意味を込めて、美奈と玲菜は手を合わせて合掌していた。
「そう言えば未希ちゃんからポップコーンもらったよ。玲菜ちゃんに食べさせてあげてって」
「じゃあ後でごちそうになるよ」
乾いた食器類の整理などを行いながら、未希から譲られポップコーンについても話す。
もっとも玲菜の反応は、そんなわざわざと言わんばかりなのだが未希の好意を無下にするわけにもいかず、苦笑交じりに答えていた。
ピーク帯も過ぎて、テーブルでメニュー拭きと共に紙ナプキンやシュガーの類を補充したりと喫茶店らしい落ち着いたゆったりとした時間が流れている。ラストオーダーの時間まで後1時間を切り、閉店までは2時間あり、今日のシフトは閉店と共に終わる。
これから混むなんてこともなく何事もなく終わるだろう。
そんな事を考えていた時であった。
不意にドアベルが鳴り響き、美奈は対応しようと出入り口を見ると……。
「……どうも」
そこには何と沙耶がいたのだ。
ホワイトのサマーニットにデニムスカートで纏めた沙耶の服装は飾り気もなく、それでいてシンプルで清涼感のある沙耶によく似合った服装であった。
「い、いらっしゃい。珍しいね、沙耶ちゃんが来るなんて」
「まあ……色々ありまして」
沙耶がシャルロットコーヒーに来るのは珍しい。
と言うのも彼女自身、喫茶店は好むところなのだがいかんせん、この店が置いてあるのはポートシティ。
普段から非常に喧噪としており、沙耶はあまり来たがらなかったのだ。
美奈がいても、実際、彼女がこの店に来たのは数える程度しかないだろう。全く予想もしなかった沙耶の来店に驚きながらも美奈は彼女が好みそうな席へ案内する。
「アイスコーヒーを」
テーブルに着いた沙耶に美奈は水とおしぼりを運ぶと、言葉短くすぐにアイスコーヒーを注文してきた。
オーダーに関しては手慣れたもので、は-い、とリズミカルにハンディターミナルで軽く打ち込みながらデシャップ台に送信する。
「……少しここに長居したいのですが、よろしいでしょうか?」
「構わないけど……?」
遠巻きにデシャップで受信して印刷された伝票内容を読み上げる玲菜の声が聞こえる。アイスコーヒーだけならすぐに出てくるだろう、と美奈はデシャップに戻ろうとすると制服の裾を掴まれながら尋ねられる。
別にこの場で客である沙耶がここでどれだけ時間を費やそうが構いはしない。
わざわざそんな事を聞いてきた沙耶に不思議そうに首を傾げながら答えると、ありがとうございます、と口にするのを見てこの場を後にする。
その後、沙耶にアイスコーヒーを提供した後も時間は過ぎていくが、結局、彼女は閉店時間間際までシャルロットコーヒーで普段は家で行っているような勉強に時間を使っていたのだった。
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