第78話 今日の夕飯

 

「ねーね-、マーサ。なに作るの?」


 スーパーに訪れた昌弘と和葉は店内を宛てもなく物色しながら歩いている。

 と言うのも今晩のメニューが全く決まっていない為に食材を買い物かごにいれるわけにはいかなかったのだ。だからこそ無邪気に尋ねてくる和葉の言葉に頭を悩ませてしまう。


「何かリクエストとかあるか?」

「なんでも良いよ」


 出た、主婦泣かせの一言。

 普段から自炊はしているとはいえ、いや自炊しているからこそなのかすぐに今晩の献立は浮かばない。別に今はこれが食べたい気分だなんて料理もないのだ。それに一人なら適当な料理で済ますところだが今日は和葉もいる。折角、泊まると言うのなら適当な料理を振る舞えば良いなんて気にもなれなかった。


「あれ……?」


 うーん、と唸りながら何を作るか頭を捻って考えている昌弘。

 そんな昌弘が持っている買い物かごにこっそりお菓子を忍ばせていた和葉はふと視界に何かを捉えると昌弘の服の裾を掴んで、くいくいっと引っ張る。


 昌弘がなんだよ、と反応すれば和葉が前方を指差す。

 そのままつられるように和葉が指差す方向を見やれば、そこは色鮮やかな野菜の数々が彩る青果コーナーであった。


「あの人、この間のバーベキューの時にいた人じゃない?」


 その中で一人だけ昌弘と和葉が共通して面識のある人物がいた。

 腰まで届くベージュ色の髪の毛はその一つ一つが柔らかな質感を醸し出しており、野菜を物色する薄紅色の瞳は切れ長で、その鋭い瞳は涼しげでクールな印象を受ける。


「確か沙耶ちゃん……だっけか」


 バーベキューの際に挨拶を交わしたのでそこにいた人物の名前は憶えていた。

 確かにそこには以前、行ったバーベキューで美奈と同じで啓基が誘った寺内沙耶がいたのだ。もっとも、あの時はあまり深く絡んでいなかった為、物静かな少女程度の印象しかなかったのだが。そんな昌弘の呟いた名前が耳に届いたのか、沙耶と目が合う。


「やっ。久しぶりだな」

「……どうも。以前はありがとうございました」


 目が合った沙耶に軽く手をあげながら気さくに挨拶をすると、沙耶も沙耶でちゃんと昌弘と和葉の事は覚えていたのか、挨拶を返してくれた。


「晩御飯の買い物?」

「ええ、見ての通りです」


 ひょこっと沙耶が持っている買い物かごの中身を見た和葉が尋ねる。

 沙耶の買い物かごの中にはパック詰めの卵や野菜の数々が入っていたからだ。買い物かごの中身でそのまま聞いてみたが、どうやら正解だったようだ。


「でも量少なくない……? 一人分……?」

「実質、一人暮らしのようなものなので」


 とはいえ夕飯の材料だとするのなら、あまりに食材の量が少なくないだろうか?

 これでは一人分程度の量しかない。昌弘のように一人立ちしているのなら兎も角、まだ高校生の年頃の少女である沙耶ならば家族もいるだろう、とは思った和葉なのだが、沙耶から返って来た言葉に納得する。


 中学生である和葉からしてみれば、家族で暮らす事が当たり前になってはいるのだが、高校生になって親元を離れて一人暮らしをしている人間もいると言うのは小耳に挟んだことはある。沙耶の家庭事情がどんなものかは知らないが、沙耶もそんな人達の一人なのではないのかと納得する。


「大変なんだね」

「もう苦ではありません。慣れと言うものもあると思いますが」


 一人暮らし、という響きは和葉からすれば何だか憧れてしまう。

 とはいえ普段、親がやってくれている家事の類を全て自分でやらなくてはいけないと思うと中々億劫に感じる。隣の昌弘もそうではあるが、そんな日々を過ごしているであろう沙耶に労いの意味も込めながら声をかけると沙耶は一人で暮らす分には問題はないのか、しれっと答えていた。


「……寧ろずっと一人で暮らしていられたのならどんなにマシだったか」


 その直後に和葉達に聞こえるか聞こえないかくらいのか細い声で眉間に皺を寄せて吐き捨てる。

 もっともその言葉は和葉達には聞こえなかったようで「何か言った?」と首をかしげる和葉に平静を見せながら「何でもありません」と首を横に振る。


「それでは私はこれで……」

「ああ。また何かあったら遊ぼうぜ」


 とはいえいつまでも立ち話をしているわけにもいかず、頃合いを見て話を切り上げる沙耶。

 彼女の言葉に昌弘も頷き、和葉と一緒に軽く手を振ると沙耶は最後に軽く会釈をしてもう買う物も済んだのだろう、レジへ向かって行った。


 そんな沙耶の背中を見送っていると不意に昌弘のスマートフォンが振動すると着信音が鳴る。

 ごそごそとズボンのヒップポケットからスマートフォンを取り出して見れば、電話をかけて来たのは啓基であった。


「おう、どうした?」

≪……兄さん、今どこ?≫


 そのまま通話ボタンを押して、電話に応答する。

 しかし電話越しに聞こえて来たのは、啓基のどこか不機嫌そうな声だった。


「どこって……。近くのスーパーだけど」

≪和葉、今日そっちに泊まるんだって?≫

「ああ」


 以前ならいざ知らず、普段の啓基が妙に機嫌が悪いのは珍しい。

 そんな事を思いながら答えると次に返されたのは和葉についての問いかけであった。とはいえ隠す事でもなくその通りなので肯定する。


≪和葉がそっちに泊まるなら晩御飯余るからそっちに持って行ってって頼まれた。今、兄さんのアパートの中にいる≫

「あぁ、成程な。今帰るから時間があるならちょっと待ってろよ」


 和葉同様に昌弘が住んでいるアパートの一室の合鍵は啓基にも渡している。

 どうやら和葉から今日、昌弘の家に泊まる事を聞いた母が啓基に指示して実家の夕飯の一部を持ってきてくれたようだ。啓基からの電話の用件に納得した昌弘はそう告げて、電話を切ろうとするのだが……。


≪……ねぇ兄さん。何で俺は誘わないの?≫

「は?」

≪和葉がそっちに泊まるなら俺も誘ってくれたって良いじゃないか≫


 するとその前に相変わらずどこか不機嫌な啓基が本題だとばかりに話を切り出してくる。

 どうやら和葉が昌弘のアパートに泊まると聞いて、兄妹の中で自分だけ除け者にされたと感じているようだ。


≪俺達三人揃ってスーパーハヤマブラザーズでしょ≫

「初めて聞いた」

≪何で俺だけのけものにするのさ。そんなに妹が可愛いのか≫


 不満をそのまま口にする勢いで話す啓基の妙な物言いに唖然としながらもそれでも啓基の不満は止まらないようだ。


「分かった、分かったよ。お前も泊まってけ。お前の分も材料買ってくから」

≪……じゃあ待ってる≫


 いつもは一歩引いて物を言うタイプの啓基なのだが、今日に関してはまるで愚図った子供のような反応をしている。そんな啓基に苦笑交じりで啓基にも泊まるように提案すると、漸くそれで納得したのか、渋々と言った様子で啓基は通話を切った。


「今のけぃ兄? なんだって?」

「アイツも泊まるってよ。お前だけ泊まるのが納得いかねぇみてえだな」


 通話を終え、再びヒップポケットにスマートフォンをしまう昌弘にその話の様子から通話相手が啓基なのか尋ねる。和葉の問いかけに頷きながら、先程の啓基の態度を思い出しながら微笑ましそうに軽く笑ってしまう。まさか和葉が泊まるというだけで啓基があんな態度を取るとは思わなかったからだ。


「けぃ兄も何だかんだでマーサのこと大好きだからねー」


 啓基も泊まると言う事自体は別に構わないのか、和葉も仕方ないとばかりに笑っていた。


「けぃ兄もって事は和葉ちゃんも俺のこと大好きなのかなぁ?」

「調子に乗らないっ!」


 もっとも和葉のその言葉に昌弘は反応すると、途端に悪戯っ子のような笑みを浮かべながら尋ねる。

 迂闊なことを口にしてしまったと、恥ずかしがりながら昌弘の背中を叩くも、昌弘はそうかそうか、と満足気に笑っている為、気恥ずかしさが倍増してしまう。


「よーし、今日の晩飯決まったからさっさと帰ろうぜっ!」


 とはいえ今までのやり取りでこの後の食事の献立が浮かんだのか早速、食材を取りに行くために歩き始める昌弘。和葉もその後をトコトコと追いかけるなか、二人は賑やかに夕食の買い物を済ませて啓基が待つアパートに帰るのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る